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【ミチノク峠の旅 #01】日本版ブラザー・ベアを作りたい
かずのこさんからミチノク峠さんへ
迫田
あの、僕がミチノク峠さんを知って出会ったタイミングは「カズノコ」さんという名前で活動されていて、現在は作られている作品の名前と一緒の「ミチノク峠」さんに改名されたというところですね。
ミチノク峠
そうですね。あの、諸事情というか説明させていただきますと、「カズノコ」というペンネームは結構多く使われているようでして、以前は、ゲームやプロゲーマーの中に「カズノコ」という名前の人がいたようですが、私は畑違いだったので、その時はそれほど気にしていませんでしたが、最近ではYouTubeで映像制作ソフトのハウツーを伝授する方に「カズノコ」という名前の方がいらっしゃったり、イラストレーターの方にも同じ名前の方がいらっしゃるようでして、自分の名前を変えることにしました。「ミチノク峠」という作品を制作していたので、その作品を売るために、自分の名前を「ミチノク峠」としました。少し分かりにくいかもしれませんが、許してね、という感じです。
迫田
いやでも、あの本当にいいチェンジだったと思います。実際、イラストもそうですし、アフターエフェクトもそうですけど、ミチノクさんが持たれている要素がどっちもやっぱ一緒というか、その同じ領域なので、確かにあの見る側からすると、お客さんやファンからすると、ややこしさはやっぱあったはずですよね。ちなみに『ミチノク峠』という作品自体は結構前から着手されてましたよね。
ミチノク峠
そうですね。今からもう2、3年ぐらい経ちますかね?昨日のことのようなんですけど、あっという間に時間が経ったって感じです。
迫田
はい。いやでも2、3年というと、もう本当こうコロナが発生し、ウィズコロナで、そしてまあまだ過ぎ去って無いですけど、まあちょっと、アフターコロナになったかなぐらいの時間軸なんで、結構、僕も体感としては一瞬な感じがしますね。2、3年っていうこの時間軸は。
アニメ映像を志すきっかけ
迫田
多分このクラファンでミチノク峠さんを知られた方はどういう方なのかなとか、何をされてきた方なのかなって。 特に作り手はめちゃくちゃ興味があると思うんですよ。謎に包まれているが、作られているものがすごいクオリティなので。 ええとこの人、いったいどういうところから現れ何をやってる人なんだっていうのが結構皆さん興味があるんじゃないかな?と思ったりはしてます。
というところで、あのまあそれが今現在なんですが、少し過去に時間を戻して、ミチノクさんがあのまあどういったことがきっかけで、今の映像を作るというキャリアに踏み出したのかという話を少しお聞きしても大丈夫でしょうか?
ミチノク峠
はい、そうですね。もともとなんて言うか、うん。 仕事見つける上でまあ学生時代ですけど、高校生なのかな?その時にえっと3DCGを勉強してたんですよ。なんかやっぱりその頃すごく新鮮というか、そのまあ画期的なツールだったので。 まあそれを切り口にして勉強して行く上で、3DCGのクオリティを上げる決め手って何なんだろうってちょっと思っていたら、その2Dアニメーションの考え方がやっぱり土台にあるなと思ったんですよね。演出とか、特に3DCGのその当時の学生作品っていうのは、そのモーションがすごくこう貧弱だったんですよね。
だから、アニメーションまあ、そのアニメーションのノウハウをちゃんと勉強してみようと思って勉強してった結果、徐々にその2Dアニメーションの世界に興味を持つようになって。まあ、 気づいたら3D CGじゃなくて2Dアニメーションどっぷりのお仕事、仕事をするようになりました。
迫田
なるほど。あの、最初は3DCGから始まったってことなので、あの作品としても成功して世の中に出ていた作品の中では3DCG作品が好きだったんですか?
