千ヶ峰トライアングルの秘密
■剣山、玉置神社、千ヶ峰のトライアングル
徳島県の剣山と奈良県の玉置神社、そして兵庫県の千ヶ峰を結ぶ一辺が160kmのトライアングルは、まるで六芒星の一片のようだ。
そしてそのトライアングルの
中心は淡路島(シオンの山)。
存在を知ったのは16年程前。
「このトライアングルにはキリストの秘密が隠されているんですよ」と聞き、すぐに剣山と玉置神社は行った。
しかしずっと千ヶ峰だけが
行けておらずだった。
千ヶ峰には白龍神社という謎に包まれた神社があり、その参拝を兼ねて行こうと思って機会を狙っていたのだ。
だが、この白龍神社が
いくら調べても場所が分からない。
行かれた様子をブログに書かれている方は見つけたものの、場所はどこにも記載がない。
ということでずっと頓挫していたのだった。
■同級生が知っていた
行こう行こうと思いながら、なんだかんだとその後、十年もの月日が経ってしまい、優先順位もすっかり下がってしまっていた。
そんなある時、思いも寄らない所からこのトライアングルの話を聞くこととなる。それは幼稚園から中学まで一緒だったある同級生からだった。
6年前に開催された同窓会で久し振りに会った同級生だった。と言ってもその同級生とは、幼稚園の頃から面識はあったもののこれまで会話らしい会話もしたことがなかった。
ところが、同窓会では数多くの懐かしい面々が居る中で、なぜかそれまで殆ど会話もしたことのないその同級生とだけ連絡先を交換をした。
いま思うととても不思議だ。後で聞くとその同級生も他の誰とも連絡先交換をしていないそうだ。彼女も自分で不思議がっていた。
そんなこんなで、お互いの近郊報告をしたり、食事をしたりする中で、なぜかこのトライアングルの話になったのだ。
そして、同級生から驚くべき言葉が出てきた。それはこんな内容だった。
「トライアングルの頂点にある千ヶ峰にキリストの秘密が隠されていて、私の会社の社長がその秘密を託されているんだよ」と。
なんと!
マジで?
っていうか
一体どゆこと?
■白龍神社になかなかたどり着けない
余談だが、安倍元首相が凶弾に倒れた奈良県奈良市は、
◆伊勢神宮◆熊野本宮大社◆伊弉諾神宮◆元伊勢内宮皇大神社◆伊吹山
を結んだ五芒星の中心点にある。
意味があるのかたまたまなのか
真実は分からないが・・・。
さて、本題。
同級生が勤める会社の社長が千ヶ峰トライアングルの秘密を託されているという話を聞き、おったまげたところまで書いた。
同級生は「千ヶ峰トライアングル」のことは知っていたが、白龍神社の存在は知らなかった。だが、
「社長なら知ってると思うので折を見て聞いてみる」と言ってくれ、十年経ってやっと分かるかもー!
と楽しみに待っていたのだが、なんと、それからすぐにその社長は亡くなってしまった。
なので喜んだのも束の間、結局その時は、白龍神社の場所を知ることが出来なかったのだ。
さてどうするか。
案としては、とにかく千ヶ峰に訪れてみて地元の方に聞くなりして探す。
あるいは、ブログをアップされている方にメッセージを送り場所を聞くかのいずれかしかない。
しかし、人見知りの分際でいきなりメッセージを送ることも出来ず、思案しているうちに、さらにまた時間が経っていった。
■知ってそうな人を知る人を知ってる?
