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『ボクサー』 写真・エッセイ
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少し前に息子の大学が決まった。
勉強0なので、ボクシングの推薦で。
田舎から上京するので、
一先ず一緒に暮らすのはあと3ヶ月程度。
地獄(たぶん)の寮生活が始まる。笑
おれは小学生から社会人まで
ずっとサッカーひと筋だったので、
息子ができたら勿論サッカーを
させたかった。小学2年生で地元の
クラブチームにも入れた。
でもどういうわけか3年生から
キックボクシングを始めた。
おれ自身、魔裟斗とか山本KID世代
なので格闘技は好きだったが、
まさか息子がこの競技をやるとは
夢にも思っていなかった。
ただやらせて、適当に口だけ出すのは
嫌だったので、息子のジムへの入会から
1週間後にはおれも入会した。
親子揃って初心者なわけだから、
競技の難しさや楽しさを共有できた。
サッカーの時は自分の考えなんかを
押し付けたり、何でできないん?!
みたいになってしまっていたので
そういう意味では、この競技に
巡り会えたことは良かったと思う。
それなりに成長も早く、半年後には
初めて試合に出た。
サッカーや野球も、自分の子どもが
試合に出れば勿論熱くなるでしょう。
でも、ちょっと…この競技は半端なく
熱くなってしまう。笑
アドレナリンが出まくる。
勝敗もそうだが、ボコボコにされたら
どうしようっていう心配も常に隣り合わせ。
力の差が明らかな場合はすぐレフェリーも
止めるが、それにしても怖い。
負けないために、ボコられないように、
練習をする。有難いことに強くて
優しいお兄ちゃんみたいな子達が
ジムにはたまたま何人もいた。
だから可愛がってもらえたし、
厳しい練習も楽しく乗り越えることができた。
通常、小学生は1時間の練習を
週に3日ほどやっていた。
おれも妻も鬼だったので、1時間の
練習後、2時間程度大人と混ざって
練習させていた。笑
しかも週に4〜5日。
大人の部の時におれも一緒に練習をする。
ジムに行かなければ、家でも
サンドバッグやミット打ち、ランニングをした。
要するに毎日練習をしていた。
今考えるとよくやってたな…。笑
おれは動画で研究をしたし、
本物を観せたくて、よく2人で
K-1やRIZINやKnockoutの興行を
観に行ったりした。
武尊や武居、天心の試合だ。
殴る蹴る。
相手への敬意があり成り立つ。
でも痛い。
どこかのタイミングで辞めていく
競技でもある。
あんなに強かったのに辞めちゃったんだ、と。
前述の強いお兄ちゃん達、
今では格闘技を続けている子はひとりも
いない。辞めたことが決して悪いわけではなく、
試合に出るから偉いわけでも無い。
でも〝格闘技をした〟この経験は生涯
活きると言っても過言ではないと思っている。
地元でチャンピオンにもなり、
東京でK-1キッズでも優勝した。
中学生の時に大晦日にRIZINを観に行き、
メイウェザーと天心のエキシビジョンを
観てから、高校でボクシングに転向すると
決めた。メイウェザーが大金持ちだから
だと思う。笑
あの晩、メイウェザーが叙々苑で焼肉を
食べ終わるのを、会場のおれ達数万人と
天心は待った。笑
どちらかと言えばキックが得意だったが
パンチのみのボクシング。
なかなかうまくいかないこともあった。
高校生にもなれば親の言う事も聞きたく
なくなる年頃。よく親子ゲンカもしたし、
何日も口をきかなかった時もあった。
それでも時間が経てば、自然と、部活から
帰って来てから、夜中に一緒にミット練習
をしたり近所の駐車場で走り込みをした。
高校2年生の時、国体で5位。
3年生に向けて弾みをつけた。
けれど今年、3年生最後のインターハイの
県の決勝で優勝はしたものの、右手を負傷した。
近所の医者では安静にしていれば
治るとのこと。
毎日馬刺しを食べ、色んなサプリを
試したが、2ヶ月が経過し、右手が使えない
ままインターハイを迎えた。
初戦、左手だけで勝利。
勝ったのに、不甲斐なさと痛みから
号泣していた。
2回戦。強豪校だったが、右手が痛すぎて
判定負け。高校最後の試合となった。
正直、右手が使えていたら1Rで勝ててた
と思う。本気で優勝を目指していた。
息子には〝おまえが優勝だ〟と伝えた。
本当に優勝できたと思ったから。
その後、手の専門の医者に行き、
関節の脱臼骨折、靭帯損傷と診断され
「よくこれで試合出たね」と驚かれた。
9月にワイヤーを3本入れる手術をし、
11月に外し、先日抜糸をした。
(ちなみに井上尚弥も同じ手術をしている)
現在、半年も右でパンチはできていない。
その間、遊びまくるわ、車の免許や
バイトでかなりボクシングから離れた
感じがあり、こちらも焦りイライラ
してしまう。でもまぁ仕方ないか。
それも大事。
年が明けたら徐々に右でのパンチも
していいそうだ。
本当に多くの人達、仲間達に支えられて
ここまでやってこれたことに感謝しかない。
なんだかんだ10年近く格闘技をしてきた。
これをしてなかったらおれ自身、
あまり刺激のない生活をしていたのかも
知れない。
来春から少し(かなり)寂しくなるが
大学ボクシングでの活躍を楽しみにしている。
まだタイトルは取れていない。
やるからにはこれからも上を目指してほしい。
でも大怪我だけはしないでくれ。
インターハイで優勝したら、感謝を伝える
みたいなこと言ってたくせに、優勝してない
から永遠に感謝とか言われないのかも
知れない…。笑
言うこと聞かないし、腹立つし、
遊びから帰って来ないし…。
でもリング上でボクシングをしている姿は
最高にかっこいいんだよな。
悔しいことに。
ひとつ嘘をついてしまった。
〝今では格闘技を続けている子はひとりも
いない〟と書いてしまったが……いた。
息子の4つ上の子。
残って練習したのも、試合に出続けたのも
この子と息子だけだった。
不器用で努力家。底無しの体力と根性。
優しい子だった。
この子は高校生のうちにプロキックボクサー
となり試合を重ねていった。
勿論、息子と一緒に応援に行った。
もうすぐ一年が経とうとしているが、
今年の元旦も久しぶりにボクシングルールで
スパーリングをしてボコってやった。
少し強くなった息子に対して、
はにかんだ笑顔を見せてくれていた。
それなのに…今年の春に死んでしまった。
試合を控えていて減量がうまくいって
なかったり、プライベートでも
悩みがあったのだろう。
20歳そこそこで。まだまだこれからなのに。
失敗なんかしていいのに。
寂しくて仕方がない。
だから、この子は格闘技をやめていない。
おれ達の中では闘い続けている。
だから、おれ達も負けずにがんばる。
一緒に闘い続ける。
その後、息子は試合のゴングがなる前に
この子の癖(サウスポーで一回前かがみになる)
を真似るようになった。
大学へ行ってもこのルーティンは
続けるだろう。
天国から見守っててくれよ。大翔。
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R.I.P. 穴口選手