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【朗読劇 READING WORLDユネスコ世界記憶遺産 舞鶴への生還 『約束の果て』を観劇して】


本当に本当に、この朗読劇を見ることができて良かった。
大好きな佐久間くんが、アイドル・Snow Manとしてではなく声優として参加させていただく朗読劇。
幼い頃からアニメが好きで、声優が好きだった私は、彼の名前と並ぶカリスマ声優さんたちに心を躍らせていました。

情報が解禁された当初のテンションはそんな感じ。

しかし、朗読劇の舞台が引き揚げの地・舞鶴であること。シベリア抑留がテーマであること。
どんどんと詳細が明らかになるにつれて、楽しむだけじゃダメだ、この朗読劇を『経験』しに行くんだ、そんな心持ちで向かいました。

そして、演出を担当されていた松野太紀さんの訃報。開演までに色んな困難がある中で、こんなにも素晴らしい朗読劇を無事にやり遂げてくださり、
関係者各所の皆様、出演者の皆様、本当にありがとうございました。

1階席で見させていただいたのですが、出演者の皆さんの表情がよく見え、「朗読劇」は声で芝居するもの、というイメージを覆すように、ずっと表情が芝居に伴っていて見てて苦しくなるほどでした。

そしてお話が本当に秀逸で、脚色の余地が少ない実際にあった出来事が、より観客の心に訴えかけるものになっていたと思います。

30人を超えるキャストの衣装は黒で統一されていて、小道具はほとんどなく、声のお芝居とアンサンブルの動きで情景を描写していました。

そのアンサンブルの皆さんも本当に良かった。
あの存在が奥行きを生み出していて、つい1人ずつ目で追ってしまいました。

引き揚げ港の場面ひとつとっても、
家族と再開できて抱き合う人、愛する人が戻ってきたことに感極まって崩れ落ちる人、
最後まで自分の家族が船から降りてくるのを必死に探す人、
自分を迎えにくる家族はもういないんだと悟り、肩を落として薄く笑いながら舞台袖にはける人。

彼らの存在によってドラマが幾重にも生まれて、この演劇において役名はないけれど、
確かにあの時代に存在した何人もの無辜の民の存在を思い知らされて本当に苦しくなりました。

戦争体験者の高齢化。当時の悲惨さを生身で体験した人が減っていく中で、
今回の朗読劇は今後の「継承」のあり方を探るテストケースだったとされています。

今回参加はされていませんが、私の大好きな声優さん・三木眞一郎さんが、佐久間大介君の冠ラジオに来てくださった時に言っていた言葉を思い出しました。

『声優は人の人生を借りるお仕事』
『彼らは喋りたいけど声帯がないから僕らが代わりに、頂いた役の人物と一番の友達にならなきゃいけない』

声無き者に声を貸すことを生業とする、
日本が世界に誇る職業:声優。

そんな彼らの朗読によって語り継がれる、当事者の祈りの物語。
血が通うような全力のお芝居に受けた衝撃を、
私も自分なりに誰かに伝えて、繋げられるように。

拙い感想ですが綴っていきたいと思います。

【キャストの皆様のお芝居】

まずは緑川光さん。本当に素晴らしいお芝居だった。
私にとって緑川光さんといえばFate/Zeroのランサー。
あと「血界戦線」のツェッド・オブライエン。いいんだまたこのツェッドくんが・・・神経質そうで正しくて・・・中井和哉さん演じるザップとの掛け合いが・・・。


緑川さんが佐久間君のラジオ番組『マテムり』にご出演してくださったとき、
「さっくんがこのラジオ全力でやってるの知ってるんで、僕も負けないように全力で行きます」と言ってくれた緑川さんに、とてつもなくディルムッドの騎士道の精神を感じた。俺はお前と出会えてよかった!

そんな緑川さん、私にとって大御所中の大御所というイメージなのに、決して偉ぶらず、佐久間君にも優しく接してくださってとても嬉しかった。

朗読劇の稽古が少し早めに終わった時、居残り練習をする佐久間くんに付き添いアドバイスをくれたイノコリ先生・緑川さん。
後輩に対する深い愛情、彼が演じた大森中尉にも同じものを感じました。

朗読劇は、緑川さんが演じる大森中尉が舞鶴の港に降り立つところから始まります。

大勢の人が集まり、皆が大森中尉の帰還を喜び、名前を呼ぶ。大森中尉、万歳!万歳!!

