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【松浦直紀の旅 #01】 宇宙で自分しか気づいていないこと


漫画家を夢見る小学生、大長編ドラえもんが好きだった

迫田

はい、ようこそ来ていただきました。よろしくお願いいたします。

松浦

はい、お呼びいただいて光栄です。

迫田

ありがとうございます。今日は松浦さんに様々なお話を聞いていきたいなと思うのですが、事前に松浦さんからのネタメモを頂いている中で――。

松浦

曼荼羅みたいな……(笑)。

迫田

本当に曼荼羅みたいな、様々な年代のエピソードがこういろいろな場所に分布している、ネタメモをもらっている中で、一旦、小学校・中学校・高校みたいなところの話を聞いていきながら、今のキャリアを目指すきっかけになった出来事だったり、現在やられていることや、悩むこともあると思うんですけど、その中で出てきた創作哲学だったり、今の思いみたいなものもいろいろお聞きできればと思うんですけども。

まずは一旦道しるべというか、松浦さんがどういったキャリアを歩まれているのかを一度いただいたプロフィールを読み上げながらご説明していければと思いますが、よろしいでしょうか?

松浦

はい。お願いします。

迫田

これは…、多忙ではないでしょうか?

松浦

ああ、おかげさまで、はい(笑)。いろいろやらせていただいてますね。

迫田

ちなみに今の気持ち、どんな感じなんですか?2023年も秋に近づいてきましたけれど。

松浦

そうですね。まあまあ、世の中的にいろいろありますけど、まあ、平和になるといいなと思いますね(笑)。広すぎるか、話が(笑)。はい。えっとじゃあどうしましょうか?幼少期、というか昔こんなんだったみたいな話とかをしながら……の方がいいですかね?

迫田

パッと今のプロフィールを聞いた人は、やっぱ「オリジナル作品の作り方ってどうするんだろう?」とか、「お金集めってどうなってるの?」みたいなところとかも聞きたいって思われるかなと思うんですけど、一旦そこに向かうまでにどういった道筋があったかを先にちょっと話して、で、まあメインディッシュ的にその話を細かくできればいいのかなって思います。

あと、めちゃくちゃネタメモの面白いエピソードがあるので、そこから抽出して話していっても大丈夫ですか?

迫田

はい、小学校の頃は漫画家が夢で、やっぱ『ドラえもん』だったりの影響で、『ドラえもん』は映画も見られてたと思うんですが、漫画版がバイブルだったんですかね?

松浦

大長編っていうのかな、あの映画の藤子・F・不二雄がご存命の時に、映画の方の話を漫画になってるのがあるじゃないですか。それが多分、分割でコロコロとかで連載されてたのかな?それがまあ、毎回単行本になってたんですよ。

で、ショートエピソードの方ももちろん好きなんですけど、そっちの映画のもとのやつが漫画になってる単行本があって、それをずっと買って集めて読んでましたね。

迫田

その他に見られていた作品群は『ドラゴンボール』や『勇者ロボ』『アキア』『攻殻機動隊』ということで…。

松浦

そうですね。もうベタベタですけどね、うん。小学校・中学校は『ドラゴンボール』でしたけど、リアルタイムではないんですが、『アキラ』のアニメを父親がビデオで見てて、「なんだこれ?」ですよね。あのラストシーンとか、もうびっくりするじゃないですか、あんなん見たことないし。で、もう気持ち悪くてしばらくピザ食えなくなったし。

でまあ、ただ存在は知ってたけど、どんな作品なんだろうってのは、あまりの衝撃で興味持つようにはなって、少ないお小遣いで単行本ちょこちょこ買って、「あ、こういう漫画があるんだ」って。で、そこから『アキラ』にどっぷりハマっていって。でまあ、あのネタメモにも書きましたけど、ニューヨークかなんかでの上映予告のキャッチコピーで「暴力的で美しい」っていうキャッチコピーがあったんですよね。で、それが「なんかすげー、暴力的だけど美しいってどういうこと?でも確かに『アキラ』ってそうだな」と思って。

自分は『ドラえもん』が大好きでもうずっとお花畑にいたんだけど「暴力的で美しい」って確かにそうまあそう言えるなって。単純に勧善懲悪の世界観――要は「暴力いけません」じゃなくて、「暴力的だけど美しい」って言葉にすごい惹かれて。それで結構舵転換が起こったっていうか。やっぱ大友さんの漫画をそこから遡って買い集めて読んでましたね。

迫田

『ドラえもん』も意外とアイロニカルだったりして、大人になって見てみるとまた摂取できるものがあるなとは思いつつ、やっぱこの『アキラ』だったり、他にいただいてるやつだと『寄生獣』だったり….。

