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ベーシックインカムを配らないとこれ以上の豊かさを実現しにくいという話

なぜこれからの日本にベーシックインカムが必要なのか?

それは、「ベーシックインカム」という仕組みがなければ、これ以上の供給力の向上(豊かさの実現)が難しいからだ。

労働人口が減り続けていく日本において、仕事の効率化や自動化を進めて、より少ない労力でより多くの生産を行えるようにする「供給力の向上」が必要であることについては、多くの人が同意するだろう。

しかし、「働かないと(金を稼がないと)生活できない」という現状の市場競争のルールにおいては、これ以上の効率化・自動化が進みにくい。そして、今よりも「生活を楽にする」ような「供給力の向上」を進めるためには、「ベーシックインカム」という仕組みが必要であるという話をしたい。

技術革新が進んでいるのに労働時間が短くなっていないという問題

過去から現在にかけて、技術革新やイノベーションが起こり、絶対的な生産能力自体は向上しているはずだ。しかし、それによって生活が楽になったのかというと、我々が素朴に期待しているほど、そうはなっていないように思える。

経済学者のケインズが、1930年に書いたエッセイ(「孫たちの経済学的可能性」山形浩生訳)では、「技術革新が進むことで、経済的問題は100年以内に解決するだろう」という旨のことが書かれている。

ケインズの予想では、将来、人々はむしろ余暇の多さに苦しむようになり、生活に必要なものを満たすような単純作業は、むしろありがたがって行われるようになり、およそ1日3時間か週15時間くらいの生活に必要な仕事を、みんなで分け合って行われるようになるだろう、とされている。

このケインズの予想は、それが書かれた当時から100年ほど経った現在、「そうはなっていない」という形で引用されることが多い。

素朴に考えれば、技術革新が進むほど生活は楽になっていくはずだが、現状の社会はそうなっておらず、長時間働いても生活が苦しい人は存在する。

ケインズの予想のようにはなっていない理由のひとつとして、ここでは、「技術革新を生活の豊かさに繋げるための仕組みが整備されていない」ことを指摘したい。


労働者は、自分の仕事がなくなるような効率化を望まない

近年、AIの進化などのテクノロジーの発展が目紛しく進み、「人間がやる仕事がなくなる」とか「仕事が奪われる」と言われる。だが、仕事がなくなること(効率化・自動化が進んでその仕事をしなくてよくなること)は、必ずしも悪いことではなく、というより、マクロ(社会全体)で考えれば望ましいことだろう。

しかし、各々の働いている人たちにとって、自分のやっている仕事がなくなることは、何としても避けたい事態だ。自分の仕事がなくなってしまえば、自分が金を稼げなくなり、生活することができなくなる。

たとえ効率化・自動化(供給力の向上)が進む余地があったとしても、その結果として自分の仕事がなくなりそうならば、当人たちはそれを阻止しようとするだろう。

つまり、「効率化して自分の仕事がなくなるとお金を稼げなくなる人たちがいるので、供給力の向上が頭打ちになっている」ということが起こっている。

このような、「働かなければならない(市場で金を稼げなければ生活できない)」ことが供給力向上のキャップになっているという問題に対して、全国民に無差別・無条件で貨幣を与え、働かなくても生活できる社会にしていくことで、供給力の向上を進めようとするのがベーシックインカムだ。

ベーシックインカムは、現状の「市場で金を稼げなければ生活できない」という市場競争のルールを更新して、「経済活動の前提として、全員に一定の貨幣が与えられる」という仕組みを作ろうとする。


「働かなければならない」ゆえの供給力の頭打ちを解消するのがベーシックインカム

市場において、供給が増えたものは価値が下がる。ゆえに、労働者の多くは、供給力の向上を意図的に制限している。

例えば、農作物は、作りすぎると、供給過多になって値段が下がる。そのため、豊作になりそうなとき、農家は、意図的に作るのを控えたり、作りすぎた作物を破棄している。

農作物の供給量が増えると、供給過多になって値段が下がるが、その値段の下がり幅ほどは需要が増えるわけではなく、豊作だからこそ収入が減るということが起こってしまう。ゆえに農家は、自分たちの収入を確保するために、農作物を破棄しなければならなくなる。貨幣収入を確保しなければ生活ができないゆえに、そのようなふるまいをせざるをえない。

またこれは、消費者側から見れば、「食料品などが一定以上に安くなることはない」ということになる。

市場に出回る何らかの商品は、それを生産している労働者が十分な貨幣収入を得られる額が、安さの下限になる。

このように、各々が「市場で金を稼げなければ生活できない」からこそ、一定以上にモノの価格が安くなることはなく、つまり供給力の向上が起こらない。

では、ベーシックインカムは何をするのか。

ベーシックインカムは、経済活動の前提として全員に一定の貨幣を配ることで、既存の経済における「働かなければ貨幣が手に入らない」というルールの更新を試みる。

ベーシックインカムは、すでに存在する余剰を分配するのではなく、これから余剰を増やす(供給力を向上させようとする)ための方法として、まず、「全員に一定の貨幣が与えられる」という仕組みを作る。