私もうここで泣いてました。だって緑川さんが、大森中尉が本当に嬉しそうだったから。

でもこの朗読劇のすごいところ、
これ夢オチなんです。

私はてっきり、序盤に無事帰還した大森中尉を描き、家族に語り聞かせるように過去回想として
ラーゲリの出来事が展開されるんだろうと思っていました。

でも違った。
なんて残酷な夢なんだろう。大好きな家族に迎えられて晴れやかな気持ちで『ただいま』を言った瞬間に連れ戻される、凍てつく現実の世界。

貨物のように詰め込まれた日本兵たちが行先もわからないまま北の大地を行く地獄。
夢を見て泣いてしまう大森中尉の脆さもここで描かれます。

緑川さん演じる大森中尉、夢の中とはいえ大勢の人が帰還を喜び万歳をしていたことから分かるように、本当に人格者なんですね。
少し堅物ではあるけれど、穏やかで人を慮る優しさがある。

そんな大森中尉の一番好きな場面は、
やはり岸尾だいすけさん演じる幼馴染・沢村と再開した後の病室でのお芝居です。

ラーゲリには医療棟があり、そこに運び込まれたのが大森中尉の幼馴染、沢村でした。

あそこの大森中尉、他の部下の前で見せる顔、聞かせる声とは全然違うんですね。
日本から遠く離れた極寒の地でかつての友と出会い、毎日病室に忍び込んでは昔話に花を咲かせる…。
ここで冗談を言ったり、懐かしそうに声を振るわせる緑川さんの演技が素晴らしくて。
大森中尉にとってこの時間だけが、暖かい日本で過ごした幼い頃に戻れる大切な時間なんだろうな、
そう伝わる本当に素敵な場面でした。

だからこそ、沢村が息を引き取ってしまった後の大森中尉は目も当てられないほどに悲しかった。

仲間を丁寧に埋葬することも許されないラーゲリでは、死体から服を剥ぎ取り、裸のまま雪の上に転がすだけでした。そんな沢村をどうにか埋葬してやりたいと半狂乱でロシア兵に抗議する大森中尉、
「あぁ…沢村…沢村ぁ…」と力なく漏らす姿の頼りなさ、全部がしんどかった…。

しかし何よりも私が緑川さんのお芝居で号泣したのはその後。
沢村に託された『日本に帰還して、両親に自分が最後まで戦ったことを伝えて欲しい』という願い。
それを思い出した大森中尉は生きる気力を取り戻し、泣きながら硬い黒パンを頬張ります。
ここ… ここのお芝居がすごくて…。

緑川さんの嗚咽がリアルで、そこに本当にパンがあるようで、ボロッボロに泣きました。泣きながらご飯を食べたことがある人なら分かる、あの嗚咽と嚥下が混ざって喉がなる感じ、それが本当にリアルで。緑川さん、すごい…。


大森中尉の幼馴染というキーパーソン・沢村を演じたのは岸尾だいすけさん。
私は岸尾さんの声に海外ドラマ吹替で大変お世話になりました。「glee」のブレイン・アンダーソン、大好きだった。

そんな岸尾さん、私の印象だと「デュラララ」の平和島幽など線の細いイケメンキャラを演じる印象が強かったのですが、
沢村の演技を聞いていると『頑丈な身体が取り柄の、快活な人物像』がすっと思い浮かんできました。そしてそれが徐々に弱り細っていく様子も、お芝居によってリアルに想像させられました。

岸尾さんが出てくる場面は2時間の朗読劇の中では一部分だけなのですが、そこがあまりにも濃い時間で、だからこそ彼が亡くなった時の喪失感もすごかったです。


岡本信彦さん演じられる竹本。

この『竹本』というキャラクターはダブルキャストで、1日目は下野紘さん、2日目が岡本信彦さんというキャスティングでした。
本当によかった、し、彼が一番つらかった。

岡本信彦さんといえば私は、
「ハイキュー」の西谷さん、「とある科学の超電磁砲」の一方通行など、快活で元気っ子だったり、がなり声を張り上げて叫んだり、狂気的にあおる演技がお上手な技巧派声優さん・・・という印象。
だからこそ最近の「葬送のフリーレン」のヒンメルは意外というか、柔和で仇やかな優男の岡本さんもめちゃくちゃ良くて…。