6年前に久し振りに会った同級生の女性から「トライアングルの頂点にある千ヶ峰の秘密は、私の会社の社長が託されているんだよ」。という衝撃の話を聞いた。
しかし、その後社長は残念ながら亡くなってしまった。なのでその時も白龍神社の場所は分からず仕舞いだった。そんなこんなで、また4年の月日が経っていった。
そしてコロナ禍になり、時間もあったので、さあいよいよ本当に千ヶ峰と白龍神社に行こう!と思うようになった。
詳細な場所は分からないが、とにかくまず千ヶ峰まで行ってみて、地元の方に聞くなりして探そう。でも一人で行って見つからなかったらショックだろうな、と思っていた矢先の事。「千ヶ峰に行きたいと思ってた」という人と出会った。
白龍神社の存在は知らなかったようで、その話をすると千ケ峰と共にぜひ行ってみたいという。
ただ白龍神社の場所が分からないので、行っても見つからないかもしれないと言うと(ちょっとややこしいが)「その神社の存在を知っていそうな人を知っている人を知ってるので聞いてみる」ということで早速連絡してもらった。
すると!難なくアポが取れて「その神社の存在を知っていそうな人を知っている人」と「その神社の存在を知っていそうな人」を交えて会うこととなった。
期待に胸を膨らませてお会いした。果たして・・・・「その神社の存在を知っていそうな人」は期待通り白龍神社のことを知っていた。
知ってるどころか白龍神社の方とはとても縁が深くて懇意にしているし、行くなら連絡しておいてあげるよとのこと。もちろん住所も教えて貰った。
そして、驚いたのが「なぜ白龍神社の存在を知っているのですか?」と聞かれたので、最初に聞いたのが師匠と慕っている方で(ちなみに15歳ほど年下の男性)、数年後に同級生からも同じ話を聞いたと言うと、なんと、師匠も同級生もよく知ってると言うではないか。驚いた。
という訳でアポを取って貰い、やっと白龍神社に訪れることが出来たのだった。というのが二年前の話。
つまり、訪れた二年前に投稿せず、今になって投稿しているのだ。なぜその時じゃなかったのかと聞かれても、ただなんとなくその時じゃないなと思ったとしか言えない。
ではなぜ今なのか、というのもなんとなくそう思ったとしか言えない。そろそろ良いかなと思って書き出してから、場所も分かって・・・と書いた今日8/28がまさに二年前に訪れていたその日だって気付いた!
不思議だ。図らずとも、ちょうど二年前の今日が千ヶ峰と白龍神社に訪れたまさにその日だったのだ。まさにシンクロニシティ。とういうことでめでたしめでたし。・・・・とは残念ながらいかず、それどころかこれからの話こそが本題なのだ。
■白龍神社はいかにして出来たか
白龍神社の場所がなぜ分からなかったのか、あるいは公開されていないのか。理由は簡単。いつでも誰でも訪れることが出来る神社ではなく、一般の方のお宅内にある神社だからだ。
なので「その神社の存在を知っていそうな人(実際知っていたので、白龍神社を知っていた人に改名)」に、いつ誰が訪れるかを事前にこのお宅に電話して貰っていたのだ。
ではなぜこの個人のお宅に神社が出来たのか。それはここに住まわれてた池田艶子さんという御神託が降ろせるおばあさんに由来する。
もう数年前に亡くなってしまったのだが、生前には、その御神託を求めて多くの政治家や経営者が、こぞってこの地を訪れたという。兵庫県の真ん中の交通の便の悪いこの地までだ。
ただ、御神託を降ろせる艶子さんが居たから神社となっている訳ではない。神社が出来るまでのいきさつが、これまた長い道のりなのだ。
白龍神社には奥宮がある。
千ヶ峰登山口にあり、 「神籬宮」と書かれた石碑がある。 神籬(ひもろぎ)と読む。 またその横にある標碑には こんな文言が記載されている。
後櫻町天皇御下賜山
天魂の大神 九頭竜の大神 八幡宮の大神
神歌 世紀の神いでまして
のりの道は一筋と 世界は一つに麗しく
誠真澄の御世となる 神功皇后
御託宣により聖地成立