ベーシックインカムとして貨幣を多く配ると、基本的には「貨幣」の価値が下がる(インフレになる)のだが、それは、「供給」の価値が上がるということでもある。

ベーシックインカムによって貨幣価値を低下させることで、供給力の向上を目指していく。供給力の向上が成功し、「供給」が増えると「貨幣」の価値が上がり、つまり物価がもとに戻る。

ベーシックインカムを配って貨幣価値が下がったあとに、供給力が向上して物価がもとに戻ったならば、それは「ベーシックインカムが配られる社会になった」ということである。

  • ベーシックインカムを配る(貨幣価値の低下・インフレ)

  • 供給力を向上させる(貨幣価値の上昇・デフレ)

  • 「低下(インフレ)」と「上昇(デフレ)」が相殺されて物価が戻ることで、ベーシックインカムが実現する

ベーシックインカムは、「まず貨幣を配る」ことによって、供給力の向上(余剰の生産)を目指していこうとする方法であり、貨幣を配ることで想定されるインフレに対して、それを乗り越えるために供給力を向上させようとすることに、ベーシックインカムの意味があるのだ。

そして、ベーシックインカムは、「働かなければならない(労働して貨幣を得られないと生活できない)」という経済活動の前提となるルールを更新することを意図する。

「働かなければならない」ことが供給力の向上を妨げているならば、ベーシックインカムが配られるぶんだけ、「生活を楽にするための供給力の向上」をこれから目指すことができることになる。

ベーシックインカムは、既存の秩序を大きく崩壊させない程度の少額から始めて、「物価がもとに戻ったら、配られるベーシックインカムを増額する」という形で、少しずつ額面を増やしていこうとするものになるだろう。

つまり、「ベーシックインカムを配ることによるインフレ」と「供給力が向上することによるデフレ」を繰り返すことで、全員が無条件に与えられる貨幣(購買力)を増やしていくことを目指すのだ。

全国民に無差別・無条件に与えられる貨幣(ベーシックインカム)が、より多く配られながら、貨幣の購買力(物価)が維持されているということは、それが可能であるほど効率化・自動化(供給力の向上)が進んだことを意味する。

ベーシックインカムは、過去よりも供給力が向上した状態を実現するために、まず配って、あとから供給力の向上を目指すものになる。


市場競争は「生活を楽にする」ような効率化を進めない

ここまで、ベーシックインカムという仕組みがなければ、これ以上の豊かさを実現することができないという旨の内容を述べてきた。

だが、一般的には、効率的なビジネスが非効率なビジネスを淘汰していく市場競争によって、過去よりも供給力が上がっていくと思われているだろう。つまり、市場原理における価格競争によって、より安くて質の良いものが提供されるようになっていくと考えられている。

しかし、そもそも市場競争には、人に楽をさせるインセンティブがない。もし、消費者のニーズを満たすことが最も優先すべき目的なのであれば、生産したものを無料で分け与えてしまえばいいのかもしれないが、「市場で金を稼げないと生活できない」ルールにおいては、そのようなふるまいをすることは許されない。自分が十分な金を稼ぐためには、相手に金を支払わせる必要がある。そして、満たされた人間は消費をしにくいので、ビジネスは、むしろ相手の「楽な生活」を脅かそうとする。

例えば、生活必需品や家賃などは、それが生活のためになくてはならないものだからこそ、相手に金を支払わせる確実なチャンスであり、ゆえに価格が安くなりにくい。

実際に、経済成長することで、生活必需品や家賃などの値段が下がるのかというと、むしろ高くなる場合が多い。これはすなわち、経済が成長したところで、「必要最低限のものがより簡単に手に入る社会」になるわけではないということだ。

市場において、消費者のニーズが満たされようとしないわけではなく、市場競争によって洗練されていく部分もある。例えば、外食やコンビニの食品などの平均的な味の良さは、過去よりも向上したと感じる人が多いだろう。同じだけの金で購入できるものでも、過去と比べて質が良くなったという意味では、供給力が向上している。しかし、市場競争による商品の洗練(外食やコンビニの質が上がるなど)は、「生活を楽にする」ようには働きにくい。

平均的な質が良くなったということは、そこそこでやっていた中途半端な店が淘汰されたということでもある。つまり、金で手に入るものが良くなった一方で、金を稼ぐことが難しくなっている。

つまり、市場競争は、「必要最低限のものがより簡単に手に入る社会」をもたらさない。味の良い弁当が売られるようになった一方で、ではその分だけ、味の悪い弁当は安く売られるようになったかというと、そうはならない。市場競争が過酷になったからといって、最低限のもので良いから楽に生活したい、というオプションができるわけではないのだ。

市場のルール上、相手の生活を楽にしても金が儲かるわけではないので、経済成長しても、必要なものを安く提供するビジネスはそれほど進化しない。誰かを楽にするような効率化は、金が儲からないからだ。

