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果物売りの老婦とクリシュナ

私たちが日常で追い求める物質的な価値とは異なり、精神的な価値は、ものさしで測ることができません。精神的価値を象徴するエピードとして「シュリーマドバーガァタム」というヴェーダ聖典で語られている「果物売りの老婦とクリシュナ」との交流があります。この物語は、わずかな米粒と果物との交換ごっこを通して純粋な愛と献身の交換によって真実の価値を得ることが語られています。

サンスクリット
 krīṇīhi bhoḥ phalānīti
śrutvā satvaram acyutaḥ
phalārthī dhānyam ādāya
yayau sarva-phala-pradaḥ

phala-vikrayiṇī tasya
cyuta-dhānya-kara-dvayam
phalair apūrayad ratnaiḥ
phala-bhāṇḍam apūri ca

和訳
「さあ、みなさん、果物を買ってくだい♪」という声が聞こえると、すべての果報をもたらすクリシュナは急いで米粒をもって、果物売りのところに向かった。
果物売りの老婦は、クリシュナの手からこぼれ落ちた米を見ると、その手を果物でいっぱいにした。するとクリシュナは果物の入れのカゴを宝石で満たしてあげた。

シュリーマドバーガヴァタム 10巻11章10-11節

商売人としての老婦は、駆けつけてきた幼いクリシュナが差し出す米粒の量に関わらず、果物と交換する行為が利害関係を超えた絆を築く機会となっています。老婦はあまりにも見目麗しいクリシュナに母性と愛情深い献身を示しています。この詩節では、「acyutaḥ」(決して間違いのない者)、「sarva-phala-pradaḥ」(すべての果報をもたらす者)という言葉が使われ、慈悲深いクリシュナが果たす役割が描かれています。クリシュナは、どんな職業に就いている人であっても、無条件に愛を受け入れ、物質的な価値を遥かに超える形で報いることによって、老婦に対する寵愛を示しました。信愛(バクティ)とは、物質的な量や質の提供に関わらず、純粋な愛と献身によって捧げられることで真の価値が得られるということです。

皆さんは「果物売りの老婦とクリシュナ」の教えから何を感じ取りましたか?信愛、バクティについての考えや体験があれば、皆さんのご意見やご感想をぜひ、お聞かせください。😊

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