処々

「好き」という言葉の中身を知りたくて、確かなものにしたくてたまらないけれど、知らない方が良い気がしたりもする。人間関係最近全部そんなかんじで、わたしのことを「好き」と言ってくれる人に、嬉しいなと思うと同時に、「どこを?」と思う。どんなところが?と尋ねても良いのだろうけど、野暮な気がして、出来ないまま、結局モヤモヤしてしまう。

どこが好きなのか説明できるうちは本当の意味で好きじゃない、とか、好きなところを説明できてしまったら、それが変わってしまったときに好きではなくなる=本当の好きではない、みたいな、よく分からない話を何となく信じてしまっているところがある。

変わってしまったね、なんて言うのは大概お互い様だと思っている。その変化を是とするかどうかは私やあなた次第ではあるけれど、もし、私にとって良い変化が、あなたにとって良くないものとしてうつるなら、それまでなんだろうな、とおもうようになった。きっと昔はそんなことにも一々傷ついていた。

人生の時期的な事もあって、自身の根元的な部分について深く考えることが多い。自分で自分を見つめていると、嫌なところばかり目につく気がするけれど、本当に本当の内側では、私はわたしのことが大好きで大事で仕方がないのだと思う。嫌気がさすくらい。

人のせいにしてしまいたいな、最近こればっかり思う。許されたい、ともずっと思っている。

言うとおりに、思われるとおりに、それっぽく生きてきたら、それっぽく生きる以外なんにも失くなってしまった。

全部失くなった、なにも信じられなくなったと思った一年ほど前に私を少しずつ救ってくれたのは、信じてきた音楽や文学ではなくて、ツイッターを介した人の繋がりだった。

こんなに生かされているのに、まだ、何にもなれない。

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