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生きるのだ


最終面接を終えた。結果はその場で言われず、ただ待つだけの時間が来てしまった。
来てほしかったのに、来たらきたで辛くて、怖くて、見たくなくて、目を瞑りたい。
その場を感じることすら怖い。
悲しい曲を聴いて泣きそうになってみたり、泣いてみたり、悔やんでももうどうしようも無いのだけど、感傷に浸っている。

悲しい歌もいつか懐かしい歌になる、宇多田ヒカルが身に染みる。

私は強い方だ。周りからも言われる。
なぜそんな苦しい状況なのに耐えられるのか、と言われる。
去年あたりから、自分を確立でき始めた。周囲に支えられてやっとの思いで確立したと思う。

どんな出来事があっても、どれだけ苦しくても、それを感じること。感じることすらやめてしまったら、なぜ人間として生きているのか分からない。生まれてきた理由なんて特にない。好きな男ができると、その人に出会うために生まれてきたんだと思うことはあるが。
生まれてきた理由は無いが、人間として生まれたということは、人間として色々な感情を味わうことも醍醐味の1つなのではないか、と思っている。

苦しいことが沢山あった中で、やっと見出した答えかもしれない。答えに相当するかは自分の中だけで決めたものだが、1番しっくり来た。

こう思っている方が、神からの恩恵を受けやすいかも、と思ったからかもしれない。
あー生きてる、人間だ、これも糧になる、と思うようになってから、転んでもそれ相応の喜びを与えてもらっている気がする。

信じるものは救われるというのは本当かもしれないとも思う。徳を積むと言うけれど、自分の感情を常に戻ってこれるように土台を作っておく。自分に帰る。その自分というものは、どんな事も感じる、そして感謝する、ありがたいと思う、楽しいと思うことだ。そこに帰ってきて初めて、ひとつの終わりを迎える。

失敗したり、孤独だと心底感じたり、劣等感にまみれて、それでも微力な自分に悲しくなったり、色々な気持ちになってきた。だけど、それはずっと続くものでは無い。続いてはいるけれども、今の自分が何を感じているのか。過去と照らし合わせて、こんな感情あったな、と思い出す。だけど、恨んだりしない。
過去の自分が超えてきてくれたからこそ、今の自分がある。
それをすごく感じる。

本当に最悪な未来を想定してみる。
結局内定が貰えなかった、好きな人とも進展がなくて終わった、結局現状を何ひとつとして変えられなかった。そうだとしても、自分は残っている。自分を信じて前を向くしかないのだ。

最高な未来を想定してみる。
明日の午前、実習の中休みでスマホを確認しに行く。そうするとメールが来ている。内容は、「結果をお送りしました。マイページを開いてください」と書いてある。そこには、「内定です」と書いてある。リクルーターから連絡がくる。
好きな人に結果報告をする。自分事のように喜んでくれる。また再会する。付き合って欲しい、と言われる。
こうなったとしても、どれだけ舞い上がっても、自分は残っている。

自分を信じて歩むのみ。
どれだけ困難があっても、こんな感情を味わえる経験だと昇華する。それができるようになったからには、さらに前に進もう。
私は必ず、幸せになるから。
死ぬ前に、周りに感謝して、それはそれは濃い走馬灯を見て、幸せな眠りにつく。
それまで、頑張ってみようと思う。

もっと、見た事の無い景色に触れて、感じたい。
出会ったことの無い人に出会って、痺れる体験がしたい。
周囲を喜ばせたい、誰かに何かを還元したい。

まだここに無い未来をまた作っていく。

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