ミチノク峠
そうですね。えっとまあ、その頃はあの、ディズニーのピクサーが全盛期で、その3DCG最先端イコールピクサーって感じだったので、えっと、『トイ・ストーリー』の頃はまだ知らなかったんですが、一番好きなのはえっと『モンスターズ・インク』ですね。『モンスターズ・インク』もその映画を見て、こんなにリアルでストーリーもすごかったんで、なんかストーリーもキャラクターもすごい魅力的だなと思いつつ。で、メイキングのDVDを見たんですよね。そしたらあの、やっぱりその技術 的な話というよりもやっぱりそのやっぱクリエイティブな部分、その 3Dじゃない技術的な部分じゃなくて、まあ2D、アニメーションに近い話をしていたので。まあ、それで。なんかその2Dの。 アニメを見るようになりましたね。
迫田
なるほど、あのその『モンスターズ・インク』の頃って、多分2000年と2001年とかそのくらいだったと思うんですが、あの逆になんだろうな。日本国内で言うと、結構その深夜アニメがバーンと来てた時代かな? とも思うんですが、ミチノクさんは、その当時はどちらかというと、ディズニーピクサーのようなこっちの方3DCGの映画作品を見ることがまあ当初多かったということなんですね。
ミチノク峠
厳密に言うと、中学校とか、小学校高学年ぐらいですかね?だからそのなんだろう。もちろん、その深夜アニメというか、そういう世界を知らない時期だったんですよね。なんかその頃は何て言うか?結構オタク文化が、前に出てこない時期というか。 オタクイコール反社会でキモいみたいなあの位置づけだったんで、僕もどっちかっていうとそっち寄りだったんですよね。その一方でもう一方で、3DCGって新しくて、しかもピクサーってなんとなく海外でハリウッドでおしゃれみたいなイメージがあったんで、なんかそっち寄りでしたね。その注目する観点はまあのちのち、そのまあ3DCGのクオリティを上げるために2D勉強して。 で2Dの勉強をして行くうちに何ていうか、その日本には実はなんかかなりすごい2D文化があるんだなってこう後々知った感じですね。
迫田
なるほどなぁ。でも3DCG作品であったとしても、もともとのスタートはコンセプトアートやレイアウトだったり、コンテはやっぱり手で描かれていて、今でもやっぱりそのディズニーピクサーのメイキングを見ると、あの最初のVコンテなんかはやっぱ絵でね、書かれていますしね。
ミチノク峠
はい、そうなんですよ。ピクサーのコンセプトアートとか、そのコンテっていうか、storyboardってあっちは呼ぶみたいなんですけど、なんかそれがすごい魅力的だったんですよね。コンテの絵ですら、こうなんか日本のコンテみたいにメモ書きな感じではなくて、なんかイラストレーションとしてちゃんと成立するようなクオリティだったんですよね。で、かつなんだろう、そのスタッフによって….、あ、すみません、なんか今猫がはねとびしちゃった音が聞こえちゃったと思うんですけど。
迫田
はい、全然、もう猫と一緒に出演いただいてありがとうございます笑
ミチノク峠
猫2人、2匹いるんですけど、2匹と共に仕事してる感じですね。そうですね。あれ なんの話だったっけ?
迫田
あの、ストーリーボードが素晴らしいと。
ミチノク峠
ああ、そうですね。はい、えっと、なんかスタッフによっても、そのスタッフ自体の個性も魅力的だったんですよ。それぞれのスタッフが違う絵柄で書いてて、もうなんか本当にピクサーってこう、かっこいいなあと思ったんですよね、その頃は。でも今はやっぱり何ていうか、ネットの普及があって、そのなんて言うか業界というか、ジャンルの境界線が透明になってきた来たんで、やっぱりだいぶクオリティは上がってきてるんですけど、そういう意味でこう個性的というか、それぞれの作家性みたいなのは薄まっている感じがしますね。まあ、仕事はしやすいんでしょうけど、でもやっぱり見る側としては、昔のコンセプトアートの方が、魅力的に映ります。
迫田
やっぱそれはこう会社としてもそうですし、どんどん大きくなる中で必然の流れで、周りを見ながらいろいろ取り入れていかなければならないというか、そのある程度なんて言うのかな、その初期はやっぱすごくひとりひとりがアーティストとして自分の個性を出して、その作品に対してその個性をぶつけるっていうところが少人数だからこそできていたっていうところはあったんだろうなというのがどんどんこう規模が拡張している中で、会社も作品も上のステージに行くっていうところで、やっぱその辺りの希釈化というか、薄まっていく感覚は、やっぱどの会社どのなんか業界にもありますよね。
ミチノク峠
うん、そうですね。なんか、なんかピクサーと言うか、ディズニーだけは違うのかなと思ったんですけど、なんかやっぱすごくでかい組織な分、まあなんかマーケットインの代名詞みたいになっちゃってますよね、現在は。だから昔と今ではだいぶ違うなとは感じますね。
迫田