崇敬者一同の結集 感謝 池田艶子九十一才
最初に記載されている 後櫻町(ごさくらまち)天皇を知ってるだろうか。
日本史上最初の女性天皇である推古天皇や、天智天皇(中大兄皇子)の娘で、天武天皇の皇后でもあり、伊勢神宮の式年遷宮制度を作った持統天皇。
さらに、宇佐八幡宮神託事件の孝謙(称徳)天皇のように、あまり名の知れた女性天皇ではない。 これまでの126の天皇の内、8人(10代)が女性だったが、最後の女性天皇が後櫻町天皇(第117代)となる。
そしてその、後櫻町天皇こそが、 白龍神社が出来たきっかけなのだ。
ちなみに、白龍神社は個人のお宅なのでここでは公表出来ないが、奥宮はいつでも誰でも行ける場所。
■最後の女性天皇・後櫻町天皇
白龍神社が出来たきっかけは、最後の女性天皇・後櫻町天皇であると書いた。天皇陛下がきっかけ?って話がなんか壮大になってきたのだが、標碑に記載があるように事実なのだ。
さて時は江戸時代半ば。天明8年(1788年)1月30日に京都で大規模な火災が発生した。御所・二条城・京都所司代などの要所が焼失した他、当時の京都市街の8割以上が灰燼に帰した。
京都を焼け野原にした応仁の乱の戦火よりも酷い焼亡の規模だったようで、天明の大火と言われる京都史上最大規模の火災だ。その火災が起きた当時の天皇が後櫻町天皇だった。
後櫻町天皇は、ある仏像(神弥如来神)をとても大事にしていた。故に火災による焼失を恐れ、その仏像を御所から20kmほど南にある石清水八幡宮に預けられた。
しかし大火はその石清水八幡宮まで及んだ。天皇から預かった物を焼失させる訳にはいかないと、石清水八幡宮の神職たちはその仏像を火災の及ばない遥か遠い岡山城に預けた。
さて岡山城だが、築城したのは宇喜多秀家であったが、関ヶ原で敗れたため秀家は流罪。その後、関ヶ原の裏切り者で知られる小早川秀秋が城主となるが夭折(暗殺?)。秀秋に嫡子がおらず、御家断絶となったため、新たな城主を姫路城から迎え入れた。
その後、明治維新までその子孫がずっと城主を務めている。ここまで書いてピンときた方もいらっしゃるだろう。初代姫路城城主は池田輝政。つまり夭折した小早川秀秋の後の岡山城の城主は、ずっと池田家が務めてきた。
さて、御神託を降ろせる艶子さんの名字は何だっただろうか。そう池田さんだ。
■熊野の仙人登場
最後の女性天皇である後櫻町天皇が大切にしていた仏像が「天明の大火」から逃れるために御所から石清水八幡宮へと渡り、その後、岡山城に預けられたところまで書いた。
岡山城へと渡った後の消息は不明だったようだが、巡り巡って千ヶ峰にある池田家の蔵の中で見つかったのだ。
しかし、池田艶子さんはこの仏像が自宅の蔵に眠っていることをずっと知らなかった。
ではなぜ知ったのか、それには以前登場した「その神社の存在を知っていそうな人(実際知っていたので、白龍神社を知っていた人に改名)」が深く関わっている。
「白龍神社を知っていた人」というのも長いので仮にM氏としておこう。ある時、M氏は仕事の打ち合わせのため和歌山のある役所を訪れていた。打ち合わせの合間、休憩コーナーに座っていると、知らないおじいさんに声を掛けられた。
そしてこんな事を聞かれた。
「君は自分が生まれてきた理由を知っているか?」と。
突然知らないおじいさんに声を掛けられたあげく、唐突に思いがけないことを聞かれたM氏は、もちろん戸惑った。
しかし、生まれてきた理由なんて知らないし分からないので「いや分かりません」と答えた。
すると、そのおじいさんは意味不明の言葉を話し出した。
それは聞いたこともない言葉のようであり、どこかで聞いたことのある言葉のようでもあった。
よくよく聞くとなんとなく古代の日本語のようだった。
しかし意味は全く分からない。M氏はそのおじいさんの意味不明の言葉をしばらく聞いていたのだが、意図せず突如涙が溢れ出し、止まらなくなってしまった。
