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同窓会報から

実家の両親の様子を見に行った時、高校の同窓会報が届いていたので何の気なしに開いてみた。編集に携わった方には大変失礼だが、いつもさっと目を通すだけ。

ふと、物故者の欄に目を移した時、卒業年次が同じ男の名を見つけた。見覚えがある名前だったので、仕舞い込んでいた卒業アルバムを取り出し、写真を探した。当たっていた。

1年間だけ同級だったと記憶しているが、特に親しくもなかった。というより、当時の自分がついていけない劣等感を勝手に作り上げ、周りとの接触を拒んでいた。笑顔が似合う男だったと思う。

わけもなく、彼の人生がどうだったんだろうかと気になった。仕事は何をしていたのか、家族はいたのか、そして、幸せだったか。などなど。

卒業してから一度もあったことがなかったどころか、思い出すこともなかった薄情な自分が、いまさら何を思うのか。滑稽ですらある。

ところで、自分の先行きはどうなるのだろうかとも考える。落語の「死神」のように余命がろうそくの長さで見ることは、現実にはできない。当然のように一日が過ぎて明日が来ると思って生きているが、いつまで続くだろうか。

子供の将来を案じて、まだまだ頑張らなければとも思うが、万一、死んでも生命保険金と遺族年金があれば、家族は生活できるだろう。じゃあ、自分が存在する意味はどこにあるのか。よくわからなくなってしまう。

と、迷路に入りかけたところで考えるのを止め、今日一日を無事に過ごせたことに感謝する。家に帰って妻と子の無事な顔を見ることができれば、それでよし。明日も明後日もその先もずっと続くことを願う。


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