松浦

はい、『寄生獣』もそうですよねぇ。『寄生獣』もショックでしたよね、本当にバイブルで、もう何十回も読んでもう名シーンばっかですけど、やっぱミギーが後藤と戦って一回死ぬじゃないですか。いろんなね、名シーンありますけど、一回新一とミギーが寄生生物を殺す殺さないで口論になって、ミギーが新一に「君と私の立場が逆だったらどうする?」って聞くんですよ。

で、新一が「うーん」って悩むんですよね。それでミギーのモノローグで「こう言うと悩む。これが人間という生き物なのだ」っていうミギーのモノローグがあって、「あぁなるほどな」と思って。人間ってだからその要は、自分じゃない他の人の立場に立って考えることが想像できるじゃないですか。すごくその、示唆が深いシーンですよね。だからそういうところを経て、『寄生獣』はまあバイブルですよね、今でも。

お腹の中の小人さんの話「暗黙の了解についての僕の原体験」

迫田

松浦さんの『寄生獣』の印象に残ってるシーンからやっぱ感じれるのが、根底にあるメッセージ性といかなんか、例えば『ヒトしずく』の時に書かれてたやつだったかな、世界の約束事を受け入れる少年や、「暗黙の了解についての僕の原体験が書き込まれてます」みたいな話は本の中であったと思うんですけど。

松浦

ああ、はい。あ、あれも読んでくださったんですね、光栄です。

迫田

あれ、めちゃくちゃ面白くて。つまりなんていうのかな、なんかちょっと小難しい話になっちゃうかもしれないんですけど、世の中を演繹的に捉えるトレンドの中で「もともとこんな前提があるよね」とか、そこで思考停止してることって結構あるのではないかっていうところとか、人間が考える考え方で結構そういう型になんか毒されてるわけじゃないんだけど、そういうところへのアンチテーゼはないんでしょうけど、なんかモチーフがあるのかなと思ったときに、やっぱこのミギーがそうやって人間をこう俯瞰してみて、「あ、人間ってこういうふうに考えるのか」っていうところに興味がいくっていうのも、世の中というか、社会というか、そんなものがなんか当たり前のように我々の前に差し出されているんだけど、我々ってなんでそれを普通に真っ正面からしか見ないんだろうみたいなこととか。

松浦さんが本で書かれていた「世界の約束事」って言い方が僕は結構面白かったっていうか、すごいよかったなと思うんですけど、僕もテーマ性に共感することが結構あって、なんで人はこういう風に考えるべきっていうふうにみんな言うんだろうみたいなこととか、だから『寄生獣』もやっぱりこの全く違う文化や慣習や価値基準の人、つまりミギーという宇宙人がいる中で同じ目標に向かう時に全く違う思考回路をたどるっていうとこがめちゃくちゃ面白いじゃないですか。

だからなんか、そういうモチーフはずっと松浦さん作品には生きてるんじゃないかなっていうのはなんか今、「寄生獣」の話を聞いてて思いました。

松浦

めちゃめちゃ深く分析して下さって。そうですね、その卒業制作の話を触れていただいたんで言うと、原体験はですね、ある絵本があって、それは幼稚園の時に読んだ絵本なんですけど、人間の体の中には小人さんがいて食べ物を片付けてくれてるんだよ、みたいな絵本があったんですよ。幼稚園の自分はそれを信じて信じてたんですよね、本当に小人さんがいるんだな、と思ってたんですよ

それで小学校上がって、二、三年ぐらいの時に、台所でトントンってこう炊事してる母親に別にそれとなく「あ、そういえば、小人さんっているんだよね?」って聞いたら「あ、あれ嘘よ」ってぽろって言われたんですよ。それがこの『ヒトしずく』の原体験なんですけど、なんかそういうことっていっぱいあるなっていうか。で、その時「あっ騙された」とか、「大人が嘘ついて言ったんだ」って反骨心が芽生えたというわけではなく、こう上の方からピースがす~って降りてきて、こうポコッと自分の体にはまったみたいな感覚があったんですよね。

もっとわかりやすく言うと、サンタクロースもそうじゃないですか。僕も本気で信じてて、友達と口論になったりしたですけど(笑)。まあでも現実的にはあの親御さんたちが子供たちに夢を与えてるわけですよね。まあでもあれって誰かがいつ教えなきゃいけないとか決まってないけど、なんかみんなそれとなく時を経て、「あ、あれはお父さん、お母さんがやってくれてたんだ、嘘をついてくれていたんだ」って気づくじゃないですか。でなんかそういう、その時の心の変化って面白いなっていうのは、まあ卒業制作の時の出発点っていうか、モチーフになった体験ですよね。