そんな岡本さんが今回演じたのが、序盤から険しい雰囲気で少し近寄りがたい竹本という男。

「捕虜となって生きるくらいなら、日本男児として潔く死を選べ」という考えを軍に教え込まれた、
THE・軍人、という人物。

「日本が負けた」という事実さえも情報戦の一環だと信じてやまない彼は、どこか楽観的な島津(演:佐久間大介)にも厳しく当たるんですよね。

でもしばらく聞き続けているとわかるのが、
彼の注意って「死にたいのか」「撃ち殺されたくなければ静かにしていろ」といった、騒いだ他の日本兵の身を案じる注意がほとんどなんですよね。
本当は優しいけど不器用な人なんだろうな、竹本さん。

そんな竹本も、作業中の倒木事故で死ぬ寸前だったところを島津に助けられ、生に希望を見いだせなくなったときに大森中尉に励まされ、徐々に周りと打ち解けていきます。

序盤と比べて、口調はぶっきらぼうで硬いままだけど、声音が少し柔らかくなっているのが分かる岡本信彦くんの演技もさすがでした。

そんな大森中尉、シベリアに抑留された時点ですでに家族を全員失っており、帰りを待つものがいないという。

ラーゲリにいる者たちに「捕虜用郵便葉書」という日本の家族に宛てた手紙が許可された時も、
竹本のペンは進みませんでした。

この、皆が家族に宛てて手紙を書くシーン。
ここが何よりも大好きなシーンなんですけど。

アンサンブルの皆さんが地べたにハガキを置いて、うち伏せになって嬉しそうに文字を書いてる様子が分かるんですね。

絶望に埋め尽くされるラーゲリに訪れた束の間の春。
そしてそんな中、佐久間大介演じる島津くんが「書く相手がいないなら私の家族に宛てて手紙を書いてください」と提案する。竹本さんは困惑します。だって会ったこともない人間から急に手紙が届いても困るだろうから。

朗読劇序盤ではギスギスしていた島津くんと竹本さんが、同じ家族の元へ手紙を送り、いつか日本に帰れた日には同じ家に帰るという兄弟の契りを交わすんですよね。帰る場所なんかないと思っていた竹本さんに、新しい家族ができた日でした。

もうこの時点で涙が止まらないんですよ。
岡本信彦くん、「心の氷、今溶けてます」という演技が上手すぎるんですよ。
島津から思わぬ提案をされた時の気持ちを考えるとたまらない気持ちになります。

竹本から最初は「不忠者が」「見ていると虫唾が走る」とまで言われていた島津くんは、いつしか心の拠り所のようになっていたに違いありません。

そんな島津くんの死。

このシーンについては後述しますが、
朝起きて島津くんが亡くなっていると気づいた時の、「あぁ… どうして… ?」の声。やだぁーーーーーー………辛い… 辛すぎる……

信彦くんが終盤ずっと泣きながら芝居をしているのが見えて、彼が背負う「竹本」の終わりない後悔と自責の念を感じでずっと喉が閉まる苦しい心地がしました。

島津が死んだ後の竹本の独白。
思い出すのは、作業中の倒木の事故で、島津に命を救われた時のこと。

「俺はまだ、お前にちゃんと言ってないんだ…、あの時、俺を助けてくれて、ありがとう…
こんな簡単な言葉も言えなかった俺を許してくれ…島津、聞こえてるんだろう?頼むから返事をしてくれよ…島津…」

この場面、
悲痛な叫びを漏らす竹本を見下ろすように、
ステージ上部にスポットライトを浴びた佐久間くんが立っていました。
無言で、喋らず、それでも慈愛と優しさに満ちた、自分の兄を想うような笑顔で見つめた後、静かにその場を立ち去る島津。この演出が本当に………。