そしてその言葉を聞きながら理解したのだという。「ああ、この言葉はまさに自分が生まれてきた理由なのだ」と。
■仙人が作った神武天皇東征上陸地の神社
会うなり「君は自分の生まれてきた理由を知っているか?」と聞いてきた不思議なおじいさん。
M氏はそのおじいさんのことを仙人と名付けていた。
そして(意味は分からなかったが)自分が生まれてきた理由を教えてくれた仙人と、この和歌山の地(正確に言うと熊野)で出会ったのもある意味、生まれてきた理由の一つであり必然だろう。
そう感じたM氏は、その後、仙人を慕って何度も熊野を訪れることとなる。
さて仙人はもともと熊野の地で建設業を営む経営者だった。
ある時、廃校となった小学校の入札案件があることを知る。しかし、まとまった資金もないので入札を見送ろうと思った。しかしなぜか「入札しないといけない」と感じたそうだ。
そこで、ダメ元で入札金1円で入札してみたら、なんと他に入札業者がおらず無事落札。
晴れてその物件を手に入れたのだが今度は「ここに神社を建てないといけない」と感じた。しかし、やはり資金がない。
とりあえず小学校を解体しようと工事を始めてみると、その小学校の屋根には銅板が使われていた。これが思いがけず高値で売却できた。
なのでそれを元手に神社を建てることが出来た。
後で分かったのだが、この小学校跡地は、神武天皇が神武東征の際に上陸した地、とされる場所だった。
■熊野荒坂津神社に橿原神宮から勧請
白龍神社の話が、すっかり熊野の仙人の話へと変わってしまっているが、もう少し続く。
さて、落札した小学校があった場所は、神武天皇が神武東征の際に上陸した地だったところまで書いた。
神武東征とは言わずもがな「古事記」「日本書紀」に記されている、大和を征して初代天皇が即位する「日本建国神話」だ。
主な話はこうだ。
日向(宮崎)を発った磐余彦尊(後の神武天皇)は、大和の「長髄彦」に敗れ、紀伊半島の東へ回り込むことにした。そして熊野の地から上陸し八咫烏に導かれて大和へと向かう・・・。
その熊野の地で神武天皇が上陸した場所に建っていた、廃校となった小学校を落札し、解体した小学校の銅板を元手に神社を建てたのが、M氏に「生まれてきた理由」を伝えた仙人だ。
建てた神社の御祭神はもちろん神武天皇。
しかし、神社を建てたからと言って御祭神が祀れる訳ではない。
いわゆる勧請(御祭神を分霊して他の神社に移すこと)をしないといけない。そこで、神武天皇が即位した場所とされてる地に建てられた橿原神宮に行こうということになった。
そしてある日、橿原神宮へと向かった。
しかし、橿原神宮に到着したものの、すでに社務所が閉まる5時を過ぎている。どうしようかと思案して、ふと見てみると、神門の扉が一つ開いているではないか。
恐る恐るそこから入ってみると、そこにおられた神職の方にこう言われたのだという。
「お待ちしておりました」。
その後、無事勧請も済み、小学校跡に建てられた神社は、神社庁にも認められ(この辺りにもおもしろいエピソードがあるがここでは割愛)現在ももちろん存在している。
その名は熊野荒坂津神社。
■北から呼ばれていると仙人が言う
熊野荒坂津神社が建立された経緯を書いたが、他にも仙人やM氏に関わるエピソードには興味深いものがたくさんある。
前にも書いたことがあるが、芦屋の高級住宅地のど真ん中にある岩園天神社を(もう十年以上!)毎日掃除するH子ちゃんの話や、H子ちゃんと瀬織津姫との逸話などもとてもおもしろい。
しかしここではいったん話を戻そう。
いつも思い付きのように電話してきて、大阪から熊野へとM氏を呼び出していた仙人が、ある時またいつものようにM氏を呼び出した。
仕事を終えて急いで熊野に駆けつけたM氏だが、その日は仕事が立て込んでいて、熊野に着いたのが夜遅くなってしまった。
到着すると早速出掛けようと仙人が言う。なんでも「北の方から呼ばれている」とのこと。M氏は急いで仙人を乗せて車を走らせた。
しかし、北というだけで行き先が分からない。仙人にも分からない。
