手記として 2
「大人になる」というのは、折り合いをつけたり、ある種の聞き分けを身に付けてゆくことでもあると思う。でも、それらを身に付けることでしかやり過ごせない事象を前にしたとき、こどものままでそれらを獲得することがあると思う。総じて「大人びてるね」とか言われがちになってしまうけど、はやく表面だけ大人にならなければいけなかっただけで、内側にずっとこどものままの部分がある。その部分も含めて今わたしはきっと「大人になる」ことに向き合わないといけなくて、それが本当に苦しい。
本当は~したかった、が、積もりすぎて、積もらせる癖がどうも勝手につきすぎて、自分の気持ちが分からない。丸く収まるならどうだっていいと思ってしまうところがある。だって本当にどうだっていいんだもんな、本心なんて伝えるだけ無駄なんだと思ってしまう。聞く耳を持たない人に一生懸命になっても仕方ないのだから。
自分のこういう部分は冷たいのかなと思いつつ、「分かってもらえる人にしか伝えない」のも、私のエゴだと思っている。
色んな気持ちに板挟みになって訳分からなくなっている。本当に色んな方向に一気に思考がとっちらかるので困る。
どうしたい?なんて聞かないでほしい。そんなこと言うお前とは話したくない、って今日も言わない。
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素直さは愛嬌に近いなと感じていて、実態はどうあれ純朴に見える部分があるっていうのは魅力だなと思う。
素直になりたいが、誰彼構わず素直になるのはマジで無理、本当にどうしよう。あんまり困ってないかもしれない。
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大昔に喧嘩したあの子この子と、大人になったら、時間がたてばきっと仲良くなれる日がくる、なんて信じていた時代もあったけど、実際時間がたってみたらただ関わらなくなるだけだった。
物理的にも精神的にも距離が遠くはなれてしまえば、関心はどんどん無くなる。それは当たり前で、それが世の中を少し軽くしてる部分もあるのに、そこをどうしても重たく見てしまう自分がいる。
悲しみや痛みに浸るのが自分は病的に上手いのかもしれない。ダサい。
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好き、って、人間そのものの結構なめんどくささを丸ごと愛で中和してしまう感じがある。手を尽くしたり言葉を尽くしたり時間をかけたり。
好きな部分しか好きじゃないと、それは本当にただモノとしての好きなんだろうな。
色んな種類があって色んな食い違いになって色んなすれ違いになる。それがもしかしたら最後の会話になるかもしれないのが、いつだって怖いなと思う。
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何もかも、なんにもしないで、羨むことしかできなくなっていた。
走って走って、走って、走って走って走って、走り続けて、楽しかったのに、いつの間にか、あぁこのまま消えたいになって、今はもう、何にも分からないで、走れもしないけど止まれもしないまま、ただぐるぐると同じところを歩いている。
誰からも必要とされていないな、それでも楽しいこととかあったら生きていけるかもしれないのに、もう本当に何にもない。受け止めることも出来ない。
全てただ私の周りを流れていくだけだなぁ。もう疲れた、もう疲れたけど、それいつまで言うんだろうか、
なんか身の丈に合わないことばっか願ってしまったんやろうか、しあわせにならなくてもいいから誰かと一緒に居たい