9/28 未明より正午にかけて
わたしひとりでは抱えきれなかった、でも、あなた一人で抱えきれないものを、やっぱりわたしひとりだけで抱えるのは無理で。わたしにとって大きなことがあなたにとって些細なように、あなたにとって大きなことを、少しずつ少しずつ分散して背負ってもらう手段もきっとある。あなたには友達がたくさんいるし。
A.M.5:29
わたしは、大切な女友達にすら、私の過去の(大学以前の)ことをしっかり話してなかったって知った。だからきっとあなたにも、私がそうは思ってないけど言ってないことはきっとある。自分の過去をひどいもんだと語る資格が私には無いと思っていたけれど、いろんな人の話や家庭のことを聞けば、やっぱり私は全然親の愛が足りなくて、そのせいでいろんなことを引き起こしてきてしまったと感じた。そんな負の連鎖の全てを、あなたが、まともな人の価値観ぐらいまで引っ張りあげてくれて、やっぱりあなたは本当にすごい人だと思った。
詳しく改めて私の過去を話す日は来るか来ないか分からないし、聞きたいと思っているかも分からないから割愛する。(その時代に何が起こったかは伝えてきたかもしれないけど、培われてきた価値観についてはきっと話していない。いつかまた書く気もする。)
あなたに会えて、愛される喜びを知った。アザレアの花のよう。あなたに出会えて本当によかった。amazarashiの「ぼくが死のうと思ったのは」という歌の歌詞のなかに、「あなたのような人が生きてる世界に少し期待するよ」というのがあって、それ。けれどやっぱり、負の連鎖、で済ませるには痛すぎる思いをあなたにさせてしまったことは、ずっと忘れません。痛みを知ってるはずなのに、そうしてしまった。内罰的なのは得意だし。やっぱりあなただけは傷つけないでいたかったな。わたしはポジティブな感情(人を褒めるとか)にたいしてはとても素直に言葉に出来るようになったけれど、ネガティブな感情を本当に人前に出してこなさすぎたから、もっとそういう面で素直に生まれ変わっていきたい。私はわたしを自分で認められるようになりたい。そうしていかなければ、やっぱり依存になっちゃう、私はそれじゃダメだ。案外、みんな、聞いてくれる。
A.M.10:21
天気が良い。世界が優しい。もういちど生まれる、という言葉がやっぱり好きだ。ご飯はまだ食べられない。絶望を知ってもがいていた制服の頃、好きなアーティストがあっけらかんと「人と人は分かり合えない」と断言したおかげで生き延びている。今でもそれはきっと世界の事実の一部で、信じてほしいから信じる、信じるから信じてもらえる、そんな事実もきっとあったんだ。私が目を伏せてきただけで。アイネクライネの、「ささやかで確かな見ないふり」が魚の小骨みたいにチリチリと心に刺さる。全然眠れないし。
11:41
友達が歌集を貸してくれたことをきっかけに、図書館の文学コーナーにはじめて足を踏み入れた。あれもこれも、読みたい本がたくさんあって、4年間文庫本コーナーしか眺めてこなくて損をしている。でもこれからいっぱい出会える。「空っぽの花瓶にいける花を探している」という歌詞があって、私が本を読む感覚はそれに近い。不器用な人間ほど言葉を集めたがる。それ以外で気持ちを伝える手段が無いから。自分にとっての「普通」を、技術や努力で補う人がいることと、同じだ。
大学は人が少ないなりにいっぱいいた、皆人を求めている。私は人と言葉と会話を求めている。私が自分に自信がないから永久に人に褒め言葉をかけたくなってしまうけど、それは負担だったところもあるのかな。褒め言葉が、相手に対する「こうあってほしい」みたいな期待として受け取られないように、やっぱりまだまだ言葉を探さなければ。
まだまだ今日は続く