フリースクールの記憶から辿る~私の居場所観~
今回は私の居場所観について書きたいと思います。
現在、私は被災地居場所「スケッチ」で居場所支援員として、
居場所づくりに携わっています。
そこで、
私にとって「居場所」って何だろう?
ということを書ければなと思いました。
先日、エルソーラ仙台で開催した「出張居場所スケッチ」に参加された方から、こんな感想をいただきました。
「まるで、大人のフリースクールみたいですね」と。
何となくその表現が、私にとってしっくり来ました。
もちろん、スケッチで「こういうことをやりたいなあ」というのを、居場所の中で表現しているつもりです。
どうして、私が「こういうのがあったらいいなあ」と思ったのか、その感覚みたいなのを言葉にできればと思いました。
①学校に行かなかった中学校時代
私はいわゆる不登校の経験者で、中学校は1年生の時に半年間だけ行きました。
そのあとは、3ヶ月ぐらい自宅にいて、徐々にフリースクールに通うようになりました。
私の居場所観の根底には、当時通っていたフリースクールのイメージが根強く残っています。
そのイメージを振り返ってみます。
私がそのフリースクールに初めて行った時の印象に残っているのは、
「畳のスペースがあって、たくさんの週刊少年ジャンプの近くで、同年代の人がニンテンドー64のスマブラをしている」です。
元々ゲーム好きだったのもあって、なんかいいなあと思ったような記憶があります。
私はすぐにそのゲームをしている人たちに混じって、ゲームをしていたような気がします。
あと、フリースクールにあったものは、
ザリガニが入った水槽、
漫画と将棋盤が仕舞ってある棚、
卓球台、
自習学習するための机、
ベランダのプランター。
フリースクールでは、学芸会をしたり、近くの体育館で運動をしたり、遠足に行ったりしました。
そういう、いわゆる「普通」の中学生がしていて、私が参加できなかったものを、フリースクールで代替しながら取り戻している。
そんな感じでした。
②居場所づくりの必要性を学んだ社会人時代
2つ目のイメージは、私が以前勤めていた職場でしていた、居場所づくりのイメージです。
私が転職活動をしていた時、その職場の見学をさせてもらいました。
その時の感想が
「昔、通っていたフリースクールに似ている」でした。
私は、その場所が「学校っぽくない学校」ということで好きになりました。
私は、その職場で、不登校の当事者の方とお話ししたり、eスポーツをしたり、運動したり、料理したり、勉強を教えながら〜みたいな仕事をしていました。
その職場で学んだ、「場所を作る」という経験値と、こういう場所が求められているんだという感覚があります。
③「スケッチ」について思っていること
私がこのスケッチに携わっている理由は、社会にこういう場所があったほうがいいと思っているからに尽きます。
こういう場所は私自身も求めていて、更にその欲求には普遍性があるということに、確信めいたものがある。
つまり、こういう生き方や背景がある私にとって必要とされるものは、他の似たような背景がある人や、また全く違う背景のある人にとっても、必要とされるだろうと考えています。
なーんて、ちょっと熱いことも書けちゃう『スケッチ』が、
色々な人や経験に、ゆるーく、さっぱりと繋げていけるコミュニティになっていったら、いいなあと思います。