律
あーーーって、心の中で口をぽっかりあけてへたりこんでいる私が居る。余裕がない。少しでも楽になりたくて今日も文を書いている。
悲しかったこと、苦しかったことばかり思い出す。常々フラッシュバックに悩まされている。過去のことを忘れたい訳ではないけど、良い歳して「あの頃のあれが原因で、」なんて言い続けていたくないから、今日も清算や決別の為に脳内で戦う。神経痛。普通に、(という言葉の用法用量には気を付けないといけないけれど、あえて)ふつうに、親に自分のことを話して受け入れて貰えて、然るべき手段で自分と向き合っていける(通院だったり)人が羨ましくなってしまうのは、やっぱり自分が悪いのだと思ってしまう。助けを求めて良いよ、って言ってくれる人に打ち明けてみたとて、結論は自分が頑張るしかない、に帰結する。分かっている。
どうせ自分が自分の意思では死ねない側の人間で、生きていけてしまうことはもう理解した。でも、「どこまで延命する?」みたいな問いを自分に突き付け続けていることに変わりはなかった。
打ち明けられないことの多さで、どのくらい支えてもらっていたかを改めて知ったりしている。これでよかった、って思っている部分と思おうとしている部分がきっとある。何もかも疲れてしまっている。癒しとか支えとかを強めに求められる度に、モヤッとした違和感を抱いていたけど、今ならなんとなく分かる。自分の足だけでは到底立てそうもないときに、易しく耳ざわりの良い言葉をかけてくれる人にすり寄っているだけで、そこにいるのはきっと私でなくてもいいと思ってしまうのだ。
そして今は私が、癒しとか支えとかを求める立場になってしまっている。嫌だな、恣意的に誰かを利用する、使用するような、埋め合わせみたいに傷をなめあうのは、脳死して楽だけどその果てにはきっと何もない。誰かと生きていきたいなら、やっぱり自分で立てるようにならなくては。
また自分を追い詰めて振り出しに戻る。
今日も頑張ります。ぼちぼちじゃダメか?ダメか~~そうか~~