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日報:2020年1月1日 この世界の(さらにいくつもの)片隅に

注意:この記事は「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が好きな方は読まないでください。不愉快な気持ちになるぞ!

★★★

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
年末に書いた「2020年の抱負」はこちら

例年の大晦日〜3が日は実家でダラダラしているところ、インフルエンザが蔓延し帰れなくなったので、「それじゃ映画を観よう」と。大晦日は「スター・ウォーズ エピソード9」、元日は「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を観ることに。

今回はある事情で「この世界の〜」について書く。

★★★

わたしが元日に見たかったのはきっと、「戦時中、富士重工業の前身の会社が軍用飛行機を造るプロジェクトXみたいな話」なんだと思う。

なぜなら、作中で一番好きなセリフが、主人公の嫁ぎ先の義父が「(飛行機を)300馬力から1000馬力まで上げたんだ」という自慢話だったから。

フラストレーションがたまりまくり、見終わったあとに、映画館のあるなんばマルイを引っこ抜いてぶん投げたくなった。こんな元日はイヤなので、整理のために記事を認める。

全編に渡って「地獄」だった。

途中で抜け出せる席だったら、咳をしてしまうことをいいことに、抜け出していた可能性もある。

もともと、前作の「この世界の片隅に」をテレビで観て、「これは一度観ただけでは理解できない」という感想を抱いたが、更にエピソードを膨らませた作品を見て「これは永久に理解できない」とすぐ悟った。

主人公・すずが、広島から呉の知らない家に嫁ぐところから、戦時中の生活が淡々と描かれていく。

戦時中の生活の風景、というか、すずの呉での生活は地獄に見えた。
淡々と描かれていくところがミソで、もっと鬱蒼と、はっきり地獄だとわかる描写ならば、もっと掴みどころが見いだせたのかもしれないが、音楽の優しい音色と極彩色の風景は、地獄と言うにはミスマッチだった。

2時間ずーっとそんな風景が流れる。
主要なすべての登場人物にフラストレーションがたまる。
すずが弱っていくさまをみて「広島に帰ればいいのに」と何度となく思ってしまう。帰れないというわけでもない、でも帰らない。

話に入り込めないわたしの脳内に、余計なものが入りこむ。例えば、貧弱な艦これ知識から艦娘が登場したりとか、冒頭で触れた富士重工業の前身の会社のこととか。

自宅に戻って、なんとなく解説を読んでみた。
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は、追加シーンによって何が変わったのか

わたしのフラストレーションは、どうも、史実を含め複雑なバックボーンとすずの心理描写を読み取れなかったのことが原因らしい。これがわからないとこの作品の本質はわからない感じがする。セリフの聞き落としもあったので、字幕付きで見れば違ったかもしれない、とはいえ、どうしてあの音楽と風景と物語を紡ぐのかはやっぱりわからない。

誰か、わたしにわかるように説明してほしい。

なんばマルイをぶん投げたい気持ちから、腹落ちせず泣きそうになった気持ちの正体はこれなのだ。作品の内容を「〇〇系」とすら説明できなかったこともそういうことなのだ。

作中の戦時を生き抜く生活人たちも、「地上の星」とわかってても「風の中のSUBARU〜♪」って歌いだしかねないからな、わたしは。


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