ゆえに、市場競争が進むほど生活が楽になるわけではなく、今よりも「生活を楽にする」ような供給力の向上を目指すためには、ベーシックインカムのような仕組みが必要なのだ。


ベーシックインカムが「豊かさ(供給力)」を可視化する

ここまでの話をまとめると

  • 下手に効率化・自動化(供給力の向上)を進めると、自分の仕事がなくなって金を稼げなくなる場合が多いので、それが行われようとはしない。

  • 「働かなければならない(労働して貨幣を得られないと生活できない)」ことが供給力向上のキャップとなっているならば、今よりも供給力を向上させるために、ベーシックインカムを配る必要がある。

  • 市場競争によって産業が洗練されていく部分はある。しかし、市場のルール上、相手の生活を楽にしても儲かりにくいので、必要なものを安く提供するビジネスは進歩しにくい。「生活を楽にする」タイプの供給力の向上のためには、やはりベーシックインカムが必要。

となる。

「市場で金を稼げないと生活できない」ことで供給力が頭打ちになっているという構造的な問題は、特定の企業が何らかの優れたビジネスを行えば解決するという性質のものではない。むしろ、現状の市場のルールにおいて、企業がビジネスに勝つために努力するからこそ、簡単に生きられないような社会が補強されていく。

金さえあれば市場で手に入るものが豊富になっていく一方で、金を稼ぐことが難しい社会になっているなら、差し引きで、豊かさになっているのか貧しくなっているのかもわかりにくい。

それに対して、ベーシックインカムは、ある種、その社会における「豊かさ(供給力)」を可視化するような性質を持つ。

全国民に無差別・無条件で、より多くのベーシックインカムが配られるようになれば、それは単純に、「社会が豊かになった」と言いやすいような状態だ。

ベーシックインカムが配られてなお、貨幣の購買力(物価)が維持され、経済が問題なく機能しているならば、それは、それを可能にするだけの供給力の向上(効率化・自動化)が進んだと見なすことができる。

そして、それを目指すためには、まずベーシックインカムを配り始めることで、経済活動の前提となるルールの更新を試みる必要がある。多くの人は、「供給力が向上した結果としてベーシックインカムを配ることができるようになる」と考えているかもしれないが、実際は、「まずベーシックインカムを配ってルールを変更し、それによって供給力の向上を目指すことができるようになる」のだ。


まとめ

  • 技術革新が進むほど供給力が向上して生活が楽になっていくはずなのに、現状はあまりそうなっていない。少なくとも、100年ほど前にケインズが予測したような、短時間の労働で生活に必要な仕事が終わるような社会にはなっていない。

  • 効率化・自動化を進めると、供給過多になって所得が減ったり、自分の仕事がなくなってしまう。そのため、「働かなければならない人(市場で貨幣を稼がないと生活できない人)」は、供給力の向上を進めたがらない。

  • 「市場で金を稼がなければ(働かなければ)生活できない」ゆえに供給力が頭打ちになっているという問題に対処するために、政府がベーシックインカムを配って、金を稼げなくても生活できる仕組みを整えていく必要がある。

  • ベーシックインカムは、すでに存在する余剰を配ろうとするのではなく、これから供給力を向上させていこうとする試みであり、「ベーシックインカムを配ることによるインフレ」と「供給力の向上によるインフレの解消」を繰り返すことで、より多くのベーシックインカムが配られる社会を目指す。

  • 全員に無差別・無条件で一定の貨幣が与えられた上で、問題なく経済が機能するならば、それは「ベーシックインカムが配られる社会になった」ことを意味する。

  • 市場競争によって、効率的なビジネスが非効率なビジネスを淘汰していき、それによって供給力が向上していくと考えられている。しかし、相手に貨幣を支払わせようとする市場競争において、相手の生活を楽にするインセンティブはなく、「生活を楽にする」ような供給力の向上は、市場原理にまかせても行われにくい。

  • 「働かなければ生活できない」ゆえに供給力が頭打ちなっているという構造的な問題は、特定の企業や個人が優れたビジネスを行えば解決するものではなく、政府がベーシックインカムを配ることで、経済活動の前提となるルールの変更を試みる必要がある。


以上、「今よりも供給力を向上させるためには、ベーシックインカムという仕組みが必要である」ことについて述べてきた。

なお、ここまでの内容で、ベーシックインカムによって実現するとした供給力の向上は、今の日本社会でも、すでにある程度は行われていると考えることもできる。なぜなら、高齢化で労働人口が減りつつある日本は、「福祉受給者を増やしながら経済を機能させている」からだ。

しかしながら、今の日本社会の豊かさは、過去の余剰や未来の可能性を切り崩すことで維持されている側面があり、持続可能なものではない。これから、長期的な社会の存続を可能にする形での供給力の向上が必要とされている。それを目指す方法のひとつが、「ベーシックインカム」になる。

ベーシックインカムについてのより詳しい話は、「ベーシックインカムを実現する方法」に書いている(すべて無料で読める)ので、よければ読んでみてほしい。

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