『現代短歌の鑑賞101』を読む 第一二回 加藤克巳
加藤克巳という歌人の名を、私は妙な知り方で知っている。
あまり知られていないヘンテコな歌集、佐藤信弘『具体』という本が好きで紹介したことがある。その佐藤の師が加藤克巳である、ということで知っているのだ。
加藤は『現代短歌の鑑賞101』に載っているのだから短歌界で大きな存在なのだろうが、佐藤の師匠としてしか知らず、今回読んだ短歌もおそらく初めて見たように思う。
その短歌には抽象的な言葉も多く使われる。後期の短歌にはリズムが小刻みなものが多く、奇妙な印象を与える。まずは一首、初期の短歌を見てみよう。
気になるのは「高い雲に弾丸の速度を見送っている」という言い回しである。地上で撃たれるであろう弾丸の速度が、雲の速度なり雲の高さでの速度なりに乗り移るような印象を受ける。
よくある思いつきだと思うが、私は耳から脳みそをズルッと取り出せたら気持ちいいだろうと思うことがある。そのような想像を大きなスケールで歌っている。「けさの」というところが変で、そんな快感を覚える日などあるはずはないのだが、限定して言うことで「そういう日もあるのかも」と思わせる。
サルビアは赤い花である。前半のサルビアがなびく様子は「鮮血のながるるごとき」にわかりやすくつながってゆくのであるが、「鮮血のながるるごとき時」という言葉はどう解釈すべきだろうか。
私はあまり一般的ではないかも知れない読み方をした。「鮮血がながるるごとき時」というのは、さまざまな時のうちでそういう時の話をしているのではなく、時というのは鮮血が流れるごときものだという解釈だ。鮮血がずっと乾かずに流れ出ているように、時も終わらずに流れているという印象を持った。
小刻みなリズムが独特である。そして私は加藤克己と佐藤信弘に影響の相互性があったのではないかと思うのである。佐藤の短歌も紹介しておこう。
加藤克巳よりさらに抽象的な短歌で、一体何の話をしているのか不明だが、幾何学図形がねじれてゆくような不思議な読書体験である。結局佐藤信弘の話になってしまったが、容赦願いたい。
佐藤については、以前に独立した記事で扱っている。
参考:
『現代短歌の鑑賞101』小高賢・編著
『鼬の天』佐藤信弘
この冊子に、『具体』を含む佐藤の作品群が収録されている。
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