日報:2019年11月9日 最近のこと

気分の乱高下が激しい。

先日バイト中に、発達障害にはよくある「フラッシュバック」が起きてしまい、過去の様々な否定や失敗体験が脳内を支配し、叫びだしたくなったり、体調が一気に悪くなったり、SNSにSOSを書き込んでしまう。生き地獄だ。そのくせ、その夜にいらん強がりを書いてしまう。
我ながらひどい。そら、信頼をなくすわと思った。

酔っ払うとそのひとの本当の姿が見えるというが……

★★★

気分の乱高下を鎮められるかはわからないけれど、9日土曜はサボった。
個展をさせていただいたところにくつろぎにでかけた。

そこで店長さんに聞かれた質問が「茶鏡さん何を信じてる?」だった。

答えに詰まる。絞り出したのが、自分が作っているもの、つまり「自分の腕」。作れるものは大したものではないにしろ、子どもの自分から絵を描いたりしないとコミュニケーションが取れないので、これがなかったら誰かを笑顔に、ハッピーにすることができない。

似た質問を何年か前にされたことがある。

棺桶の中に1個だけ入れるとしたら何入れる?」だった。その時は「なにか書くもの」で、そのときは即答だった。そのときも、信じているものと同じような理由を話したような気がする。
(死んだあとの話ではあるが)だってコレがなかったら、絵が描けないのはもちろん、仕事の現場でメモを取ったり説明に使ったりするので、生きていけないし。筆記用具は私の人生とともにあるのだ。
この質問は、友人のイラストレーターがイメージを膨らましてくれて、絵になった。

いずれも「自分ってこうだ」と気づかせてくれる「問い」であった。

だいたいにおいて共通言語がないと、まともな「問い」は出せない。インタビューするときにインタビュイーのバックボーンを調べ上げるのがそれだ。

だけど、この誰にでも当てはまるシンプルな「問い」も、答えるのが難しい分、出たときに自分でも新鮮な驚きがあったりする。「何を信じてる?」という問いは、最近、神様など見えないものを信じているひとが増えているというきっかけだったようだ。

自分の腕を信じている、ってなんとなく傲慢な気がするが、ほかはすっからかんやし、自分の腕ぐらい信じてあげて、愛してあげてもいいんだってなった。

★★★

先日、クライアントの都合で定期の仕事が一つなくなった。

外注紹介サービスの案件。クライアントから「レスポンスが早くて素晴らしい」と言ってもらえた。本当に役だったかはしらんけど、クレームがないのでそれなりにはやれてたんだと思う。

制作会社にいたときにお世話になっていた会社を訪ねたら、「茶鏡さんなら安心してお願いできる」と言ってもらえて、受注につながった。

何が言いたいのかというと仕事は腕一本では成立しないのだ。

制作会社にいたときなどでご一緒して信頼を築くことができたのは、やり取りを必死のパッチでがんばったからなのだけれども、新規のお客様・私のことをあまり知らない方に安心材料を届けるには、日頃の行いというか、適切な情報発信が必要。(本当は実績をお見せできればよいのだが、まだそういう案件はお受けしたことがない)

情報発信こそ(ある程度は)腕一本でできる。
SNSを乱高下させている場合ではないのだ。

★★★

情報発信大事、とはいうものの、万人と仲良くしなくて良い。

考え方などが合わないものは合わない、否定されようとも、それを真に受けて信じなくてもよい。自分は自分で変わりがない、いう認識に変えなさいと言われたばかりだった。

それで他者の目や評価がやっぱり怖いのだということに気付かされる。いまだって、SNSは評価が可視化されてしまうところが精神的にきつい。

合うところに届くことを切に祈りながら発信していこう。




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