夕方
死にたいなぁと漠然と思いながら食べるご飯に慣れつつある。喉につっかえて苦しい食べ物でない何かを、食べ物と一緒に飲み込む作業。人と食べるご飯は基本的には何らかの温度がきっとあって、それがあたたかであったり、冷たくて重苦しさすらあったりする。1人で何かを食べるときって「生存」以外の何でも無いから、時折それがひどく気持ち悪くて億劫になる。食を拒むってある水準以上は安定供給と安全が確保されてないと出来ないから、それが出来ることすら本当は感謝に値するのかな。その話と個人の「死にたい」は全然違う尺度の話だから、ごちゃ混ぜにすると多分良くないことが起きるけど。
気づいたら11月も半ばで、今年はもう残すところ1ヶ月弱しかないと知って驚く。もはや恐れすらあるし、薄く靄がかった思い出ばかりな気がしている。なにがあったっけ、取り出してみればひとつひとつ覚えてはいるものの、それらを繋ぐ「日常」っていう根底が揺らいでいたから、どれも個別の記憶のままで連鎖性がない。感染症に関する話を、解決していないにもかかわらず「もういいよ」と思っている自分がいる。現実逃避なだけだけれど、身を守る手段もなくて前線で戦う術も身に付けていないこちらとしては、残された部分での「日常」を愛する以外に出来ることがないから。
仕事の連絡を気にしておちおち休んでもいられない日が続いていたから、ここ数日は久しぶりに何も気にせずゆっくり過ごしていた気がする。今だけなんだろうな。好きなことを仕事にしたい、というより、仕事は好きになれる内容の方が良い、ってかんじ。アラームをかけなければ私は永遠に寝てられるんじゃないだろうか、って思うくらいずっと寝てしまう。過眠ぎみだったり不眠だったり、過食や拒食を繰り返してしまうサイクルを本当に改めたいのだけど、私の力だけではどうにもならないところまできている。し、仕事や日常で、一回ちゃんと診てもらった方が、と思うけど、そう思えるときは元気なときで困る。どうしてこう難儀な心身になったもんか、心当たりは?って聞かれたら、いや人生の大半ですかね、ってなってしまうので更に困る。あーあ、とか、あちゃー、と思いながら日々を過ごしている。
頑張らなくちゃ、ばっかりだ。そう思いながらひとまずまた布団に入ってしまう。許されたくて眠る。眠れるうちに。