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「白河の関越え」か「64年振り」か

夏の高校野球もいよいよ決勝戦を残すのみとなった。優勝候補筆頭と目された高校が敗退し、決勝は東北初優勝の期待がかかる仙台育英と、山口県勢として64年振りの優勝を目指す下関国際の対戦となった。

決勝の組み合わせから、マスコミは話題を振りまき(煽り)、見る側の期待も膨らむところだが、望むならば選手以外の「外野」は静かにして、選手が最高のプレーができるように、試合の推移を見守ってもらいたい。

各自が応援したいチームはあるだろう。それでも、球場で競技するのは高校生の選手であり、雌雄も彼らのプレーによって決せられることを望む。

過去には、球場内の雰囲気が一方のチームに肩入れするようになり、審判の判定や選手のプレーにも影響が出たと指摘された事例もある。

今回も、試合の推移によっては一方の高校を応援するような会場の雰囲気が醸成されることもあり得ると懸念している。

高校野球は100回を超える歴史を有しているが、選手は、大会に出場している、今この時を甲子園でプレーしている。その時を、観客、マスコミ等の「外野」が醸し出す「雰囲気」よって左右するのは望ましくない。というよりもあっては欲しくないと考える。

最近、マスコミのスポーツ中継がより扇情的なトーンで行われているように感じているが、「余計なお世話」でないだろうか。

プレーの主役はあくまでも選手であり、マスコミや観客は脇役であることを自覚し、己の分を守り自制することを求めたい。

ともあれ、明日の決勝戦が、出場する選手それぞれが持てる力を十二分に発揮し、観る者の記憶に残る試合となることを願っている。

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