取り留めなく
どうしようもなく運が悪い日は年に何回かあるもので、それを引き当ててしまったのが今日だった。
基本的に、幸と不幸を天秤にかけたら、お釣りが来るくらい幸せな作りをしているのが人生だと思う。異論は認める。ただし、私個人の気持ちとしては、その天秤を持つことも遠慮したいしお釣りも要らないので身の丈に合った分だけ丁度よく幸せになりたくて、その代わり、度を超えた不幸も欲しくないと思う。むしろ逆で、度を超えた不幸なんて、もう本当に懲り懲りなので、幸も不幸も凪いだ、ただ平凡なだけの毎日がつつがなく過ぎていって欲しいと思う。
度を超えた不幸、身に余る幸せ。結局どっちが与えられてもあんまり嬉しくないのだな。ただ、凪いだ日常に面白味を感じるか、飽きが来ないかと言われたらイエスとは言い難い。そういうことすら全部放り出して手早く無(何も考えないで良い状態)になりたいな、と、頻繁に思う。
ちょうどよく幸せになりたい。死にたいとか言っちゃうけど、言い換えればこれに尽きる気がする。(ほんとかよ)
求めたら求めただけ、同じ願いを持つ他人と対立しやすくなってしまうから、優しい人間ほど自分の幸せを後回しにしてしまう気がする。争いたくない、と、最初から笑顔で白旗を降り続ける人間が傷つけられて、痛いと泣いて悲しむ場面が、一見「弱い」とみえてしまうのはなんだか本当にいたたまれなくなってしまうな。
みんなどこかしら歪みを抱えていて、全うな人間などどこにも居ないと改めて気づいてしまった。ただ、自棄になったり傲ったりして成長を止めた人はカッコよく見えないなぁと思う。相手の良いところを見つけて尊敬できる無垢な人ってなんだかんだすごく強いなと思った。
取り留めなく。