歩
一時間散歩して楽しみにしながら観に行った映画はびっくりするほどワケわかんなくて、盛り上がりも盛り下がりも無く終わってしまった。これ言われたら嬉しいかもなって連絡一本、既読無視。帰り際に寄ったコンビニでおじさんに激突されるし、そのおじさんがぽい捨てしたゴミは拾えないし。ファミチキの包み紙を丸めてジャケットに仕舞い込む左手、なんか全然どことも繋がれん気がする。そんな日もあるってやり過ごす。今日は星が綺麗、でもあのときのほうがずっと綺麗。
自分が人につけた傷は棚にあげて、自分の傷ばかり痛がって見つめている。走り去る車のライトがチカチカして羨ましい。でも別に輝きたい訳じゃない。逃げちゃおうかな、どこに?どこにだって行けるって思いながらどこにも行けないことを理解している。連れだって走るバイクのひとつになりたいし、群れで飛ぶ鳥の一羽になりたい。踠いてる、死にたい、しんでたまるか、そういうのぜんぶ含めてしんじゃえよ。
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忙しい日々が続いている。続けている、とも言える。例によって荷造りを続けているのだけれど、だからって生活が止まる訳じゃないのが難しい。好きなアーティストのインタビュー記事が出てきて、整頓しようと思ったが最後、この週末で段ボールの1箱すら出来なかった。(あり得ないほど部屋は汚れた。)今週は本当、仕事中は馬鹿みたいに忙しいから、ゲロゲロになって帰ってくるんだろうな。こんなゴチャゴチャの部屋に帰るのは嫌なので休みの日(作れるかは分からない)が来たら一気に進められるだけ進めてしまいたいと思う。
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昨日は往復で2時間歩いて映画館に行った。楽しみにしていったら私には合わなくて、悶々しながらファミチキ食べて書いた文が冒頭のものです。ムシャクシャしてんな。おまけに病んでて最悪だ。
今日は行きたかった本屋をまわって、歌集を含めて4冊買った。最近、本にお金をかけすぎている。幸せなのです、その行間が。
行きたかった本屋に行くまでに、またまた一時間散歩した。着いてからも歩くし、本屋に行った後は映画をみた。仕事、うんざりするほど疲れているはずなのに、休日は自分なりに最高だったおかげでなんとかなってしまいそうだ。自分の力で休日を楽しむスキルが昔より鍛えられている気がする。好きなものに向き合える自分で良かった、もう二度と、大事なもの、どうでも良くなりたくないなと思う。好きなものすらどうでもよくなったとき、自分の支えになりはしないと知ってしまったとき、あまりにも苦しいから。少しずつ少しずつ、例えば今日のごはんや風景や空気に依存して生きている。
もし自由に使えるお金が無くなったら、一瞬で今みたいな余裕は消え失せてしまうのだけれど。余裕を生むための余裕が要る。紛れもない事実だ。
今日観た映画のなかで、印象的だった台詞をいくつかほんのりと。(正確でない。)
「人を好きになりすぎると、自分のかたちが保てなくなる」
「本当に好きになると、その人だけ全てにおいて例外になってしまう」
「愛されるのは嬉しいくせに、目の前の愛を信じられないから、与えられる愛を嗅ぎ回る」
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進めることよりも、進めないことのほうがずっと難しい年齢になってしまった。これからもずっとそうなんだと思うと、ピチピチした恋愛が尊く見えるのは当たり前だし、そんな恋愛を夢見て読んだあの頃の少女漫画も、そんな自分もどこか尊く見える。
好き、って何だろうか。
恋愛って何だろうか、
独占欲って、なんなんだろうか。
愛って何で出来ているんだろう、
恋ってどこから来るんでしょう。
ただ、大切に思うひとが幸せで居てくれたら、それでいいじゃないですか。
それじゃダメなのでしょうか、
与える幸せよりも傷のほうが増えてしまうなら、一緒に居ない方が結果的には良くないですか。
近づかないと得られない幸せがあるって分かっていてもそう思う。
臆病でいることすら疲れる。くだらない未来の、しょうもない約束だけ大事にしていたい。
本当にくだらない口約束ばかり覚えていてしまう。その癖、相手がわたしに「覚えていてほしい」と思うことばっかり忘れたり気づけなかったりする。取り零したくないのにね。
わたしが忘れても覚えていてよ、あなたが忘れても覚えているから。
そんな句をなんだか詠んだな、またまとめます。
明日からまた、やり過ごすように生きていくか~~の気持ち。