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そうぞうてきストリップ
あなたは「好き」を形にしていますか…?
お読みいただきありがとうございます。
こうです。
スキってなんぼもらっても嬉しいです。
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(あれ、昨日まで夏だったはずでは…?)
そんな最近ですが、またしても行ってまいりました。
ストリップ劇場、岐阜『まさご座』へ。
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今回はですね、それはもう特別な気持ちで臨んだ観劇でして、なぜなら僕の大好きな方がご出演されていたのでした。
(お名前は敢えて伏せておきます)
関東でのお仕事が多いなかで、わざわざ来ていただけるなんて、そんな嬉しいことはない…!
僕はこの日お会いするまで、出張した先々でお土産を集めたり、季節をイメージした紙袋を探したり、カードにメッセージを書いたりしていまして、その準備は楽しく、まさに「自分の好き」を実感していました。
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僕は「自分の好き」を実感しているときが、すごく幸せです。
今回はその「自分の好き」について考えてみます。
僕が思うに、好きという感情は、とても孤独な感情です。
孤独であるというのは、好きという感情は本質的にぶつけるものではなくて、胸に留めるべきものであるということです。
どうしてかというと、人に好きをぶつけてしまうと、運良くそのままその人に届くこともあれば、求めた見返りが得られず、嫌いになって自分に返ってくることもあって、お互いに傷つく場合があるからです。
好きという気持ちを胸に留めておくことで、人を傷つけずに済むのならそれに越したことはないと僕は思います。
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とはいえ、胸のキャパシティには限界があるので、溢れてしまうものは必ずあります。
しかし、その胸に留めきれずに溢れてしまったものこそが、「自分の好き」を優しく現実に証明するものなのだと僕は思います。
それはとても価値のあるものなので、上手に加工して大事にすべきものだと思います。
僕の場合、その溢れてしまったものは、誰に向けたわけでもない文章とか、妙なファンレターとか、変な贈り物へと加工されます。
(流石に渡して不快にさせるものにはしていないと思う。たぶん)
僕はそういうものを眺めては「自分の好き」を感じて幸せを感じるのですが、他人からは理解不能でしょう。
まさに孤独です。
ですが、これ以上に優しく「自分の好き」を表現する方法を僕は知りません。
だからこれからもこうやって、「自分の好き」に向き合っていきたいのです。
そして、ストリップを通じて出会った「自分の好き」を、なにより自分に対して証明していきたいと思っています。
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ストリップは、素晴らしいアーティストである踊り子さんと非常に近い距離で接することができます。
そして、そこから受けるクリエイティブな刺激も大きな魅力のひとつだと思います。
踊り子さんのように、何かを作りたい、何かを表現したいという欲求は、我々人間に普遍的に存在するものなのではないでしょうか。
僕はストリップを観ていると、そんな欲求を強く刺激されてくるような気がします。
自分もよりよい方法で、溢れ出た「自分の好き」を形にできたらいいのにと、思わずにはいられません。
そんなストリップのクリエイティブな空間が、僕は好きです。
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今回はこれまでです。
お読みいただきありがとうございました。
ps. ストリップならではの、えっちな演目ももちろん好きです。ピクピク