そこで、その日が9月9日だったので「とりあえず救急車を追いかけようか」ということになった。
と言ってると、目の前を一台の救急車が走っていった。
すぐそれを追いかけて行くとある病院に着いた。するとその病院からまた別の救急車が出てきた。そのまままたその救急車を追いかけて行った。
ってな感じで熊野から目の前の救急車を追いかけては次の救急車を追いかけ追いかけして夜通し走った。そして朝方ある場所に到着した。
到着した場所の目の前にあるお宅の呼び鈴を押すと、そこにお住まいの方が「どなたですか?」と出てこられた。出てこられたのは、何と池田艶子さんだった。
つまり到着したのは、現在、白龍神社がある艶子さんの家だったのだ。ここで初めてM氏(と仙人)と池田艶子さんが繋るのだ。
嘘みたいな話だが、仙人を乗せたM氏の車は、熊野から道行く救急車を追いかけ続けて、最後艶子さんのお宅に到着した。
「呼ばれてきました」という仙人の言葉に、 艶子さんはちんぷんかんぷん。 当時の艶子さんは御神託を降ろせる能力もなく、 村で普通に暮らすおばあさんだったから。
「お宅に光っているものがある」という仙人の言葉を聞いた艶子さんとそのご家族は、突然の訪問者の言葉を信じて家中を探し回ったそうだ。
しかし、それらしき物がない。 ただ、蔵の中から 木箱が見つかった。
池田家の人たちは それが何か誰も知らなかった。 とりあえずそれを開いてみると、 何やら得体の知れない黒い物体が入っている。もしかしたらこれかもしれないということで磨いてみると、それは黄金の輝きを放つ仏像だったのだ。
そして、この仏像をちゃんと祀ろう ということで出来たのが白龍神社なのだ。
その後、仏像を祀ってから艶子さんは 御神託を授かるようになった。
その御神託の内容を まとめた冊子の最初の頁に M氏への御神託が掲載されている。 そしてそのM氏の御神託の中に こんな文言がある。
「(前略)●●氏と共々に世界の経綸のこの頂点に立つべき船出にのし上って行く未来に向かって、前進・邁進・突進してくれ・・・」。
●●氏とあるその名は・・・。
なんと、千ヶ峰トライアングルの話を知っていた同級生が勤める会社の、亡くなられた社長の名だった。ここで全てが繋がるのだ。
ところで、白龍神社は 神彌如来神を祀る神社だと書いた。
見つかった仏像のことだ。
したがって正式な名称は 「神彌如来神本宮 白龍神社」 となる。
御託宣集の桜の紋様は、 もちろん後櫻町天皇にちなんでだろう。
後櫻町天皇から巡り巡ってきた、黄金色に輝く神彌如来神の仏像だが、当初、艶子さんのご自宅玄関前に設置された祠に祀られていたそうだ。
しかし、風雪などで朽ちるのを恐れて今は別の場所に保管している、と艶子さんの息子さんがおっしゃっていた。
ただ、これは書いていいのか分からないのが、隠すべきことかも分からないので直感に任せて書いてしまうが、こんな話も聞いた。
黄金の仏像は、同級生の勤める会社の社長が譲り受けたそうだ。
周りの人からの反発もあったようだが、艶子さんはこれを持つのは彼しかいないということで、反対を押し切って社長の手に委ねたそうだ。
この話を聞いてようやく、同級生が言っていた「トライアングルの頂点にある千ヶ峰にキリストの秘密が隠されていて、私の会社の社長がその秘密を託されているんだよ」という話が腑に落ちたのだった。
■千ヶ峰トライアングルとは一体何だったのか
白龍神社に関する自分が知っている話は前回まででほぼほぼ書いた。
だが、全ては繋がったが、後櫻町天皇とキリストの繋がりは分からなかった。
また、仏像にどういう意味があり、なぜこのタイミングだったのかも分からなかった。
さらに、まるで六芒星のような千ヶ峰トライアングルは、剣山の剣、玉置神社の勾玉、千ヶ峰の鏡で三種の神器になるとも云われている。
その「トライアングルの頂点にある千ヶ峰とキリストの秘密との繋がり」については一切分からなかった。