竹本という人間が一身に背負う業。
生き残れた者にも『のうのうと生き残ってしまった』という自責の念を抱かせてしまうのが
戦争の恐ろしいところです。そんなわけはないのに。生き残ってその命は何よりも尊く喜ばれるべきなのに。

そんな彼を支えたのも島津の存在だったと思います。
年老いた竹本さんが言う『お前は夢の中でもいつも笑って…』というセリフからわかるように、
生きていることに謝り続ける中で竹本が今まで人生を繋いでこれたのは、島津の存在だったんだと。

彼は死してな竹本を温め続けたんだなあ、
そう思うと涙が止まりませんでした。


そうだ!佐倉綾音さんの使い方が良かったなあ・・・!

誰を演じているのかわからないままに、
佐倉さんの透き通ったガラスのような声でナレーションが挟まるんですね。
ナレーション:佐倉綾音ってこと?と途中までは思っていました。
それが、記述トリックとまではいかないけど、
「私たちが今聞いていたのがすでに継承された戦争体験だったんだ」という秀逸さ。

佐倉綾音さん演じる大森中尉のお孫さんは、しっかりとおじいちゃんから聞かされて受け継いだ物語を
島津くんの甥っ子くんに語り継げるほどに覚えていた。
さりげなく描かれているけど、これが朗読劇が目指していく姿なんだなと思った。


大森中尉を日本で待ち続けた、奥さん役の井上麻里奈さん。昔から大好きな声優さんで、
「図書館戦争」とか…「まりあ†ほりっく」とか…「物語シリーズ」の老倉育とか・・・「からくりサーカス」のヴィルマとか…!

生で聞く井上さんのお声は本当に素敵で、芯が通って鈴がりんとなるようなお声。

彼女の語る『とても、諦めのつくものではありませんから』というセリフ、その目の前で実際に帰らない息子を探し続ける母親の姿は胸が張り裂けそうになりました。


【佐久間大介と島津秀雄】 

まずなによりも佐久間大介に『島津秀雄』という役が当てられたことにずっと心を砕かれてる。

佐久間大介への当て書きなのかと思うほど、佐久間担にとっては既視感のあるまぶしさを放っていた島津くん。

絶望的な状況、地獄の砂丘の中から一粒の幸せを探せるような人物でした。
彼の存在がラーゲリでの大森中尉、そしてなにより竹本さんの心を照らしたに違いありません。

楽観的で前向き、そんな島津くんですが決していつでも笑っている訳ではなく、
極寒のシベリア、劣悪な環境での作業で息絶えてしまった仲間を丁寧に埋葬してやることもままならない、諦めるしかない場面では、佐久間くんが演じながら拳をぶるぶると震えせながら歯を食いしばる様が良く見えました。

朗読劇は声のお芝居といっても、読み手の表情や些細なしぐさも、観客が情景を想像するツールの一つとなります。
それを踏まえてのお芝居が本当に良かった。表情がコロコロ変わる佐久間君は遠く離れていても島津君の感情の機微が良く伝わってきました。

ラーゲリに収容されるために進む列車の中で、
隙間から見える月の美しさに喜ぶことができる島津くん。
自分に辛く当たってきた上官の命を助けるために、咄嗟に体が動いてしまう島津くん。
でも彼だってずっと楽観的であったわけじゃない。

それがわかるのが、手紙を書くシーン。

島津くんの父と兄は二人とも戦争で命を落とし、
大切な母と妹を家に残したまま。
唯一の男手である自分自身もシベリアから
いつ帰れるかも分からない状況。

身寄りのない竹本さんに、手紙を書く相手がいないなら自分の家族に宛てて書いてくださいとお願いする島津くんは、その流れで次のセリフを言います。

「僕の方からも、竹本さんと言う家族が増えたと。まるで兄さんのような人だと書き添えておきます」
「一時の感情ではありません。恥ずかしながら、ずっと心の奥で願っていました」

あぁ、きっと普段表に出さないだけで、
島津くんは何度も日本に置いてきた家族を案じ、不安になり、「この人が兄だったらどれだけ心強いか」と思いながら過ごしていたのかと思うと・・。

