嘘の起源は
それが全てではないけれど、なんだか、「正直者が馬鹿を見る」事件とか、「信じた人が報われ」ない事が最近とても目につく。別に私が大人になって目にする情報や世の中の「結局」を知っただけで、昔から世の中なんてそんなもんだったのかもしれないけれど。
法的に裁かれるべき人が裁かれないとか、正しいことが正しいままに守られないとか、そういうことが理由で傷つく人がいるのは純粋に悲しいことだなと思う。
傷つく側はいつだって生きるのが不器用で、だからこそ「言われてきたとおりに」真っ直ぐに生きることしか出来ない側なんじゃないかな、とか。約束を破っても、傷つくのは破られた方だけだったり。約束を破る方が守りたいのは自分の心かもしれない。
誰かを守るための嘘を人はいつからか覚えるようになる。誰か、というのが自分かもしれないし他人かもしれない。他人を守るための嘘に善性を感じるのに、自分を守るための嘘はなんだか悪いことをしてるみたいだな、と思う。罪悪感。人を傷つけて自分を守る、自分を傷つけて人を守る。そのどちらにもイエスと言いきれなくて、出来れば、自分も人も傷つかず嘘をつかなくていい世界が良いなとか。
いつ、どこで、誰が一番最初に嘘をつくようになったのかは分からないけど。
嘘の起源も優しさが良い。そう思います。