日報:2019年12月5日 殺さない彼と死なない彼女
バイトに無理やり出社したが、何もできず固まってしまい、結局早退して寝込んでしまった。
★★★
映画化で話題の、「殺さない彼と死なない彼女」(以下、殺カレ死カノ)の原作コミック(4コマまんが)を読んだ。(試し読みはこちら)
高校生の「殺さない彼」と「死なない彼女」の、世界へのそれぞれの絶望から紡がれる「死にたい!」「殺すぞ!」の過激で異様なやり取りの中に、作者の描く不器用極まりない愛の詩が見えてくる。
これを映画化した監督は「寄り添い」だと話していた。
「死にたい」と言う彼女に「殺すぞ」 監督が考える「寄り添い」 - withnews
実写映画のトレイラーを見たが、生々しくてもしかしたら2時間見るに堪えないのではと思った。あのまんがは簡素でかわいい絵だからこそ、わたしは詩として読めるのかもしれない。
★★★
さて、まんがの話から少し離れるが、わたしも希死念慮がある。
この前もSNSに(死にたいとか自殺したいと書いたら運営から警告が来るので)「富士の樹海に行きたい」という話を書いたばっかりだった。だれもリアクションしないし、みんなスルーしている。
(リストカットはしないが)どうして傷でボロボロの腕をわざわざ人に見せるようなことをするのだろう。他人のダークサイドなんて誰も見たくない。
わたしは、ひろゆき氏の言うところの「無敵の人」に近い存在で、犯罪もやろうと思ったらできるし、ましてや勝手に死んだところで多分どうってことないからやっちゃうのだけど。
★★★
「殺カレ死カノ」の話は、登場人物がまだ高校生だから、まんがとして成立するのであって、これを大人が「死なない彼女」のように毎日「死にたい」と言っていたら、はっきりいって無様である。
まんがのファーストインプレッションはこれだった。
わたしも「死なない彼女」のように「死にたい」とは言っているが、死んでない。
死にたかったら勝手に死ね、わたしも勝手に死ぬ、というのがわたしのスタンスではあるのに、「死にたい」とわざわざ公の場で云うているのであるから、どうかしている。
そして件のまんがも、まあまあ、どうかしている。
「死ぬ」「殺す」ということばだけで傷つく人もいるからだ。
先程も話したが、まんがのように高校生ならまだしも、大の大人が「死にたい」と言いふらすのは、他者にとっての誰かの喪失への想像力に欠ける。
そうしたことが、いろいろややこしくして、わたしは敵を作っている。
★★★
わたしは「殺カレ死カノ」が好き。
若い二人が、互いの絶望に触れ合うところがとてもとても愛しかった。
まんがの作者があとがきに書いた、大切なひとを亡くした経験から「殺カレ死カノ」が生まれたこと、冒頭に出した映画の監督が「寄り添い」だと話していたこと。
映画のことはまだ見ていないのでわからないけれど、このなかなかどうかしている(たぶん、好みも分かれる)まんがに、たくさんの人が何かを感じているのは不思議なきもちになった。
みんな大なり小なり絶望を抱えていて、うんうん、って言ってほしいのかなと思いながら。
わたしは大人なので、傷でボロボロの腕は、わざわざ見せるんじゃなくて、また、特に隠すでもなく、ぶら下げるぐらいがちょうどいいんだとわかった。(とくに、私は精神障害者なので)
ぶら下げたまま、絶望を肯定してくれるひとがいたらいいのに〜。ああでもそれはまんがやからな〜。
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