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箱庭マトリョシカ

「なあ……スガワ。最近俺さ、誰かの視線を感じるんだ」

 大学の食堂。クラスメイトの額井でこいは箸を止め、雑踏と雑談に掻き消されない程度の声量で言った。まるで、誰かに聞かれないようにしている様子に、俺も事情を察する。
「……ストーカーか何かか?」
「だと思うんだけど……」
 だと思うんだけど、って。
 俺の怪訝な顔を見て、額井でこいは「いやさ」と言葉を続けた。
「奇妙なんだよ」
「奇妙?」
「ああ。普通ストーカーって、後ろから視線を感じたり、横から視線を感じたりするもんだろ。まあ、そればかりでないにしろ、そういうことが多いよな」
「……まあ」
 異論はない。ストーキングされたことないから分からないけど。
「でも、俺の感じてる視線、ってのがさ……常に上から・・・・・来てる気がするんだよ」
「……常に、上から?」
 額井でこいは頷く。
「しかも、こう、建物の上からとかじゃなくて――つまり、斜め上からとか、そういうのじゃなくて、真上から・・・・来ている気がするんだ。しかも、常に、なんだ。妙だと思わないか?」
 真上から。
 つまりそれは、頭の上に何かがいて、じっと頭頂部を見られているとか――そういう感じだろうか。
 ……。
 いや、それは流石に。
「お前、疲れてるんじゃないのか?」
 俺はそう言ってやった。
 が、額井でこいは「違うんだって!」と少し声を荒げる。その声が思ったより大きかったのか、周りが一瞬、しん――と静まり返った。申し訳なく思ったのか額井でこいが謝ると、周りはまたそれぞれの日常に戻ってゆく。
「……いや、ごめん」その一瞬の静寂で我に帰ったのか、額井でこいはまた謝った。「俺、疲れてるのかもな。バカみたいだよな、真上から時折見られているような感覚がするなんてさ――」
 忘れてくれ。
 そう言って額井でこいは、切り分けられたチキンソテーを一切れ、箸で摘んで食べる。なんだか気味の悪い話を聞いちまったな、と思いつつ、俺もカレーを食べるのを再開する。
 その後、微妙な雰囲気も学食の喧騒で薄れたお蔭か、額井でこいとはいつものくだらない話をしながら食事をした。けど、この日のカレーはいつもより味が薄い気がした。

***

 ……その、次の日。
 大学に行くため外を歩いている途中のこと。
 俺も、その視線とやらを感じ取るようになってしまった。しかも、確かに真上から・・・・の。自分の頭頂部を眺められるような、不思議な視線だ。
 それに初めて分かったことだが、見られてる、と思った瞬間に上を向くと途端に視線がなくなる。加えて、常に見られている訳ではない。視線を感じた後に上を振り向かなくても、その内、その感覚がなくなる。いやに視線が断続的だ。額井でこいにはちゃんと話を聞けていなかったが、アイツも同じ感覚なんだろうか。
 しかし、何だこれは。
 幽霊とかか? だとしても、俺は別に罰当たりなことをした覚えはないし、心霊スポットに行った訳でもない。
 したことと言えば、額井でこいから話を聞いたくらいだ。
 ……もし。
 もしそれがトリガーとなって視線を感じるようになるのだとすれば、話を聞いたヤツも全員、視線を感じるようになるのではないか?
 嫌な予感が背筋をなぞる感覚がする。
 すぐさま俺はスマホで額井でこいにラインしてみる。

 数十秒して既読が付き、更に1分程して返信が来た。

 ツイッターの呼称名を訂正する額井でこいの返信も、どうでも良くなる程に怖気が増す。

 ……なるほど、な。
 視線を感じるトリガーは、話を聞くだけではない――話を読むことも含まれる・・・・・・・・・のじゃないか?
 事実、額井でこいはツイッターの呟きを見てから視線を感じるようになった。そして読む対象は、ツイッターに限られないのではないか? それこそ――小説・・の形でも、何らかのウェブ記事・・・・・・・・・でも良い筈だ。額井でこいはそれが偶々たまたまツイッターだっただけで、「真上から視線を感じる」ということを何らかの手段で知った者だけが、この視線を認識し始めるのでは。
 ……視線を真上から感じる。上を振り向く。視線が止んだ。当然真っ青な空には誰もいない。
 ふと周りを見てみると、同じように視線を上に向ける者が複数いることにも気付く。もし、俺の推測通り、聞いたり読んだりしただけで視線を感じるようになるのなら、その伝播スピードは尋常じゃないだろう。
 もっと多くの人が、真上から視線を感じててもおかしくない――。
 スマホが鳴る。額井でこいからラインが来ていることに気付く。

 流石に勘づくか……俺は返信する。

 このやりとり中にも視線を真上から感じては、その感覚が消える。背筋に気持ち悪さが走ってイライラする。
 額井にこれ以上悪態を付かないように、『ありがとよ』とだけ返信してラインを閉じる。
 続けてXと書かれたツイッターを開く。検索欄で、「真上 視線 感じる」と入力してみると、いくつかツイートを見つけた。

