35歳、ひとり、八番で呑む
・今夜はご機嫌かよ
特別良いことがあった訳ではない。
ただ悪いことがなかった金曜日、それだけで幸せ。
+の物事だけを喜ぶのではなくむしろ-なことがなかったことを喜ぶ。
そう思える年齢になった。
しかも今日は花金。なにもなかった週末を祝って少し飲んで帰ろう。
若い人たちには半ドンや花金といった言葉はもう通じないのだろうか?なんて考えつつフラフラと歩いて向かおう。
・ハイボールの人
立飲み八番。
以前は大阪が誇る立ち飲みチェーン、得一 新深江店だった。
かなり前に現店名に至る。
見た目はイカツいけど笑顔が可愛い大将と、数名の若い女性店員が出迎えてくれる。
初めて店に訪れた時の話。
私は右瞼に大きな傷跡があるのだが、それを見つけた大将が「兄ちゃん、ボクシングやってんのか?」と話しかけられた。
今はもう移転してしまったが、数年前には名門グリーンツダボクシングジムが道向かいに移転してきた頃だったからだろうか。
「ボクシングじゃないんです」と控え目に返答すると大将は「ごめんごめん、でも次からボクシングって言うたら?カッコええやん。」と。
この大将の屈託のなさに心をつかまれたといっても過言ではない。
また、大将以外は3~4人の女性店員で構成されている。
ホールスタッフとして皆せわしなく動き回っており、若く愛嬌があって接客もいい。
完全に大将の主観で揃えられたスターティングメンバーである。
そんな店員さんに「今日もハイボールですか?」なんて聞かれると「ハイボールで。」と答える以外の選択肢は持ち合わせていない。
かれこれ数年「ハイボールの人」ってあだ名をつけられているだろう。
今日こそは!と思いながらも、最初の一杯にハイボール以外をまだ頼めたことはない。
・立ち飲み屋はプライオリティをどこに置くべきか
店のウリはというと海鮮が主。
朝の仕入れに寄ってバラツキはあるが、鮮度もよくて美味しい。
それ以外にも定番のもつ煮込みから塩サバ焼き、生センマイや唐揚げなど酒のアテが幅広く揃う。
飲み物は特に変わったものはなく、ビールにサワー、焼酎、酒にウイスキーが幅広く揃っている。
腐す訳じゃないが決して安い!という角打ち価格ではなく、角打ち以上居酒屋未満の価格でしっかりしたものを出す店だ。
¥120~130のアテも揃ってはいるが、海鮮ものなんかは¥300~、少し手が込んだ焼き物などは¥480、鉄火巻は¥680と立ち飲みにしてはそれなりの価格である。
立ち飲み愛好家にとって優先される項目は人それぞれ。
人によっては安くてベロベロに酔える店。
人によっては美味しいものを気軽に食べられる店。
人によっては居心地と雰囲気に包まれる店。
どの店も違ってどの店も良い。
立ち飲み屋に求めるプライオリティに正解は無いのだ。
・手抜きせずしっかりとダラダラする
なんにせよ注文だ。
年季の入った暖簾をくぐる。
すると、いつもの女性店員からカウンター席に案内された。
それと同時に「あ!こんばんわぁ、ハイボール?」と聞かれるもその手にはすでにハイボールが入ったジョッキが握られている。
それ別のお客さんのじゃない?
もちろん断れるはずもなく、席について1秒でハイボール(¥330)着。
あまりの早さ、いや速さにアテを選んでいる時間がなかった。
「日本で一番早くハイボール出てくる店?」と聞くと「さっきチラっと見えたから。」と笑う。ただの神対応だった。
慌ててカウンター前に貼られている手書きのメニューと、短冊に書かれているメニューを見渡す。
選んだのはきゅうり古漬け(¥280)
いい感じに漬かっているが、ポリポリとした歯ごたえは残っており、量も申し分ない。
ちびちびと呑んでいく。
この店ではスマホを片手にダラダラと過ごす事が多い。
優先順位がとびきり低いことを調べたり、いらないアプリを整理したり。
パッと飲んで出る、というよりもしっかりとダラダラする店なのだ。
なんならこの「ひとりで呑む」記事もここで呑みながらスマホで書いていることが多い。
ダラダラと過ごし続け、古漬けを半分ほど食べ終わったタイミングでハイボールが尽きた。
どうするかしばらく考え、チューハイのプレーンとひね鶏たたきを追加。
バーナーで炙られたひね鶏にネギ、もみじおろし、レモンにショウガとニンニク。チューブながらも薬味がもりもりで嬉しい。
そこにポン酢がザブザブにかけられている。
コリコリとした歯ごたえと、噛むほどに炙られた皮目からジュワっとにじみ出る脂がたまらなく美味しい。
最初はもみじおろしで食べ進め、ショウガにチェンジ。
序盤から中盤にかけてはアッサリと。
後半にはニンニクを思いっきりつけてパワープレイ。
ニンニクの辛味と香り、歯ごたえも相まってガッツリ効く。
うっすら甘いプレーンと合うんだこれが。
そして最後はレモンとニンニクを混ぜエスニックに仕立てていうこと無し。
皿に残されたネギを名残惜しそうにつまみんでから、ごちそう様でした。
・まるで赤提灯
飲んで食べて¥1,500ぐらい。十分な満足感。
調理場脇で会計を済ませる。
揚げ物を担当している女性スタッフの様子から忙しさが手に取るようにわかる。
大将も刺身やら焼き物やら大回転中だ。
ごちそうさまでした、と表に出る間際。
大将が少し顔を覗かせて「いっつもありがとう!気ぃ付けて帰りや!」見送ってくれる。
どれだけ忙しかろうと必ず最後には顔を見て、声をかけてくれるのだ。
その大将の顔は常連さんに奢ってもらったビールのせいか、表の提灯の様にとてもとても赤かった。