日記#56 キリスト先生のお話、わたしの終わりの始まり。
2023/1/05
わたしの死。わたしの終わり。
それは閉園になった遊園地。
蔦の絡む閉じた園門の向こう側で、風に吹かれて錆びた音を立て軋む遊具たち。
雨ざらしの鉄錆。倒れたポップコーンメーカー。色褪せて生気の失せたマスコットキャラクター。
濁った園庭の池。終わった演目のポスター。
紙屑。紙テープ。
束の間の煌めきの残滓。
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アナウンスが響く。
「本日をもって当園は終業しました。」
それがわたしの「終わり」のイメージ。
楽しかり日は今何処?
<パーティは終わった。夜が来る。>
年明け最初の通院日。病院も今日が始業日。いつもよりは混んでいない。電話で心理士さんも一緒にお話と聞いていたから緩和ケアの受付の人に声をかけたけれど、受付票は女性診療科になってるしってことで女性診療科の方でまっていたら心理士Gさんがやってきて、やっぱり緩和ケアのいつも面談していただいてる部屋でキリスト先生が待機しているからそっちでってことで、Gさんと一緒に緩和ケアの部屋の方へ向かった。
年明け最初の通院日。病院も今日が始業日。いつもよりは混んでいない。電話で心理士さんも一緒にお話と聞いていたから緩和ケアの受付の人に声をかけたけれど、受付票は女性診療科になってるしってことで女性診療科の方でまっていたら心理士Gさんがやってきて、やっぱり緩和ケアのいつも面談していただいてる部屋でキリスト先生が待機しているからそっちでってことで、Gさんと一緒に緩和ケアの部屋の方へ向かった。
パソコンのモニターには私のCT画像が写っていて、そこに写る腫瘍がかつてより大きくなっていること、そして数を増やしていることを先生から伝えられた。一旦眼鏡をかけるとことわって、かけ終わって改めて画像を見ると、確かに先生の言う腫瘍は大きくなっており、最初の画像にはない何かが増えていた。
そしてその腫瘍を手術で取ることはできないと先生は言った。何故ならそれをした場合命にかかわるからで、そんな医療はしてはならないということだった。そして抗がん剤について、ゲムシタビンは効かない、耐性がある、そして今使える抗がん剤では腫瘍を小さくしたりはできず、現状維持ができるのみであるということを伝えられた。
厳しい話だと、難しい話だと言われていた。そしてこの1週間予想はしていた。私1人で聞くのはきつい話だからGさんに同席してもらう、電話で先生にそう言われた時点でただで済む話でないことは想像がついた。やはり私はいよいよだったんだなぁ。涙は出た。でもたくさんじゃなかった。激しい感情の伴わない涙。なんかこういう時って涙が出るものなんでしょう?そういう涙みたい。ストレスは感じた筈だから、涙が出たのはまともだと思う。
とにかくその結果を踏まえて、先生は私にある選択肢を示した。一つは現状維持しかできないけど抗がん剤治療を行う道。もう一つは積極的な治療をやめて、痛みなどに対する緩和的な治療のみを行う道。
後者の道について先生は、それを選ぶのは勇気のあることだと言った。確かにそうだと思う。それを選べばもう腫瘍に対して何もしないのだから、自分の死を確実に受け入れざるを得ないということだ。でも抗がん剤を使う場合でもそれは延命に過ぎない。それを遅らせるだけだ。どちらにしても死は避けられないのですよね?という私の問いを、先生は肯定した。
先生はその選択肢を今選ぶのは無理で、時間が必要だろうと言った。つまり今日この場で決めないといけない話じゃない。それから話は病状が悪化してからのことに進んで、家族が頼りにならないのであれば訪問看護や施設に入ることを考えるのもいいということだった。元気なうちにそういうのを考えておくといいって。今は生きるのに大事な臓器は無事だからすぐに死んじゃうわけではないみたい。でも今後腫瘍が育てば腎臓を圧迫して駄目にしたり腸閉塞になったりというのが起こりうるようだ。