 最後の政府陰謀論系ツイートには、お決まりの様に与党を野次るハッシュタグがいくつか付けられている。こういうツイートはいつもは笑い飛ばしてしまうし、「脱字があるぞ」と上から目線で指摘するところだが、今回は状況が状況だからか、何故だか無視できなかった。
 ――政府による監視、か。
 まるで『1984年』とか、その手のお話みたいだ。但しあのテレスクリーンも、真上から監視はしていなかったが。
 しかし、それが真実だとすれば、あまり気持ちのいいものじゃないな。
 視線を真上から感じながら、俺はツイッターを閉じて、スマホの電源を落とした。これ以上歩きスマホは良くな――

 ……。
 電源を落とした、スマホの真っ黒な画面。
 黒いガラス面に、自分の顔が映る。
 そして自分の顔の、その向こう側・・・・・・――空の上・・・
 見間違えようのない、巨大な目・・・・が映っている。

 俺は、恐怖で思わずスマホを落としてしまった。画面が割れてしまったかもしれない。どうでもいい。そんなこと今はどうでもいい!
 何だ、何なんだアレは。
 幽霊なんてモノじゃない。
 政府の監視どころでもない。
 これじゃ、まるで、神が・・自分の世界を見つめているようじゃないか――

***

「あー、気付かれちゃった」
 神、アル■■ロテリスは、存在リセットスイッチを押した。対象は、スガワ・タロウと名付けられた大学生。スイッチ1つで、彼の生きた痕跡は全て消え失せる。
 便利な機能だなあ、アル■■ロテリスは感嘆した。

 ――世界創造体験キット。
 世界を創造し、管理するための神がその手法を学ぶために開発された、いわゆる知育キット。立方体の箱の形をしており、その中でどんな存在を育てることも、どんな環境を生み出すこともできる、自由度の高い箱庭だ。
 基本的なルールはたった1つ。「世界を破綻させないようにしましょう」。もし破綻しそうになる不都合なことが起きそうな場合は、その破綻の原因となるモノを対象に指定し、存在リセットスイッチを押せば良い。するとその対象に関する記憶や記録が世界から抹消されるので、世界の安寧が保たれる。

「ん〜、でも、誰か分からない者から常に監視される世界も、いずれは限界が来そうだな〜」
 アル■■ロテリスは呟く。
 以前アル■■ロテリスは、神が実在して何でも介入できる箱庭を作ってみたのだが、神に何でも縋って何もしなくなる世界と化してしまったので、その箱庭は処分・・してしまった。
 今は真逆の、完全不介入の世界を作っている。が、箱庭の中を眺めていると結構な数の人間が反応し、真上を向く・・・・・ようになってしまった。どうやら「真上から見られている」という噂が伝播して、「言われてみれば」と視線を感じる人が増えたからだろう。更には、「空の上から監視されている」というある程度核心をつく言葉も出始める始末。
「難しいね〜。いや、本当に他の先輩ベテラン達ってどうやって世界を管理してるんだろ……?」
 首を捻るアル■■ロテリス。しかし教えてくれる人はいない。他の神達は世界管理で忙しく教育などする暇はないのだ。故に神は、その長大な寿命のごく一部を使って自らの力で世界の管理方法を覚え、一人前の存在として早く自立しなければならない。
「ん〜。もうちょい頑張ってみるか〜」
 アル■■ロテリスは頬を軽く叩き、気を取り直して箱庭『世界創造体験キット』の管理に戻る。











「……ところでさあ」
 ……筈だったが。
 アル■■ロテリスは、振り向く。
「な〜んか、見られてる気がするんだよねえ」
 そして渋面を作り。
「そっかあ。箱庭の中の人達はこういう心情なのね。そりゃ、良い気はしない訳だ」
 この神、アル■■ロテリスが居る世界の、見えない監視者・・・に呼びかける。
「ま、良いけどね。こんな世界、見てて楽しいか分かんないけど、見られて減るもんじゃないし」

 どうせ、この世界さえも・・・・・・・箱庭だろうし・・・・・・、と。


 ――画面越しに・・・・・この小説箱庭を覗く、読者の貴方がた・・・・・・・に呼びかける。

***

 人間の箱庭世界を神が監視し。
 神が監視しているというその箱庭小説さえも、読者が監視している。
 世界はそうやって、入れ子構造マトリョシカのようにできている。

 だから、貴方がたもゆめゆめ、空の上にはお気をつけて。
 もし空の上の存在に気付いてしまったら――或いは世界に害なすと判定されたら、存在リセットスイッチを押され、命運が尽きるやもしれないのだから。


おわり


※当作品は、KAC2024(カクヨムにて開催された小説投稿イベント)参加作品の加筆修正版です。

※ヘッダーの画像はnoteにアップロードされていた写真を使用させて頂きました。ありがとうございました。

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