ただ、個人的には肝は剣山ではないかという気がしている。
剣山には「失われたアーク(聖櫃)が眠っている」とか「キリストの墓があるかもしれない」と師匠は言っていた。
失われたアーク(聖櫃)とは、ソロモンの秘宝といわれる「モーゼの十戒の石板」「アロンの杖」「マナの壺」と「日本建国の秘密」が収められていると伝わるモノ。
また、ある書籍を読むと「四国八十八か所は、剣山の(隠された秘密)結界を作るために空海が設置した」との記述もある。
そのほか、剣山(鶴亀山)にはカゴメ(六芒星)の秘密があるともよく聞くし、剣山周辺のあらゆるところに設置されている「コリトリ」という500mおきの標識も不思議だ。
意味不明な標識が宮内庁の予算で作られているのだ。
コリトリとはヘブライ語で、コリ(故郷)トリ(鳥居)、つまり故郷の入口のことと推測される。
イスラエルの大使は日本に赴任すると、まず天皇陛下に謁見し、その後内閣総理大臣、そして剣山詣をするとも聞く。
いずれにせよ真実は分からないが、そんな話は幾らでもある。
剣山近くにある磐境神明神社は、ユダヤの神殿「アラッド(ユダヤの礼拝所)」と似ているとも云われ、栗枝渡神社(くりしと)の名はキリストに由来するというし、倭大國魂神社の神紋がメノラー(ユダヤ教の典礼具の一つである多枝燭台)とよく似ているとも云われている。
あと、徳島県は日本で唯一電車が走っていない県なのだが、電気が磁場に影響が与えるため、結界を守るために電車を走らせていないという話もある。
また、壇ノ浦の戦いの際、安徳天皇と共に海に沈んだ三種の神器の一つ、草薙の剣が剣山の麓に埋まっているのでは?という伝説も残っており、いずれにせよ、古代に作られた人工の山(ピラミッド)とも云われる剣山が日本にとってとても重要な地であることは間違いない。
という訳で長くなってしまった千ヶ峰トライアングルの秘密(白龍神社の話)はこれにて終了。
しかしまだまだ探求は続く。あと、ちょこっと番外編が続きます。
■番外編①:腕に巨大なシコリが出来た
なんとなく右腕に違和感があるなと思っていたある日、右手の肘あたりを触ってみるとゴルフボール大のコブというかシコリが出来てるではないか。
イメージ、肘に出来た神輿(みこし)ダコのよう。神輿ダコを知らない人は、ググってみてください。衝撃の写真がいっぱい出来てきますよ。
さて、シコリだが、少々のことでは病院に行ったりしないので、まずはネットで調べてみることにした。
ちなみに、これも何度か書いたことがあるが、普段から薬やサプリも飲まないし病院にも健康診断にも行かない。ついでに言うとシャンプーもリンスも使わない。病院に行かないのは、基本人間には自然治癒力というものが備わっており、それを損ねるような診断をされたり薬を処方されても困るから。
健康診断や人間ドックに行かないは、逆説的だが少しでも健康的に長生きしたいから。多くの日本人は「健康のため」職場の健診や人間ドックを受診しているが、欧米には健診を受けるという制度がない。健診によって「健康になる」「寿命を伸ばす」という効果を示すデータが存在しないからだ。それどころか健診で「早く見つけるほど、早く死にやすい」と言われている。
過剰な医療介入のきっかけとなり、結局は寿命を縮めているからだ。話が脱線したが、肘のシコリは恐らく「肘頭滑液包炎」というモノのよう。原因は、恐らくオーバーユース(つまり使い過ぎ)。使い過ぎることで炎症を起こし、肘の関節にある滑液包という小さな袋に水が溜まるのだ。
テニスやゴルフのプレイヤーにもよく出る症状のようで、その場合、テニス肘、ゴルフ肘と呼ばれている。ずっとパソコンに向かってマウスを動かしている仕事なので、症状が出たのだろう(あくまで自己診断だが)。
さて、話は千ヶ峰トライアングルへと戻る。
実はこの話を書くかどうかずっと逡巡していた。
白龍神社に関するいきさつなど、特に誰かに口止めされていた訳ではないが、勝手に公開して良いのかどうかの判断が付かなかったのだ。
