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三上寛と私


三上寛
1950年3月20日青森県北津軽郡小泊村(現・中泊町)に生まれる。67年同郷の詩人、寺山修司などの影響を受けて現代詩を書き始める。 69年ライブ活動開始。71年レコードデビュー。タブーな性言語、日本の呪われた風習を題材にした「怨歌」を歌いセンセーショナルを巻き起こし、 日本を代表するフォークシンガーとして確立。デビュー50年・古稀を越えて、 青森という土地をバックボーンにパワー溢れる津軽を原風景とした人間の 生き様を歌う自作の唄は、昭和・平成を越えて、新しい令和という時代の津軽民謡なのかもしれない。
また詩人として詩集やエッセイも著書多数。
ほかフィールドは広く、俳優(映画「世界で一番美しい夜」 「戦場のメリークリスマス」「トパーズ」などに出演) レポーター(NHK-TV「ふだん着の温泉」)などで活動。
(三上寛オフィシャルブログ・寛闊より)

僕が自分の意志で音楽を聴き始めた9歳くらいから25歳くらいまでの間、僕は洋楽しか聴いていなかった。
地元の横須賀という土地柄も、もしかしたら何かしら関係していたかもしれない。
主にビルボードTOP40だったり、家にあったレコード(ソウルミュージック系)をずっと聴いていた。
もちろんテレビから頻繁に流れてくる邦楽は何となく知っていたが、特にサビが英語になるJ-POPの曲とかは毛嫌いしていた(今も好きではない)。
自分が音楽を始めたのは遅くて、20歳くらいから -DJ/トラックメイク/ラップを同時進行で- なのだけれど、そのきっかけの一つは、ルーツは洋楽でも何か日本語で新しい日本人としての曲がヒップホップという手法なら作れるかもしれないという発想があったからだ。(ちなみに、その時点では日本語ラップの存在をあまり知らなかった。)
なので、相変わらず日本の曲は聴いてなかったし、なんなら自分の思う良い歌詞を歌う人は存在していないぐらい当時は思っていた。
そんな中、ある日、友人が車の中で"はっぴいえんど"を聴かせてくれた。僕は、こんな詩を歌うアーティストが存在していたのか!と、凄い衝撃を受けた。それで、「URC」を教えてもらい、"はっぴいえんど"と高田渡を買ってみて、そこから色々と歌詞に興味を持てそうな今の(当時の)音楽も探って聴いてみたりし始めた。
現代詩を読み始めていたのと相俟って、"はっぴいえんど"からは、その頃は多大な影響を受けたと思う。
それから後、ビデオ屋のバイトを始めて、交代制で働く時間は殆ど一人だから、ダメと言われつつ、有線でジャズを大きい音量で流したり、仕事中に映画を観たり、楽器の練習をしたりしていたことによって、幾人かのお客さんからジャズを教えてもらったり、ヨーロッパ映画のDVDをもらったり、少し変わったクラシックの先生(今井さん元気かな・・)に面白い話を聴いたりして、密かに色々と勉強になった。
その中で、仲良くなったおじさんから、ある120分のカセットテープをもらった。そこには手書きで「アングラフォーク大全」とあり、URCの様々な曲をそれで知るようになった。
中でも僕が気になったのは「三上寛」だった。

それから、しばらく経って、横須賀の盟友・どいちゃんが働き始めた(今は店主)OM CHAN TONEという日本橋のお店で何かイベントをやろうとなって、僕は思い切って三上寛を呼ぼうと考えた。
それ以前に、DJで曲をかけたり、たまたま通りかかった「アケタの店」でついに生でライブを観たり、僕自身も三上寛のレギュラー出演がある(現在も!)無力無善寺に出ていたので、是非呼んでみたいと思ったのだ。

それで、直接2度ほど会いに行って、OKをもらった。(ここからは"さん"付け)
イベント当日、寛さんから、使い慣れてないギターアンプだからちょっと見てくれと言われた。しかし、僕もギターアンプは詳しくなく、二人で試行錯誤しながら、僕は僕で自分のミキサーやエフェクターを通したりして実験しているうちに、面白いなという話になって、今度一緒にやろうと言ってくれたのだった。
それから、何回かデュオという形で共演させてもらう事になって、時々ふと何か不思議な気がしたものだ。
更に、僕と本田ヨシ子の二人で、半ば追いかけるようにロンドンとグラスゴーの三上寛ツアーに同行した。その旅は、なかなかの珍道中で(笑)、とても良い思い出になっている。ロンドンでは短く前座もやらせてもらったり、ギター持ちやちょっとした通訳?をしたり。
色々と驚くようなことや面白い出来事があったのだけれど、それはここでは省きます。
デュオをやらせてもらっていた時は、正直僕が考え過ぎていて、たぶん寛さんはダメだなと思ったんじゃないかと思うのだが(記録として動画をあげてる)、リハ前後の話してる時間や終わった瞬間の言葉が僕にはとても大きくて、ロンドンの旅と共に、自分にとって凄い財産になったと思っている。
その頃リリースされた「弥吉」は、演奏もしたので、とても強い印象がある。


その後、ギターの加藤一平君を交えたトリオがあって、それも面白かったのだが、僕の企画で2マンをお願いしたライブ、映像や音源の記録には残ってないけど、他にはないんじゃないかと思うような何か異様なデュオだったと思う。僕の曲に寛さんがギターを即興で弾いたり、昔の曲をサンプラーで再構築したトラックの上で寛さんが歌ったり。
それから一緒には演奏はしてないけど、年末は必ず無善寺で新年の挨拶をさせてもらってます。

三上寛さんは、ずっと詩・曲を書いて新作を出し続けている。近年は会場にお客さん入れて、その場で詩を書いて、ライブ録音をしてる。凄い。最新作は「そのさきにみえるもの」。


ちかいうちに、何かしらの形でまた共演か出来ればなと、僕は思っている。


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