93歳へ問う「思い残したことはあるか。」
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祖母は現在93歳。食いしん坊。超絶元気。
先に旅立ったいたずら好きな祖父は、
よく祖母に叱られていた。
わたしと同じく朝のコーヒータイムを毎日たのしんでいて、カフェに行くときは「コーヒーフロート」をチョイスする。
アイスコーヒーに、艶っとしたソフトクリームが乗っているちょっぴりご褒美なドリンク。ソフトクリームを半分くらいまで楽しんだら、コーヒーにぐるんと溶かしつつあま〜いシロップも追加しちゃって。
しっかりと味変までこなしているから流石だ。
祖母は93歳という肩書きを持っているが、
「数字なんて結局ただの数字」と思わせるくらい元気。
随分前に、癌治療の手術で胃のサイズは半分になったものの、すっかり健康。元気いっぱいだ。
わたしの中では祖母=食いしん坊のイメージである。
(※ 食いしん坊は、わたしもしっかり受け継いだ。)
知る限りでは、趣味は食べることと旅とプール。
今でも趣味でプールに通っていて、ピチピチの水泳帽を深くかぶりバシッとゴーグル装着。勢いよくザバザバ泳いでいる。
どうやらスイミングスクールの中では最年長らしい。
祖母は、夫婦でよく旅に出かけていた。
もちろん家族親戚みんなでもよく旅に出かけた。
わたしの幼少期の楽しかった思い出の中には、
「祖父母たちとの旅」ももちろんランクインしている。
わたしは「自分が93歳」になる未来は全くもって想像できない。
先月祖母と二人でとあるショッピングモールの中にある韓国料理屋さんでごはんを食べていた時。ふと、素朴な疑問が生まれた。
「93年間生きてきて、今、思い残したことって何かある?」
あるかもわからぬ未来の自分のために聞いてみたいという自己中心的な疑問でもある。
どことなく聞いてもいいものかと迷った質問ではあるのだが、逆に何かやり残したことがあれば手伝えることがあるかも。
そんな気持ちで問いかけてみた。
なんとなくおそるおそる聞いた質問だが、祖母は驚くスピードで即答だった。
「本当に思い残したことがない。本当に。今が、一番しあわせ。」
噛み締めるように、目をぎゅっとつぶっての即答。
なんだか勝手に安心したと同時にびっくりした。
わたしは仮に93歳まで生きたとして、そんな回答が出てくるのか。
どう生きたら、その回答になれるのか。
戦争を経験した祖母にとって、「今が一番しあわせ。」という言葉は
もちろんいろんな意味が含まれていることがわかりつつも、素直にすごい。
思えば祖母の口癖は「ありがたいわよね」と「なにか食べる?」が多い。
おいしいものを食べている瞬間や旅行をたのしんでいるとき、常に今の健康な自身や環境に「ありがたい」と思えること。
待てよ、これいま、わたしは頻繁に忘れているぞと
ふと我に帰ったのだ。(おい)
なんとな〜く当然のように毎日ごはんをたべて、大好きなコーヒーをがぶがぶ飲んで、最近だとたまに趣味のサウナに行ってみたり、そして当然のように映画を楽しんで…もちろん仕事も健康に通えている。
わたしはそれらをすらすらと楽しんでいたが
きっと祖母はいかなる時も「ありがたい、幸せだなあ」を感じながら人生を楽しんできたんだろうと衝撃が走った。
だからこそ一つ一つの瞬間を噛み締めて、目に焼き付けて、ご飯もゆっくり味わって「おいしいね」と何度も言っていたのかと。そしてその結果、なにごとも満足度が高い。
日々の生活でなんだかうまくいかないことがあった時にはなおさらこのありがたい精神は忘却の彼方へいきがちなわたしである。
脳内で「ああああああ」とか言いながら慣れた手つきでスタバのモバイルオーダーであっまいドリンクさらにはちみつなんかも追加(はちみつ無料)しちゃったりして。
何も考えずにグビっと飲んで結局なんか「うお、あっま」とか思っちゃったりして。
そしてさらには愚痴が平気でつらつら出てきたりする。
うわあ、人間って感じの生き方しちゃってるな〜と思えてくる。
たまに言う愚痴もある意味大事だとは思うのだけれど、きっと習慣化したら負け。
祖母はたまーにこれが嫌だったとか愚痴をこぼすことはあるが、本当に稀にだ。なんならわたしはほぼ聞いたことがない。
きっと、愚痴をたれるより、自分がおいしいと思えるものをじっくり食べて「あ〜ありがたい!」とか言ってリフレッシュする時間を設けた方が自分に合っているはず。
93歳の祖母の生き様は、わたしに超初歩的なことを教えてくれたようだ。
来月、祖母との旅行をまた企画している。
わたしが尊敬する人物のひとり、それは祖母である。
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サムネは祖母、母、叔母、わたしで奈良京都へ旅した時の一枚。ちょうど夕日が綺麗で、景色をたのしむ叔母と祖母。