悪酔い
一定の距離を保っている間柄の方が長く親しく出来ている気がするのはどうしてなんだろう。結局踏み込みすぎず踏み込まれ過ぎないことが一番心地よいのだろうか。踏み込むことは怖いけどそのぶん実体めいたものに近づくような、微量の興奮がいつも効いている気がする。実際には自他共に実体めいたもの(その人の本質、とも言える)は常に変化し続けるもので、その意味でほとんど存在しないのに、どうしてその一瞬の興奮や確かさに勝てないのだろう。いつも手を変え品を変え同じことを言っているだけだけれど、今日もやっぱり人間関係ってこの世で一番難しいものだと思う。でなければこんなにも、関係性について言葉を尽くしたりしないだろう。
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気づけばもう8月で、生きてきた中で一番慌ただしい一年な気がする。今年の3月まで学生だったのが本当に夢みたいだ。思いもよらない日々を送っていて、当たり前は当然のように当たり前じゃない。
結局4年間何だったんだ、ってくらい就活をあやふやにしてしまっていた。不安定だったのにより不安定になるようなことするもんでなかったとも思うけど、やっぱり逃げ出した後悔がじわりと滲んでいる。あそこから逃げなかったら何か変わっただろうか。どのみち今みたいに余計体調を崩していただけな気もする。
そうして就活から逃げ出して、たどり着いた先では本当に自分のことが分からなくなってしまって、今いろんなことのやり直しをしている感覚がある。逃げ出しても結局戻ってくるんだ。結局壁は壁だから、壊すか乗り越えるかしかないらしい。迂回した先でうまく生きていける人はまた自分とは別の話なのだ。
結局当たり前のことを当たり前のように私も大切にして生きていくし、体感したからこそ口うるさく言ってしまうけど、安定的な睡眠と量(できればバランスも)のとれた食事によって随分とメンタルは安定する。ただしそれらを手に入れるにはお金がかかる場合もあるので、嬉々として簡単に薦めらんないよなぁと思ってしまう。私も同年代も皆お金がない、その金額にはその日暮らしのリアリティがある。
正誤も真偽も無く失敗だけが記されゆく今後の人生が重たい。
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これ以上近づけない、んじゃなくて、これ以上近づいてはいけない、の間違いだ。近づきすぎると急に磁石の同極同士みたいに強く強く反発しあってしまう。
これ以上分からないんじゃなくて、伝える気が無いだけかもしれないし。方々と適当に扱うことも扱われることも、伝えたくない言葉の方だけ態度で伝わりすぎてしまう。
感情に対照性は無いことを私はさっさと理解するべきだ。思うようにばかり思われる訳ではない。そういう傲慢さでずっと人を傷つけてきたのではないか。とか言いながらその具体例は浮かばないでいるところが、最も傲慢、傲慢というか自分に悪酔いしているようでダメだ。気持ちが悪い。
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メトロメトロ 加速してゆく僕たちは気づかぬままに取り残される