しかし、何となく今書くべきかなと思い書き始めたということは以前書いた。
そして、後で気付いたのだが、この[千ヶ峰トライアングルの秘密]ついて書いて投稿した日に、肘のシコリが出来ていたのだ。
これはたまたまの偶然なのか、それとも意味があるのか?何かのメッセージなのか?・そう思うと、やっぱり辞めた方がいいのかな?と正直途中何度も思ったが、結局は書いてしまった。
良かったのか悪かったのか、それはこれから結論が出るのだろうな、と思っていた。
しかしなんということだろう。
[千ヶ峰トライアングルの秘密]についての話はこれで最後だと書いた昨日、そのシコリが嘘みたい小さくなってるではないか。
つまり、初めて投稿した日に出来たシコリが、最後の投稿をした日(昨日)に、めっちゃ小さくなっていたのだ。
結構巨大で目立っていたので、シコリを隠すためのサポーターは欠かせなかったのが、昨日から付けなくて済んでいる。
なんという不思議だろう。これも単なる偶然なのか?世の中不思議なことがたくさんあるよなぁ。
■番外編②:剣山での不思議話
師匠と剣山に登った時の話。
もうかなり昔の話だが、師匠と、師匠を紹介してくれた友人と、その知人社長の四人で剣山に登った。
師匠とはよく登山に行くのだが、たいてい最初は雨模様で途中から晴れるというパターンとなる。剣山の時もそうだった。
しかしその分、雨や霧の神秘的な様相が印象に残り、帰りは爽やかに下山出来る。
剣山には御神水と呼ばれる名水百選にも選ばれている水が湧いている箇所がある。その湧き水を汲んでいると、師匠が「持参したお水をその湧き水の味に変えてみましょうか?」という。
マジかいなと思いながらやって貰うと、あら不思議、持参したミネラルウォーターが湧き水のように甘くなったではないか。
どうやっているのか師匠に聞くと「湧き水の波動をミネラルウォーターに転写しただけですよ」と気軽に言う。
あと、剣山に登った少し前に、別のメンバーで鳥取の大山にも登っていたのだが、その時かなりの筋肉痛になった。
その話を師匠にすると「今回は、筋肉痛にならないようにしてあげましょうか?」と言う。そんなことが出来るのかと半信半疑ながら、剣山下山後に寄った温泉で三人ともやってもらった。
すると次の日全く筋肉痛にならなかったのだ。
そんなこんなで、とにかく師匠には、書ききれない程、不思議な話がいっぱいあるのだ。ちなみに、師匠と始めて出会った時のことも忘れられない。
先出の友人から「ぜひ紹介したい人がいる」と言われていたのだが「その内に機会があったらぜひ」と言って、さほど気にもしていなかった。
そんなある日「唯一この日、空いてるらしいけど、都合どう?」と言われてスケジュールを確認すると、たまたまその日だけ空いている。
しかも、日付を見てみるとその日は、会社を創業してちょうど十年目の日だった。創業した時から、十年を節目に頑張ろう!そして金髪にして、一カ月仕事を休んでインドに行こう!(?)と思っていたまさにその区切りの日だったのだ。
これは出会うべくして出会う人だと確信した。
それから16年前、うちの会社の役員をしてもらっていて、ずっと懇意にして頂いてるのだ。有難き幸せ。
ちなみにインドには、もちろん行きましたよ。一カ月じゃなく二週間、金髪じゃなく茶髪にして行った、初一人旅だった。人見知りで、英語はからっきしダメで、すぐホームシックになり、旅先ではすぐお腹を壊す、こんな自分だったが、すっかりインドの虜となった。
しかしインドでも不思議な人にたくさん会ったなぁ。
■番外編③:瀬織津姫の話
何度か書いたことがあるのだが、千ヶ峰繋がりというかM氏繋がりなので改めて岩園天神社の話を書いてみたい。
岩園天神社は兵庫県芦屋市の高級住宅地のど真ん中に鎮座する小さな神社だ。御祭神は、名前に天が付くことでも分かるように菅原道真。
その他、天照皇大神、秋葉大神、春日大神も祀られている。