そして、竹本がついに折れて島津の母親の名前を聞いてきたときの嬉しそうな「…!はい!」という声…。
佐久間くんの持つ人懐こさ、少し恥ずかしいぐらい純粋でまっすぐな気持ちを相手にぶつける真摯さが、「島津」という役柄に見事にリンクしているなと感じました。
そんな島津くん、大森中尉と竹本さんにとっても、本当にかわいい弟だったに違いありません。

そんな島津くんの死。

直前まで、心温まる捕虜用郵便葉書の場面だったのに。
次の場面では島津くんがずっと体調を悪そうにしていて、医療棟に行くのも渋っていて。

その時、メタ読みをしてしまった私の体からサーっと血の気が引きました。あぁ、島津くん、死んでしまうんだ。

笑って強がりながらも、明らかにどんどん体調が悪くなっていく様がよく分かって、演技が上手い分、辛さも増しました。

「死を待つだけの医療棟には行きたくない」と、
大森中尉と竹本の側を離れようとしない島津くん。

そんな彼に、竹本さんが上着を貸します。
−40度にもなる極寒のシベリアの夜で、上着一枚無くなることがどれだけ大変なことか。

ボロボロの島津くんはそれに対して「じゃあ、一緒に羽織りましょう」と返すんですね。

そこで大森中尉が言う。

「竹本、俺とお前で島津を挟むようにして眠ろう。こうすればら幾らか寒さも凌げるはずだ」

3人が3人共、自分より他の2人を大切に思って行動してる。こんなにも寒く寂しい北の大地で、この3人が揃うと暖かい。

もう、ずっと泣いてる。涙が止まらん。
ハンカチで嗚咽が漏れないように口を押さえて、呼吸困難になるぐらいに泣きました。

兄と父を失い心細かったであろう島津くん。
そんな彼の両脇には今、父と兄のように慕う、大森中尉と竹本さんが自分の体を挟んで暖を取ってくれている。

次の瞬間発せられた
「あぁ…涙が出るほど幸せな心地です」

というセリフの、声の震え、上擦り、なんて幸せそうな声色。
そして、それを読む佐久間くんの、眉根をぎゅっと寄せて微笑む表情。

極寒の地で大森と竹本の心を温める太陽のような存在だった島津くんの最期が、
−40度の中で二つの体温に挟まれて温かいものだったこと、何度思い返しても涙が出そうになります。

あんな地獄のような状況下で「自分は心から幸福だ」という声帯の震わせ方が出来るんだ…。

声だけで「悲しくて泣いてるんじゃなくて本当に嬉しくて泣いてるんだ」と分かるお芝居ができるんだ。

無くしたものより増えた幸福を数えるような島津くん、最後まで誰かに感謝して幸せを口にする島津くんの姿が普段の佐久間大介とのギャップ無く我々の心に入ってきて、
でも目の前にいるのは確かに『島津秀雄』でそこに佐久間大介はいなくて、涙も鼻水も止まらなくて気づけば会場中から鼻を啜る音が聞こえてきて、 すごかった、本当に。

寄り添って眠りにつく3人。

心底幸せそうな顔で目を瞑る佐久間くん。

緑川さん、信彦くん、佐久間くん、3人を照らすスポットライトが消え、暗転。

翌朝、スポットライトに照らされたのは、

緑川さんと信彦くんだけでした。


佐倉綾音さんのナレーション、
「朝日に照らされたそのお顔は、まるであたたかなお布団で眠っているかのような、それはそれは、穏やかな表情だったそうです」。

この一文が、島津秀雄という人物を何よりも表しているなと思いました。

声のお芝居は噛んだり、どもったり、詰まったりして上手く言えなくなるとその時点で
「台詞」であることが浮き彫りになると思っていて、聞き手は一気に劇中の世界から『あっ今噛んだな』と現実に引き戻されてしまう。

だからリテイクの効かない生の朗読劇においてプロの皆さんはそれを当たり前のようにこなしていて、
そのベースの上に感情演技を乗せたり、表情でのアプローチがあったりする。本当に凄い事だと思う。

