『現代短歌の鑑賞101』を読む 第五回 葛原妙子
葛原妙子は名前はよく知っており、葛原妙子歌集という詞華集も持っているが、まだ読んでいない歌人である。
今回この本で読んでみて、やはり目を引いたのはすでに名の高い作品が多かったが、ほかにこんな一首も気になった。
どことなく危ういのは、ここにはガス室のような処刑のイメージ、しかもぎつしりと詰めていることにより虐殺のイメージが見出されるが、仕事そのものは真っ当であることだ。バナナの殺菌消毒をするのは職業のひとつに違いない。私達はこのような差別的な作品を作る自由を、徐々に失っていると考える。
思うにしかし、ここははっきり言うべきであろう。葛原妙子のこの一首は見事であるが差別的であり、時に差別性と真実は両立すると。その上で、真実を捨てる方向だってある。
疾風がさらった歌声の一部だけが聞こえることで、歌声が物理的な形を持っていて、こぼれてくるような印象を持つ。実際には、疾風とともに声が去っていくことはないのだろうが、共感性がある一首だ。
「しづかなる」という平凡な言い回しがいい一首と感じた。夕暮れの水が静かであるということは、流れている水ではなくたまっている水をイメージさせる。その円形と的は、案外結びつきやすくて、私は葛原妙子の短歌は、名歌においてはそれほど難解でないように思う。
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