意味なんかなくたって、幸せだった
大人になってもなお、ゲーセンを見かけると吸い寄せられるように足を踏み入れてしまう。
今だって、1人で若干の暇を持て余して池袋の街を歩いていたのに、気が付けばUFOキャッチャーの台に挟まれた、涼しくて狭い通路を歩いていた。
可愛いぬいぐるみをガラス越しに眺めながら、あてもなくゲーセン内を歩く。
その中におぱんちゅ脱げかけのおぱんちゅうさぎを見つけてしまった。ジワジワきて、無言で写真だけ撮って去った。
シェアする人?残念ながらいなかった。
何が取りたいわけでもないのに、取れてもどうせ飾る場所に困るだけなのに。
立ち止まって財布の中の小銭を漁り、100円玉を見つけた。1枚だけ。
まだ何を取るかも決まっていないぬいぐるみのために、1000円札を崩しに両替機に向かった。吸い込まれていったぺらっぺらの紙が、急にじゃらじゃらと重い音を立てて出てくる。鷲掴みしきれなかった10枚の100円玉を小分けにして財布に突っ込み、またぬいぐるみを眺めながら歩いた。
目が合ったのは今にも「ぴえん」と言い出しそうな瞳のシナモンだった。
ふつーに、いや、それなりに可愛かった。
よし、君に決めた。うるうるとした瞳に見つめられながら、100円玉を投入した。
予想通り、アームのパワーは激弱だった。掴んで持ち上がったはずのシナモンは、一番上に到達した瞬間にその反動で呆気なく落ちていった。
確立機だろうな。
大体こんなものは、初回で行方が分かり切っている。どうせ取れない。
そう分かっているのにまた100円、更に100円を投じた。
500円投じたところで、財布に手を伸ばすのを辞めた。分かっていた、結局取れないんだって。狭い空間の中でただ転がされて、ほぼ初期位置で天を仰いでいるシナモンの写真を撮り、その場を離れた。
ー 別にいらなくね?
そんなの分かってるよ。
ー お菓子は食べられるからいいよね。
私も好きだよ、お菓子。
別にそのぬいぐるみがほんっとうに欲しいわけじゃないんだって。
でもお菓子なんてすぐに無くなっちゃうから。どうせなら、形ある可愛いものが欲しいんだってば。
なんでも目に見えるものとか、わかりやすいものばっかりに飛びついてしまうのは良くないね。だけど、"意味"なんて追い求めすぎるのも楽しくないじゃんね。
合理性だとか意義を無視しちゃってまで何かしたいとか欲しいと思えるのは、実は非常に意味のあることだったりして。
なんて言ったけど、くだらない・無駄なことや時間の中でもお互いの「楽しい」が重なり合うポイントが、なかったわけじゃない。
そういえば私が欲しいフィギュアを一緒に取ってくれようとしたことがあったよね。欲しいものが当たるまで、2枚くらいお札を溶かしてガチャを回しまくったのも楽しかったよ。
しょーもないやり取りをするのも、悪戯っぽく笑った顔も好きだったよ。
結局どうまとめたら良いのか分からないし、ありふれた言葉だし、雑に見えるのは致し方ないのだけど。
お互いに幸せになれると良いね。
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