うんうん、その今のそのディズニーピクサーの話や、そのマーケットインプロダクトアウトみたいな話もなんかすごく掘りたいなと思うので、またどこかで話せればと思うんですが、やっぱり初期、そのミチノクさんがクリエイティブの道を歩みだす時に影響を受けた人だったり、会社だったり、作品っていうのはその時期のディズニーやピクサー、主にピクサーだったってことなんですね。その時期で言うと、『モンスターズ・インク』もそうですし、『ファインディング・ニモ』とか『Mr.インクレディブル』とか、そのあたりのディズニーですよね。まあもちろん『トイ・ストーリー2』もちょっと前にありましたね。
ミチノク峠
うんうん。あ、そうなんですよ。まあ、憧れていた、影響を受けた人物も全部そのピクサーのメイキングDVDに出てくるような人たちだったので。そのまあ、ぶっちゃけ就職したかったんですよね、ディズニー・ピクサー。でも僕がその学生になって、その就職活動する頃にはディズニー・ピクサーは魅力的な会社じゃなくなってて、僕にとって。
日本人気質であるということ
ミチノク峠
なんか国内でその、 日本人として日本人の気質というか性質を生かした作品作りができるような環境で仕事したいなあと思いました。まあ、あとは単純に海外留学をする度胸がなかったっていうのもあるんですよね。その頃は別にそんなことないって言うと思うんですけど、そのまあ、言語の問題とか、あとはそのハリウッドの中に入って日本人がアーティストとして尊重されるのかどうかが分からないから、その海外留学はやめたほうが良いっていう言い訳をしてたような気がします。結果的になんか国内で個人的に活動してるのも悪くなかったのかなと思います、今は。
迫田
なるほど。過去憧れていたものの話を聞いた時に、やっぱ自分の中で繋がったのが、ミチノクさんが今、作品の『ミチノク峠』という作品で描かれているものが、この日本人気質っていうキーワードがかなり投影されてるなと思いました。実際はやっぱこうミチノクさんのこの絵、あの静止画もそうですし、動画もそうなんですけど、やっぱこうレイアウトにすごいストーリーを感じるなっていうのは常に思ってはいるんですよ。
パッと見のレイアウトがやっぱカッコいいし、すごくあの世界観見てみたいなと思わせるようなその背景があるんじゃないかってなんか思わせるようなものなので、やっぱそういうところが過去憧れていたピクサーが持っていたストーリーボードへの憧れなんかところからもにじんできているのかななんてのは自分の中で勝手に繋がったところではあります。
ミチノク峠
まあ、確かにそう言われてみると無意識的には影響しているかもしれないですね。
迫田
やっぱこのストーリーボードを見る中、その一枚の絵で止まってるんだけど、なんかものすごく背景やストーリーを感じて、頭の想像が膨らむっていうのが、やっぱりすごく素晴らしいじゃないですか、ピクサーのストーリーボードって。
ミチノク峠
そうですね。まあ、ピクサーに限らず、なんていうか、その2Dアニメーションとか、あとイラストレーションの勉強をしていた時もそうだったんですけど、学生の頃、アニメーションを一生懸命書いててこう躍動感が出なかったんですよね。
なんか生き生きもしてないし、なんかこう空気を感じないというか、明らかにイラストや漫画よりもその口数が多いのに、アニメーションとか映像って、躍動感が出ないんだろうってこう原因追求していったら、躍動感のある静止画とか空気を感じるようなイラストとかそういうのを見てて、ああ、やっぱりその絵としての力がないと、そもそも動かしても口数が多くならないんだなって気づいて、だいぶ構図とか、そういう一カット一カットに漂う空気感みたいなのをすごく大事にして制作しています。
迫田
ああ、一つ秘密が僕の中に解明した気がします。うん。あのそうですね、前半でお聞きしてきたのが、クリエイティブを志したきっかけになった部分や、実際に走り出す前のタイミングに思ってた気持ちみたいなものをお話しいただいたんですが、この後曲を挟んで後半では、実際にディズニーピクサーに就職したいと思いつつ、国内でお仕事をし始めたというところで、どういった形でお仕事を始められて、どのような変遷を経て今に至っているのかっていうところにお聞きしていければと思っております。なので、まずは一旦前半の終わりのところでこの流れを踏んだうえでの曲があると思うので、そちらをご紹介いただいてもよろしいでしょうか?
ミチノク峠
はい、あの散々ピクサーピクサーって言っててそれからちょっとずれてるんですが、同じ時期に公開されていた、ディズニーの『ブラザー・ベア』っていう2Dアニメーションがあったんですね。それにもすごい感銘を受けて、まあそれにこそ、やっぱりその絵心の大事さみたいなのをこう影響を受けたなと思っていて。で、その中で使用している、されてるサウンドトラックっていうのがすごくいいんですよ。80年代に活躍されたフィル・コリンズっていうアーティストを初めて知ったんですけど、その方とディズニーがコラボしてサウンドトラックを作ってるんですね。だから、それのサウンドトラックですね。
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