『現代短歌の鑑賞101』を読む 第一七回 浜田到
気が重い。
どうにか『現代短歌の鑑賞101』を読んで感想を書いてきたのだが、どうしても浜田到をよいと思えないのである。
浜田到については関川夏央『現代短歌そのこころみ』という本で知っていて、九州に行ったら会いたいと塚本邦雄が手紙で挨拶をしたら「決して訪ねてくれるな」という返事があったエピソードなど面白かったりもするのだが、では短歌そのものはというと、よくわからない。
これらの短歌が、定型とのあいだに緊張感を持った破調だとは感じることができない。私にはただのつぶやきに見える。
逆光の/扉にうかび/少女立てば/ひとつの黄昏が/満たされゆかむ
陽に愛されし記憶/土工にありや/掘り終へし/穴くらぐらと/暮色抛げこまる
一応五句に分けることはできるが、なんだか無駄なことをしている気がする。
無論、ひとりの作者の作品が三十首並んでいるのであるから、そこに何らかの作家性のようなものはあらわれるのかもしれないが……。
一方で、他選の三十首を読んで批判するというのもおかしなことであるゆえ、あまり強い言葉も使えないのである。というか、よくわからないことについて強い言葉も弱い言葉も言いにくい。
放棄という感じになるが、浜田到は私にはわからなかった。他の、彼の魅力がわかる人が書いてくれればよいと思う。
参考:
『現代短歌の鑑賞101』小高賢・編著
『現代短歌そのこころみ』関川夏央
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