迫田

なんかその心の変化って、みんな原体験的に感じてるんだけど、そこに何かペグを打ってその時の感情を描こうって思う人が結構いないような気がしますよね。そういうのって、ささやかに流れていくものじゃないですか、「ああ、そうなんだ」みたいな。

松浦

そうです、「なんか言っちゃえばそうそうだよね」ぐらいに終わっちゃう話なんですけど。

迫田

「社会に適応する人間」みたいなパズルがあって、そのピースがどんどん上から降ってくるものがあって、そのパズルが出来上がるみたいな感覚かなっって、僕の中で勝手に解釈したんですけど、なんか大人って、全然無邪気にそういう「世の中の社会の真実」を言うじゃないですか、何げなく….。

ちなみにこの本は松浦さんが『火づくり』を作られた時に、多分、これコミケとかで売られてたんですかね?

松浦

ああいや、それはクラウドファンディングのリターン品として作って、売ったりはしてないんですよね。たぶん部数も、150ぐらいしか作ってなくて。で今、半分以上はうちに在庫あるまま……(笑)。

迫田

いやこれ、めちゃくちゃ面白い本なんで、世の中に出てほしいと思いますけど。

松浦

まあ、なんか機会があったらそういう、売ったりしようかなと思ってたんですけど。全然在庫がうちの押し入れに入ってます。

手塚治虫のブッダに感化される中学生

迫田

今喋っていただいたのが、松浦さんが暗黙の了解について感じた原体験のお腹の中の小人の話だったんですけど、なんかこのエピソードを語られるときにこの書かれている文章も、結構情景が見える文章になっていて。例えば「母があっさりあれは嘘よと言い、そのままトントントンと炊事を続けた」っていう。僕、このトントントンっていうとこだったり、その生活のモチーフみたいなものはなんか、ほかの松浦さん作品でも、もちろんこの後話す『火づくり』にも繋がっている話だなと思うし、非常に印象的なんですよね。

音ってこの、僕もやっぱり母が炊事場でトントントンって包丁でものを切っている音っていうのがやっぱなんかもう原体験的にはこの自分の幼少期を象徴するような感じなんで。この表現がすごく面白いなと思ってるんですよね。

松浦

まあ、その辺の文章はお友達と自分の妻がずっと編集手伝ってやってくれました。僕はその元の文章をバーッと書いて、読み物として面白くなるようにということをしましたが、基本はその2人が一生懸命構成してくれた賜物ですね。

迫田

本当いい文章なので、またなんかどこかで出る機会があれば、皆さん読んでいただいて、ということで。で、すいません、案の定やっぱり小学中学の話しましょうって話始めながらめっちゃ現代というか…。

松浦

ああ、作品のほうにいっちゃましたね(笑)

迫田

まあこれも良しということで、また戻っていければと思うんですけど、中学がそういった形で 『AKIRA』や『寄生獣』がバイブルになり、そこに手塚治虫の『ブッダ』も加わるという。

松浦

『ブッダ』もね、衝撃ショックでしたよね。だからやっぱ中学生ってまあ色々そういうことを考えるじゃないですか。

迫田

僕はかなりボケ~っとしてましたけどね(笑)

松浦

あ、本当ですか?(笑)うちは父も母も特定の宗教のあれじゃないんで、そういうのなかったんですけど、『ブッダ』が家に置いてあって、こう別に何気なく読み始めて、何巻だったか覚えてないですけども、要は人の心の中に神がいるのだみたいな、ことを途中で悟るシーンがあるんですけど、なんかそれすごい覚えてて。「あ、そっか、心の中に神様っているんだ」と思って。で、その当時すげえ感動して、野球部の友達に「人の心の中に神がいるんだよ」ってすげえ嬉しそうに話したら「ふ~ん」って言われてなんかリアクション薄くて、「あれ?みんなあんま、こういうこと考えないのかな」と思って、あんまだからそういう話する友達あんまいなかったっすね。

迫田

いや、中学生なんてそんなもんですよ(笑)

松浦

だから傍から見ると俺も変な奴だなと思われたと思うんですけど。

迫田

なんかやっぱその時期って年代にもよりますけど、僕は何だったかな、 『ドラゴンボール』とかやっぱ『スラムダンク』とかその辺だった気がしますけど、まあそれらの作品からも人生や色々なものを学べますけど、なんかもうちょっと深遠な部分を受け取れますよね、『寄生獣』や『ブッダ』や『AKIRA』みたいな漫画に触れていると。

松浦

そうですね。『AKIRA』とかも最初一回読んでも全然訳分かんないですもんね。いまセル画展やってますけど、この間観に行ってやっぱ改めてまた映画見返したり漫画見返したりしてましたけど、やっぱ真理ですよね、あそこで描かれていることは。


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