それをあのベテランの声優陣の中で佐久間大介も同じようにこなしていて、
そこにどれだけの努力があったんだろうと思うだけで涙が止まらなくなりました。

佐久間担なら心当たりがある彼自身の独特な滑舌がほぼフラットになっていて、ノイズなく『島津秀雄』のセリフが耳に入ってくる。
松野先生の弟子として胸を張れるように、先生に恥をかかせないようにという、生半可では無い覚悟をそこに見ました。本当にすごかった。

そして、今回彼が二役演じるなんて思いもよらず、
ラストシーンでスポットライトに照らされた佐倉綾音さんと佐久間くんを見た時、語り手の理由とこの演劇な構成に大きな衝撃を受けました。

ここはシンプルに「構成が上手い…」とため息が出た。
島津の甥っ子としての佐久間大介、そんな若い世代の彼が戦争の記憶を知ること、そしてそれを語り繋ぐこと。

若い世代からの人気を誇るアイドル・佐久間大介にこの役が託された意味もそこに見えた気がしてまた視界が霞みました。

更には世界中から大きな支持を得る日本のアニメ文化を支える声優さんたち。
彼らの技術で生々しくも胸を打つ戦争の歴史を語り継ぐこと、
入り口はなんだって良い。この朗読劇が開かれたことによって、多くの声優ファン、アニメファン、
佐久間大介のファンが舞鶴に訪れその歴史を知ったことか。

舞鶴引き揚げ記念館に出来た長蛇の列を見て、
この朗読劇の力を感じ、続いて行って欲しいと心から思いました。


【どうやって『繋いで』いくか】


「戦時中は生きたくても生きられない人たちが沢山いたんだから、今を生きる私たちは命を大切にしなきゃ」なんていうつもりはありません。

その人にはその人の生きる辛さの尺度があって、何気ない言葉が氷点下の冷たさをもって命を奪うことだってあると思います。

戦時中にはなかったような、別のベクトルの恐ろしいものも、今の時代は増えているとも思うし。

ならせめて、言葉を大切に紡ごうと思いました。

戦時中と今、明確に違うものといえば文章の届くスピードなんじゃないかなと。

今は指先で叩いた文字が数秒で全世界に解きは待たれてしまう世の中です。

ラーゲリから家族にあてられた手紙は片道半年かかったといいます。
それを読んで涙した家族が書いた返事は、また半年かけてシベリアに届けられる。

遠く離れた地での生存を知るたった一つの術を一年かけて大切に送りあう。
そんな丁寧が今のネット社会で欠けているのかもしれない。

出来ることからでいい、人に強要することでもないけど、例えばオタク用語、ネット用語としてよく使われる言葉たちはどうだろう。

「飯テロ」、「地雷」、「チケット戦争」、

「爆弾が投下された」。

オタクの誇張表現としてつい使ってしまう言葉から使わないようにしていく。そんなことから始められたら良いなと思う。

少しづつ、意味のないことかもしれないけれど、
何気なく使用することで薄れていた単語の持つ恐ろしさ、戦争の恐ろしさの濃度が0.1%でも濃くなれば良い。言葉を大事にするってそういうことから始めれば良い。


この朗読劇の後、お盆のタイミングで実家に帰省したので、幼い頃に戦争を経験した祖父母に話を聞いてみました。

祖父が子供のころ、
原爆投下時に広島駅で働いていたおじさんが、ガラス片を全身に受け、血の滲んだ包帯ぐるぐる巻きの状態で「ピカにやられた!」と家の戸を叩いたこと。一目では誰かわからないほどだったこと。

祖母は子供のころ満州から引き揚げてきたこと、
祖母の父親はシベリアに抑留されてしまい、ロシア語が話せたため通訳として少し良いポジションにいたこと。
祖母の母(私にとってのひいおばあちゃん)は女手一つでこども3人を連れて日本まで逃げ帰り、その過程で飲めるものなら泥水でも飲んでいたため、
妹がある日「おしりからうどんが出てきた」とはしゃぐのを見ると、それが寄生虫だったこと。

