人生の目的って崇高なものじゃなきゃダメなの?
この前、セミナーというものに初めて参加した。
「人生100年時代のキャリアの築き方」みたいなタイトルだった。
セミナーって響きがなんか怖いから、職場で行くように言われているもの以外は行ったことなかったけど、起業するために色々学んでいる最中の友達に誘われ、大人の社会見学だと思って付いて行くことにした。
勧誘とかされるのかなと思ってすごい心配してたけど、なんかちゃんとしたセミナーだった。多分。
セミナーの内容を簡単にまとめると
「自分の人生の目的」を明確にしてキャリアにもうまく活かしていこうぜ的なものだった。
セミナー中に「人生の目的」をテーマにグループで話す機会があった。
見ず知らずの人と5人組で話しをすることになった。
初対面の人とそんな壮大なテーマで話せる?無理に決まってるだろ。
発言は時計回りで行きましょうということで順番が決められたが、まさかのトリだった。勘弁してくれ。
同じグループの人たちは
「会社を立ち上げて、社会に貢献できるシステムを作ること」
「日本の子ども達のために、良い社会にしたい」
「ハッピーな人を増やす」
みたいなことを熱く話してくれた。すごいなーとただただ感心してしまった。
感心しきっていたら、ついに自分の番が来てしまった。
「や、優しい人になることです…。」
周りの人たち「え?」ってなってた。そらそうだ。
熱く語ってた人達の話を聞いて、みんなの熱量も高まってるのに
最後の最後に出た人生の目的が
「優しい人になる」だからね。冷めてくよね。わかる。
場の空気が冷めたなと思ったら、グループワークの時間もちょうど終わった。なんか、ごめん。
場を冷めさせちゃったから、もうどう思われてもいいやと思って色々話したかったけど、話せなかったから、なんで優しい人になることが人生の目的なのかnoteに書いて昇華させようと思う。
お付き合いください。
目的と目標ってなんか似てて、自分でよくわからなくなるから目的の意味を明確にしておこうと思う。
自分の人生の目的?目標?は、「優しい人になる」これしかなかった。
抽象的すぎるかもしれないけど
人に優しくできる人になりたいと思ってずっと生きてきた。
それができてるかどうかは知らん。
私は、優しい人は最強だと思っている。異論は認める。
精神的な強さと余裕がないと人に優しくはできないから。
タフで余裕がある=最強。
優しさの定義は人それぞれにあると思う。
私は、ただ甘やかしてくれたり落ち込んだ時に慰めてくれることだけが優しさじゃないと思ってる。
耳が痛くなるようなことを言ってくれるのも優しさだと思う。
人を助けることも優しさだ。
優しさって考えたらキリがない。
私が出会ってきた優しい人たちは、目の前の相手のこと、そしてその先にいる人達のことも想って行動できる人だった。
そういう優しい人たちに出会えたから、私も人に優しくできる人になることを目的として生きてる。
社会貢献とか、世界中をハッピーにとかそうゆう大きなことはできないけど、私がもらってきた優しさを違う人に渡して、優しさの連鎖みたいなものが続いていったら、その先には、優しい世界が広がるんじゃないかなと思ってる。
崇高な目的を持ってなくて、場を冷めさせて
なんか、ごめん。と思ったけどこれが自分の身の丈の「人生の目的」
多分、一生変わらないと思う。
読んでいただきありがとうございました!