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海と音と一期一会
人生で強く印象に残っている人がいる。
最後に連絡をとったのは7年前で、今はどこで何をしているかもわからない。それでも時々ふとその人のことを思い出す。
出会い、発展、そして会わなくなるまで。期間中の一連の出来事や、当時の心境を未だによく覚えている。
それは二度と再現できない、一期一会だった。
***
私たちは海にいた。半袖に長袖シャツを羽織るくらいがちょうどいい季節。
知り合いが海で楽器の演奏会をするというので、聴きに行っていた。演奏会はまあまあ楽しかったが、そこまで親しい関係性の知り合いではなかったため、軽く顔だけ出して一人で海をうろうろした。
するとその人がいた。仮に名前をケイとしよう。
ケイは海辺で一人ギターを持って、綺麗な音を奏でていた。
音楽が好きな私はなんとなく近付いていって、ケイの出す音をこっそり側で聴いていた。「生ギターの音って気持ちいいんだよなあ」と思いながら海を見ていると、ケイが話しかけてきた。
細かな会話は覚えていないが、気が付けば私たちは連絡先を交換していた。
あまりの音の気持ちよさに、携帯のボイスレコーダーにギターの音を録音させてもらい、寝る前によく聴いた。目を瞑れば、午後の淡い空気と海の景色が広がった。
***
チーンチーン。
LINEのようなチャットではなく、ケイとは決まって一通一通のメッセージでやり取りした。仕事中、会社の机の引き出しの中でよく音が鳴っていた。
しばらくして二人で会うことになった。
お互いの住まいが海沿いで、一番最初は夜の海岸線をドライブした。お互いが少しずつ緊張している感じがしたけれど、空気感が似ているとすぐにわかり、嫌な感じはしない。後に知ったことだが、ケイと私は誕生日が数日違いだった。
この日を皮切りに、私たちは頻繁に会うようになった。
大体いつも夜の海でケイがギターを弾いて、私が歌を歌った。ケイは私の歌声をよく聴いて、歌いやすいように音を合わせてくれた。曲が終われば二人で静かに達成感に浸ることを繰り返す。
ケイはいつも自分の車で送り迎えをしてくれた。会った瞬間、毎回私の名前と「やほー」と言ってニコニコしながら運転席から出てくるのがお決まりだ。
車内はお香を炊いたような匂いで、今でもなんとなく覚えている。車内のあちこちに垂れたヒモやクリップや金具がブラブラしていて、不思議に思っていると、ケイは「ぶら下がっているものが好きなんだ」と言った。
***
ある時ケイは、海で歌うのではなく温泉に行かないかと言ってきた。
いつもは夜に会うことがほとんどで、昼間会ったのは海で出会った日以来だ。
「最近ギター弾けなくなっちゃって」
ケイは運転しながら言った。急にどうしたんだと思い話を聞けば、手首を痛めてしまったという。ケガではなく病気の方で、体の内側から痛みがやってくるらしい。温泉の目的は湯治だった。
その後も薬を飲みたがらないケイの手首はなかなか良くならなかった。気を紛らわすためか、パチンコに行ってしまったと後悔の念を口にする日も増えた。
そんな時はケイの元気が出るように、一緒に歌を歌ったり、YouTubeでお互いの好きな曲を聴いたりした。海辺に仰向けで寝そべって、星空を見ながら話をする日もあった。
この頃、ケイは私のことをよく綺麗だと言った。これはあくまで勝手に感じたことだが、ケイの言葉はケイ自身に向けられていた気がする。他者に使う言葉は発した本人に一番響くから。
こうしてケイはケイの真ん中に戻ることができたようだった。
***
ある時ケイは私にギターをくれると言った。
恐らく他にもギターを何本か持っていただろうし、くれたギターがどれくらい大事なものだったのかわからない。ただ、後にギターに詳しい人にケイからもらったギターを見せたら、とてもいい音の鳴る貴重品だと言われた。
せっかくだからギターのどこかに名前を書いて欲しいと依頼したが、ケイは「何も書かずに渡したい」と言った。ギターを最後まで大切にしたかったのだろう。
その後、ケイはヨーロッパに行くと言って旅に出た。どんな旅だったのだろう。
このあたりから連絡が疎になっていって、以降、新たな思い出が更新されることはなかった。
私の方も結婚したり、引っ越したりして、二人がよく遊んだ海から離れてしまった。もらったギターは今もまだ大事に自宅に置いてある。
ケイは今、どこで何をしているだろう。
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一期一会とは、もとは茶道の心得を表した言葉だ。
どの茶会も一生に一度と心して主客ともに誠意を尽くすべきこと。転じて、一生に一度しかない機会のことを言う。
ケイはこの意味を本当によくわかっていたみたいに、私から最大限の優しさを引っ張り出していった。
ケイの代わりになるような人はいないし、似ている人もいない。ケイはケイにしかない世界で生きていた。共に過ごした短くも濃い期間は、人生の中で忘れられない記憶として脳内に刻まれている。
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