苦しいよ、痛いほどあなたが好き。
恋とはなんなのか。
私は25歳の女性で、仕事は販売職。友人は割と多い方だと思う。気づいたら休みの日はほとんど予定があったりする。旅行だって年に数回、様々な友人たちと出かける。地元の友人、高校の友人、サークルの友人、前の職場の先輩・・・。キリがないくらい交友関係は広がっていくし、その一つ一つを大切にしている。
恋人が必要か
と考えることが多々ある。もちろん25年間女性として生きてきた中で恋人と呼べる存在はできたことはあるし、それなりに異性と食事をとったりすることはある。
しかし、どんなに考えても、私に恋人が一番になる未来が見えないのだ。
以前お付き合いをしていた男性から「俺はきみが一番だけど、俺はきみの一番ではない」と言われたことがある。確かにその通りだ。
わたしにとって対人関係とは優先順位をつけるものではなく、みな平等である。家族も、友人も、恋人も。
予定は先約が第一優先であるし、友人との約束を蹴ってまで好きな人に会いに行こうという気持ちになれない。それはおかしなことなのだろうか。
もちろん自分の中での優先的な予定はある。一番は仕事で、その次は舞台やコンサート。仲のいい友人との定例的な集まりはやはり優先していれる。そこに恋人がいればその辺は調整するが、友人との定例と折り合いをつけて予定を入れるだろう。
スケジュール調整という点以外でもなかなか恋人を友人と比べたりはしない。気の知れた友人と恋人と仕事仲間では話す内容も違えばスタンスだって違う。そもそもそこに優劣も序列もない。個人的な話を誰にするか、というだけの話である。
対人関係において一番とはなんなのだろうか。はたまたいままでお付き合いしてきた方々がそういう対象ではなく、本当に恋をしたことがないのかも知れない。そこに関しては自分に自信がない。
わたしは所謂オタクと呼ばれる道をずっと進んでいる。
アイドルから始まり、現在はアニメキャラクターや声優さんへのときめきを常にもって生活しているし、それを軸にしている感も否めない。口癖は「こんなの恋じやん、すき!!」なので好きの感情は知っていると思う。
しかし、実在して、わたしと関わる人達は性別関わらず、友人は友人だし、職場の人は職場の人だ。対人関係や仕事において性別は関係ないと考えてしまうので友人たちと少し認識のズレがでてしまうかもしれない。
ここで改めて考えてしまう。恋とはなんなのか。
いままでお金をかけて応援してきた「推し」たちはわたしのことを「救って」くれたのだ。
死にたくなるくらいしんどいときに出会い、何度も彼らの言葉で「あともう少し頑張ってみよう」と思えるようになった。彼らが頑張る姿に救われているのだ。
だから、わたしにとって恋とは「救済」なのかもしれない。