日報:2019年8月19日 Twitterの話

朝、頑張ってつくった見積もりを送ったりなど、各所に連絡する。

今日はツイッターの話をする。悩んでいることがあって、こんな投票もやってみた。ちなみに20日の23時ぐらいまで受付している。

「デザイナーの仕事をあきらめるか」

私はフォロワーさん(以下敬称略)が少ないし、あまり仲良くもしていないので、票が1票も入らないと思っていたが、1時間ほど経って意外と入っていた。

その途中経過に対し「一番下に入れたひとは理由を教えてほしい」などと書いたけど、入れて理由を教えてくれるひとなどいるわけもなく、ただなぜこれを入れたのかあれこれ考えて悶々とし勝手に傷ついたりする。

Twitterは「自由」。
これがTwitterのいいところでもあり、悪いところでもある。基本的にフォロワーは、自分の推しでもないわけのわからない一般人のフォロイー(私)のことなど「知らんがな」と思っている。どうしてフォローしてくれるのかは、人によって違うし、そこも自由なのである。

なぜそういうことを言うのかというと、Twitterのフォロワーに「私のことを思って、何かを伝えてくれる人」は、ごくごく限られている。
フォロワーにそういうことを期待するのはちゃんちゃらおかしい。

(逆に、何かを伝えてくれる人は、大事にしよう)

投票なんて、適当に押す人もいれば、大真面目に押す人もいるし、そこは何度も言うように自由だし、責任いらないし、どちらかというと責任があるのは投票を設置した私なのである。

よくよく考えれば、投票の設問は「デザイナーの仕事をあきらめるか」だが、普段デザインに関連したツイートをしているかといえばそうではないし、どちらかといえば他の関心事が多い。息をするように何かを作り考えているデザイナーと比べれば、興味関心が薄く見られるのは当然のこと。

自分で自分にツッコミを入れてしまい、フォロワーが何を思って投票しているのだろう、なんて考えるのもだんだんよくわからなくなってしまい「こんな投票は意味ないかもしれん…」とすら思うようになってしまった。

数がどのくらいあるのかさておき、投票結果は投票結果である。
どう受け止めるかはこちらの自由だけれども、意味がないというのはさすがに投票してくださったフォロワーに失礼である。

私は公開のアカウントに関しては慎重にツイートしているつもりだったが、今回の、悩みを打ち明けるというか、フォロワーに何かを期待するような投稿は慎重さに欠けた。これは、自由を履き違えている典型で、誹謗・中傷・無責任発言と、なんら変わらないのだ。

ちょっと前のセミナーで「自分のSNSアカウントはキャラをラジコンで動かしているようなもの」と聞いて目からうろこだったが、公開でTwitterをやるからにはこれを実践したほうがいいと改めて思った。

ラジコンで動かすのであれば、何を発言すればいいかに対して気を配れるし、何かを言われたとしても必要以上に傷つかない。
自分の心を守るのを基本とし、フォロワーに対して不快な思いもさせることも少なくなるはず。

今後のTwitter活動はキャラにやらせよう。
心が弱っても、何か相談したくても、何か言いたいことがあっても、まずキャラに言わせてもよいかマネージャーに打診してみよう。

自由な世界には、裸一貫で入らずキャラを投入して俯瞰で見よう。
(たぶん、みんなやっている)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?