その神社の境内を、十年以上毎日欠かさず掃除をされている女性がおられた。それが、ご近所にお住まいの方ではなく、大阪の豊中市に住んでおられる方だと言うのだ。
豊中からわざわざ始発で芦屋まで来て、駅から2kmの道を歩いてやって来られ、毎日六時間かけて境内を掃除をされていたそうだ。
ほぼ毎日!一年のうち364日来ていたそうだ。
と聞くと「さぞ信心深い方で、きっと静謐な雰囲気の方だろうな」と想像するだろうが、実際は全く違う。何度かその掃除の様子を目撃したことがあるのだが、神社とは全くかけ離れている雰囲気なのだ。街を歩いていたなら誰もが振り返るような奇抜な格好と化粧で、例えると、アフリカのどこかの部族の方のような風貌かつ出で立ちなのだ。
その方の名前はH子ちゃん。・H子ちゃんの存在を教えてくれたのがM氏だった。
ある時、仙人が「なんとなく呼ばれているような気する」といつのもように言い出してM氏と共にやってきた場所が岩園天神社だった。その時にH子ちゃんが居て声を掛けたそうだ。H子ちゃんは「私は、何故毎日ここに来て掃除をしているのですか?」と仙人に聞いたそうだ。つまり自分でも理由が分からず、わざわざ豊中からやってきて六時間も掛けて毎日毎日掃除していたのだった。
岩園天神社は芦屋の山手にあり背後には雄大な六甲山脈がそびえている。六甲山は淡路島と同様に磐座が多い場所でも知られている。山頂付近にある六甲比命神社は巨大な磐座がご神体の神社であり、廣田神社の境外末社である六甲山(むこやま)神社の拝殿下にも大きな磐座が鎮座している。
さらに西宮側にある越木岩神社にも巨大な磐座があるのだが、何年か前に、マンション開発のために磐座を撤去するしないとかなり問題になっていた。結局はまるで何かの力が働いたように撤去せずに済んだのだが。どれもオススメの素晴らしい雰囲気の神社だ。
その中の六甲比命神社は、謎多き神様として知られる瀬織津姫の墓だと云われている。
また西宮の地名の由来ともなった廣田神社の御祭神である天照大神荒魂は瀬織津姫の別名だ。
つまり、六甲山はとても瀬織津姫に縁が深い地であり、岩園天神社もその流れにある神社で、いわばその結界的な地に立つ神社なんだとか。
であれば、大切にしていかなくてはならないはずだが、ずっと荒れ放題だったそうだ。
そんな中、H子ちゃんが「自分でもなぜ毎日掃除をしているのか分からないが」岩園天神社の掃除をするようになったのだ。
そしてある日、H子ちゃんがいつものように掃除をしていると、どこからともなく品のあるキレイな女性が現れた。
「お寒いでしょうから、これを差し上げます」と言って、H子ちゃんに大きな紙袋を手渡そうとした。
見るからに高価な品だったので、何度か断ったそうなのだが、どうしてもというので、手に取って中を見ている間に、その女性の姿は風のように消えていたという。
後で中を確認すると、それは有名ブランドの高価なマフラーだった。
そしてしばらく経ったある日、M氏があるイラストに描かれた女性をH子ちゃん見せた。すると「私にマフラーをくれたのはこの人だ!」と言ったらしい。そのイラストに描かれた女性はなんと、瀬織津姫の墓とされている、六甲比命神社の境内に飾られている「瀬織津姫」のイラストだったのだ!
そして、岩園天神社にて熊野から仙人の弟子をお呼びし、神事を行ったそうだ。結界を解くというか封印を解くための「磐座開き」の神事だ。
もちろんH子ちゃんはそのマフラーをつけて参加された。
神事が行われたのが2020年の3月。
ちょうどコロナ騒ぎが始まった頃だった。
ただ、神事が終わって半年ほどしてからお姿を見かけしなくなってしまった。きっとお役目を終えたんだろうな。
ところで、芦屋市の隣接する西宮市だが瀬織津姫が祀られている廣田神社がある市だ。その西宮市の市章は、調べて貰ったらすぐ分かるが、まるでというか六芒星そのものだ。
市が言うには、三つのヤを取り囲んで宮(ミヤ)を表しているらしいが、どうなんだろう?また真ん中に「弓(ユ)」の文字もあるがこの市章、謎すぎない?