一番小さくてかわいかった妹が急にロシア兵に抱き上げられて、その際に嫌がった妹がロシア兵のかけていた眼鏡を叩き落として割ってしまったこと。

「ああ、殺されてしまう」と死を覚悟したけど、ロシア兵は笑って許してくれたこと。

本当にいろんな話を教えてもらいました。
祖父はそこから戦争とは関係ない話、小さいころの武勇伝や自分がどんな子供だったか、
そんなことが好きだったか、いろんなとことを話してくれた後に、
「沢山お話ができて良かった、嬉しかった」と少し涙を浮かべて喜びました。

継承、語り継ぐ、言葉にしてしまうと厳かで恐れ多い、荷が重いものに感じてしまうけど、
話を聞く、話してもらったことを覚えておく。本質はきっとこういうことなのかなと少し思いました。
朗読劇の最後、年老いた現代の大森中尉が言っていた言葉がずっと頭に残っています。

「大事なことだと頭ではわかっているんだ」
「風化させてはいけない、語り継がなければいけないと」
「でもそれは同時に、尋常ではない自責の念をも掘り起こすことになる」

殆どの人が小学生・中学生のころ、授業で『戦争学習』なるものを受けたと思います。

私は修学旅行で沖縄に行き、ガマと呼ばれる防空壕に入り真っ暗にして黙とうを捧げたりしました。

夜はホテルのロビーに集まって、語り部の方に戦争の体験談を話してもらった。

いつになくふざけてはいけない雰囲気にむずがゆくなったのか、わざと「全然怖くねーし」「あー戦争おきねーかなー」と不謹慎なことを言って強がるクソg・・・クラスメイトの男子もいました。

『はだしのゲン』の絵本版が教室に置かれていたけど、「怖いから2度と見たくない」と自分の席から離れた場所に置きなおすクラスメイトがいました。

こんな風に、本来戦争について知ることはどうしたって負の感情を伴うものだと思います。

怖い、悲しい、痛そう、2度と起こらないでほしい。知りたくない。

幼心に不安な気持ちを抱く戦争学習が苦手だった子も多くいたと思う。

でも、話して聞かせてくれた語り部の方も、嬉々として苦労話をしているわけじゃないということ、
そしてその痛みを感じながら未来のために語り継いでくれたことを当たり前だと思ってはいけないと、
大森中尉の台詞で思い知らされました。

ならば、この痛みを背負って繋げないと。
この痛みや恐怖がどんどん薄まっていって、
「大したことがない」と誰かが勘違いしないようにしないと。

そんな痛みを再現するには、演技力がいる。だから声優という職業がある。

伝える側も、観劇する側も戦後世代が主役の朗読劇。来年は戦後80年です。
来年だけではなく、この朗読劇がキャストを変え時を超え、長く続いていきますように。

また我々も少しの痛みを受け継いで次の世代に話していけるように。

そして過去の戦争の話を、2度と起こらない
「永遠に過去のもの」として繋いでいけるように。



【約束の果て】

岸尾だいすけさんと佐久間大介君、
松野太紀先生の愛弟子である二人が演じるのが、
沢村と島津という、劇中で命を落とす二人。

朗読劇を目前に、天国に旅立ってしまった松野先生。

先生から多くのものを受け取った愛弟子の二人が、天国に旅立ってなお、残った者の生きる理由として大森中尉や竹本軍曹の心臓を動かす沢村と島津を演じること。

この朗読劇のベースにずっとある〝語り継ぐこと〟〝継承〟を体現しているなと思ったりして、

意図されたものではないかもしれないけど、その配役にぐっと心臓をつかまれた気持ちになりました。


どんなに理不尽に晒されても辛いことがあっても、ファンに滅多に弱さを見せない佐久間くん。
そんな彼が松野先生の訃報後にXでこぼした弱音。

その後に投稿された、

『これからも先生に教えてもらった発声方法で声を届けます』

という言葉に、確かに見えないバトンを感じました。

これもまた継承の一つ。

松野先生、優しかったなあ。

「スポンジボブ」も「金田一少年の事件簿」も「犬夜叉」も幼いころから大好きな作品だったから、
松野先生の声はずっと聴いてきました。
でも人柄については詳しく知らなくて、佐久間くんの恩師だと聞いたときはとても驚きました。

