「推し」が結婚発表した、リアコオタクの自分語り。

私はいわゆるリアコオタクという人種だ。

物心ついたときにはもうオタクだったと思う。アニメと漫画が好きだったし、わたしの初恋はテニスの王子様の越前リョーマ君だった。

本格的にオタクと自称するようになったのは2008年にHey!Say!JUMPの薮宏太くんを好きになった時だ。今でも覚えている。当時中学2年生だった。思春期真っただ中に一人の人に恋焦がれていたのも事実だ。

それからというもの、わたしの人生には常に好きな人、いわゆる「推し」がいた。10年くらいはアイドルを追いかける人生をしていた。全国を飛び回ったこともあるし、ライブハウスに通ったり、劇場に通ったりもした。

そんな人生の中でなかなか転機だったのが、2018年に出会った「アイドリッシュセブン」というコンテンツだ。アプリゲーム内でのストーリー展開を主軸に、アニメ、グッズ展開、キャストによるライブやイベント、広告展開など多岐にわたって3次元と2次元の垣根を超える展開を見せている。

このコンテンツにはまり、初めて声優キャストによるライブを見た。(正しくは円盤で)その時、私は初めて声優の「推し」に出会ってしまったのだ。

「推し」は探すものではなく現れるもの。などとネットで一時期話題になった言葉であるが、本当にそうでした。あの日の衝撃は一生忘れない。

今までアイドル畑にいて、まったく声優という界隈に触れてこなかった。もちろんアニメはずっと見ていたし、それなりに声と名前が一致している人もいた。私のアニメの楽しみ方はあくまで「キャラクター」がベースであったから、「あ、〇〇の声の人だ」などという本当に浅い知識の中で生きていた。幸いにも仲のよい友人たちがこの界隈のオタクを長年やっていたこともあり、気になった声はTwitterで聞けば当たり障りのない情報をくれたので、自分から調べたりすることはほとんどなかった。

初めていわゆる「中の人」が出ているライブをみて、興味を持ち、そのままFCに入った。推しが出ているアニメは全部見る!くらいの勢いでたくさんのアニメや吹替映画をみた。当時は気づいていなかったが、好きなキャラクターを演じていることが多かった。なぜ今まで気づかなかったのか、、、となりつつ、出演するイベントに行けるように情報も集めた。メディアの露出も追うようになったし、推しと仲のいい人達をフォローした。こんなにどっぷりはまったのは久しぶりだった。2019年は一年かけて推しだけを追いかけ、毎月何かしらの形で現場に向かっていた。

もともとアイドルを追っていたこともあり、それなりに楽しみ方も現場のチケットの取り方もわかっていたから、すごくすごく幸せで楽しい一年だった。

2020年は世間の情勢的に予定していたイベントはすべて中止になってしまい、楽しみを見いだせない状況になっているが、You Tubeにゲストで出てくれたり、配信番組に出たりと、それなりに楽しんでいたのだ。

しかしそんな中、不安はあったし、嫌な予感はしていたのだ。

わたしはいわゆる「リアコ」と呼ばれるオタクだ。「推し」を疑似恋愛の対象として楽しみ、ときめきを楽しむタイプだ。だから、「推し」の女性関係はすべてシャットアウトして、わたしの中の「推し」しか情報として仕入れないくらい徹底していた。

知っていたんだ。「彼」に大切な女性がいることも、その女性が超人気の同業者ということも、一緒に住んでいることも。

別に「彼」はアイドルではないから、恋愛を禁止することもないし、普通の男性として生きているのだからプライベートは自由だ。長年「リアコオタク」として生きて生きているから何度も女性関係の話が上がる度にへこんでいた。一番最初にフライデーに自担が載ったときは一週間寝込んで学校に行けなかった。彼らのプライベートまで見たくない。私が知っている「推し」だけを楽しみたいのだ。

わたしのエゴは通じず、結婚していた、という事実を発表され、それが好きになったきっかけのキャラクターの誕生日の前日の12時で、わたしは寝起きにその発表をみたのだ。うそでしょ。このタイミング?前日にオタクの友人と「推しが結婚したら寝込むからよろしく」と話をしていたばかり。もう笑うしかなかったし、Twitterのトレンドを見たくなかった。情報はシャットアウトしたかった。友人たちからは心配の声をたくさんもらい、わたしは涙も出なかった。感情がぐちゃぐちゃで、悲しい、とはまた違う感情だった。彼のお祝いをしなくてはならない、したくない、これからも好きで入れるかな?私の好きな推しは何も変わらない、そんなぐちゃぐちゃな自問自答を繰り返した。

自分は新規ファンを楽しんでいた自覚もあったけど、これが長年追っていた推しだったらきっと寝込むどころの話ではなかったと思う。ゾッとした。昔好きだったアイドルだったら、、、と考えるだけでも恐ろしい。

推しの結婚はお祝いしなくてはならないという暗黙の了解が何よりもしんどかった。めでたいことだし、暗いニュースが続いていた情勢だったし、明るいニュースだ。界隈のオタクのお祝いツイートを見てはブロックした。私は器が小さいので、今回のことに関してはとても潔癖に情報を入れないことにした。趣味の範疇で精神をおかしくする必要もない。

そして迎えた好きなキャラクターの誕生日。今年はYouTubeに3D映像がアップされる企画が行われているため、映像を見にいってきた。「推し」が存在していたし、最高に天使だった。それを見たら、涙が止まらなくなってしまった。深夜にアニメーション映像を見て号泣する25歳女性という本当に字面が犯罪じみている状況に陥った。

いつまでもきっと「推し」はこんなに素敵なキャラクターに声を当てて、生きていると実感させてくれる演技をしてくれるんだ。だから私が好きな「推し」であることに変わりはないのだ。リアコオタクはこうして推しへの愛をさらにこじらせてしまったのだ。危険だ。

今までいろいろなことへのモチベーションが「推しにふさわしいオタクであること」だったので、そのモチベーションが保てるか不安ではあるが、今回の件は私のオタク人生の中でヘビーなことだが、もういい大人であるので楽しくオタクを続けていくのだと思う。

長々と自分語りをしてしまったが、最後に一言。

おめでとうなんて言ってやらないからな。大好きなんだばーか!!!幸せならそれでいいから!いつまでも私が好きな「推し」でいてください。



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