手記として
こないだ人生ではじめて ふたごのたまご に出会いました。喜んで写真を撮ってから、生まれるはずだった2匹のヒヨコを思って少し辛くなりました。喜ぶだけに留めておいたら幸せなのに。
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どうして信じてくれないんだろうなぁ、って何度も何度も思う。常々「許されたい」と思っているけど、やっぱりその根元はどうしようもなく過去にある。
過去は変えられない、未来を見て!とかよく言うしその通りだけど、過去に向き合うことからはじめないと、変えられない未来だってある。
死にたいっておふざけで親に言う子なんて居るわけないじゃないですか。そんな話のくだりでもなければ私はもう成人して、一般的に分別がつくべき年齢をとっくに超しているわけで、それでもなお聞いてくれないのは何故なんだろう。
されてきたことしか与えることが出来ないから、親もその親にそういう風にされてきたんだろうなぁ、とか、子供の時は理解できなかったけど今なら理解できることとか、たくさんあるけど、理解したからって許せる訳じゃない。
私、どうすればよかったんでしょうか、どこからやり直したら良いんでしょうか。良い子で居ても、なんにもならなかった。
生まれてきて、ごめんなあ
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楽しい話題も明るい話もなんにも提供できないから、誰にも会えないし何も喋れないな。楽しい、も、嬉しい、もこれまで分からなくなる度に悲しみだけは明確にあって、都度取り戻してきた気持ちだったけど、もう悲しみすら無くなってきている。良いのかな。分からない。
何のために生きるかとか、何のために働くかとか、全部崇高な話だ。そんな次元に居ない、
話を聞くよと言ってくれる人はたくさん居て幸せなのに、誰にもなんにも打ち明けられないのは私のせいだ
もうダメだ どこにも行けない