今年の3月、松野先生が佐久間君の冠ラジオにゲストとして登場してくださった時。
そのラジオの中で話松野先生は、陽気で楽しくて、お話自体がとても上手な方で、お茶目だと思った。

軽快に進む会話の中で突如、

松野さん「これ何月?」

佐久間くん「あっ出た!!一番むずいやつ!!
え、えー…2月(に→が↑つ)!!」

松野さん「これは?」

佐久間くん「4月(し↑がつ)… あっちがうか」

松野さん「ブー!!!!」

油断してただろと言わんばかりに突如アクセントの指導をする松野先生、慌てて読み上げる佐久間くん。先生と生徒の空気感がラジオ越しに伝わり、笑顔になったのを覚えています。

佐久間くんが単語と単語がくっついた場合のアクセントを「この場合どうなるんですか」ってすぐに聴いて、それを松野さんがすぐ答えて…って、
あの瞬間が本当に素敵だった。

「僕現場に行くたびに松野太紀先生に教わったんですって言ってます」と佐久間くんが言うと、
「えーーーっじゃあお前ちゃんとやってくれよー!NG出したらタダじゃおかないからなー!!」

と嬉しそうに返していた松野先生の声は今でも思い出せます。

そしてなにより、恩師を冠ラジオに呼べた佐久間君の嬉しそうなこと。テンション高いなってファンならすぐわかる声をしてた。

松野先生の訃報後に収録された同じラジオ番組で佐久間くんはこんなことを話していました。

「松野太紀先生が僕の先生なんだって胸を張って言っても先生が『やめろよ言うなよ!』って恥ずかしくならないぐらい活躍するのが恩返しなのかなって」

「本当に松野先生は自慢とかするタイプじゃなかったけどそんな先生が『あいつ俺が教えたんだよ』って自慢できるぐらいになりたい」

私は2人の関係の全てを知らないし、会ったこともない人間だけど。

きっと佐久間くんの朗読劇を見た人は、
「松野先生は凄い人だったんだな」と思うような、
そんなお芝居をしていたと、
きっと先生も天国で自慢げにしてくれてると思います。
それぐらい、本当に素敵な朗読劇でした。

朗読劇が終わり、割れるような拍手の中何度もカーテンコールがあり、一番最後に幕が上がったタイミングで緑川さんが『我々4公演、演じきりました』と言った瞬間、それまで目を潤ませてただけの佐久間くんが決壊したみたいに、涙を堪えきれない様子で
「松野太紀さんに感謝を込めて拍手をしたいです」と言った時、この日一番大きな拍手が上がりました。

また、カーテンコールで佐久間くんが松野先生のお話をされてる時に、
アンサンブルの方が皆顔くしゃくしゃにしてすごく泣いてて、その中でロシア兵を演じられていた役者さんも顔をくっしゃくしゃにして泣いているのも見えました。

劇中は威圧感があり恐ろしく見えた役者さんの素顔。あまりにも都合の良い解釈ではあるんだけど、
それを見て「鬼か悪魔のように見えた敵国の兵士だって同じ人間なんだ」「戦争というのはそういうものなんだ」という実感がみるみる湧いてきてそこでも涙が止まらなくなった。
同じなんだ、みんな帰りを待つ人がいて家族のために必死に戦った人間だった。


この朗読劇のラストは、約束の果てに皆が集い、その上の空を柔らかな風が吹き抜ける、寂しくも優しい終わり方でした。

皆がそこにいるはずの島津を思い、また島津も風となって見守ってくれるような、優しい約束の果て。

そのラストが、演出を務められた松野先生と、その先生の思いに報いるように命を削るような芝居を務め上げて約束を果たした出演者の皆さんに重なりました。

私が舞鶴に訪れたのは8月11日。

今年の夏はどこも猛暑で、特に京都は過酷な暑さだぞと色んな人から聞いていたのですが、

舞鶴にはずっと心地の良い風が吹いていました。

広げた日傘がこうもり傘になってひっくり返り、
急いで閉じるほどに強い風でした。


きっと、同じ舞鶴に、約束の地に、
松野先生もいたんだなぁ。

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