私は人望がない
皆無であると言ってもいいだろう。
人との関わりが割と薄いのもあって、人から愚痴を聞かされることもない。これは楽だなあと思ってもいたけれど、それはそれで「うっかりしたことを言えない相手」認定されてるのかもなあと最近思うようになった。
口は固いよ、中学の時の同級生女子が好きな人をペラッペラばらすように、重要なことに限って誰でも見境なくしゃべったりしないよ?
とか思っていたら、なんか他人の陰口を聞かされるようになった。おお、何年振りだこのめんどくささ。
結局女子って、中学生でも40代50代になってもその辺変わらんのだなと思わされた一件。
男子はどうですかこういうの。呪うとか呪われたとか裏切られたとか「あの子があんなこと言うわけがない、あいつに言わされてるんだ!」とかありますか。あんのかな。
愚痴とか陰口って、結局何も進まないんですよね、前には。
過去の栄光に縋る人と根本は同じだと思うんです。
過去のことばかり見てグチグチ言うのだから。
でも聞かされてる側には収穫がありますよ。
「こうはなるまい」と思うから。
最近、とあることをお手伝いいただける方を募集したんです、Twitterで。
「お手伝いしましょうか?」「私で良ければ」の類のリプライ、ゼロ!!!すげくね?!
インプレッション数は、通常のツイートの10倍はあったんですよ。
まあ所詮インプレッション数、「表示されただけ」であって、詳しく見られたわけではないのだろう。
こういう結論に至る時、「私で良ければお手伝いしますよ」と言ってもらえる人と言われない人の違いって何だろうと思う。
私は特に、炎上するようなツイートをしてる訳でもなく、誰かを傷付ける意図を持ったツイートもしていない。気軽にバカだのクソだの言うけれど、それは主に過去の私に関わってきた人(主に上司)のことだし。
何だろう、「代金はお支払いします」って、言うまでもないことを書いていないからかなあ。それとも手数料をお支払いしますって言わないからかなあ。
わからん。
人望は、子供の頃の方があったように思う。学級委員に指名されやすかった。
…でもこれって、子供なりに面倒なことを、おとなしくて文句を言わなそうな奴に押し付けてただけなんだろうなとも思う。
話はズレるけれど、今の私の性格と能力を持って、小学校時代の学級委員をやったらどうなるだろうか、絶対教師からも生徒からも反感を買うのではなかろうか。
「穏やか」という言葉からはかなり遠くにいるのでな、考え方もやり方も。
閑話休題。
それなら逆に、私は誰かに「人望」を感じているだろうか。
……。
ごめん。(アッ)
一緒にいて楽しい友人、大好きな友人は数人いる。
しかし、「人望」レベルで信頼しているかと言えば、答えは割と「No」に近い。
それは友人たちが悪いのではなく、私が過去に関わってきた人間たち(友人だった人たちのみならず)が、他人というものを信じてはいけないと私に植え付けてきた結果に他ならない。
信用してはいる。当たり前だ。信用もできない人とは友人でいたくない。
信頼もしている。
しかし、何かが違うのだ。
人は自分を写す鏡だ。
人を厚く信頼できないと言っている人間が、厚く信頼される訳がないのだ。
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