とっても厳しい辛い話になった。でも先生からの話じゃなかったらもっと辛くなったと思う。先生は全部率直に話したけれど、それは私を少しも苦しめなかった。やはり先生は私を傷つけない。来週の先生の診察日には母を伴って行った方がよさそうな感じだった。とにかく次の時を決めて、先生とのお話は終わり、13時の緩和ケア面談の時間まで昼食をとったりして考えることにして、挨拶をして部屋を出た。
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部屋を出た後すぐにどこかへ足を向けようという気持ちにはならず、廊下の長椅子に腰掛けた。また少し涙が出たけど号泣はしなかった。部屋の中から先生とGさんの話す声が聞こえたけれど、内容まではわからなかった。そのようにしてしばらく1人で座っていた。何かを考えてはいたけれど、何を考えていたのかは思い出せない。
扉が開いた時私は俯いていた。ポケットからスマホを取り出そうとしていた。そしたら近くに先生が来て、青い医療着と先生の靴が見えた。先生は私に声をかけ、今日の話についてどう思ったか尋ねた。怖かったけどでも死ぬとかいうのはがんだと言われてからずっと考えていたことだから、と私は言った。なんとなく笑った。それから先生は長椅子の私の隣に座った。
先生は私に、皆いずれは死ぬ、先生自身もそうだと言った。それはその通りだから私は頷いた。皆そうなんだけど、腫瘍という形で目にしたら途端に怖くなる、先生はそう言った。腫瘍は死を形にする。自覚できるようにする。そして今私の体の中にそれがある。私は死を孕んでいる。病気になってからずっと。
そうして少しの間先生は私と話をしてくれて、Gさんが部屋から出てきたので先生と挨拶をして別れた。Gさんはまた一時に、と言って去って行った。面談の部屋は明かりが消えて暗くなっていた。
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昼食は病院のレストランで摂った。きつねうどんとおにぎり。おにぎりは花の形をしていて中身は昆布。梅干しが乗っていて漬物が添えられていた。途中レストランの人が水を注ぎ足しに来てくれたけど、上の空でスマホ見ながら音楽を聞いていたからうん、とか言ってしまった。ちょっと失礼。
レストランを出てエレベーター前で待っていたら、研修医のような若い人三人がやってきて、その人たちと同じエレベーターに乗った。彼らは医療従事者の卵だろうけれど、今そばにいる私が死にかけのがん患者だなんてきっと想像もしていない。若くて明るい雰囲気の男の人たち。彼らよりも先に降りて、緩和ケアの受付に向かった。
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約束の13時の10分前に受付で声をかけたら、さっきはごめんなさいねと言われて(受付の人は別に悪くない。受付票女性診療科になってたし)面談の部屋へ行くように案内された。約1時間半ぶりにGさんと再会。いつもはある程度Gさんがお話の出だしを定めるんだけど、今回はどこからでも、と仰った。
まあ先生の電話の時点で難しい話と言われていたし、Gさんも一緒に話をとのことだったし、正直見当はついていたというか、他にも永久ストーマとかまた新たな肉体改造とか他の怖い可能性も考えたけど、ということをお話しした。Gさんは電話の先生のお話時点ではまだそのことを聞いていなくて、私が思ったよりも後で打診をされたようだ。そして、こんな大事な話を自分にも聞かせてくれてありがとうと仰ったので、こちらこそ一緒に話を聞いてくれて嬉しい、そんなことまでしてくれるなんて思わなかったと言った。
ほんとうに、Gさんも先生も、ここまで私のことを気にかけて動いてくれるなんてすごいし、そんなことをしてくれる人がいるとすら思わなくて実際ずっといなかったのにそんな風にしてもらって、どんなに私が嬉しいか。私は泣いた。Gさんも泣いた。私のために泣いてくれたことで余計に泣けた。
そして、Gさんがキリスト先生に会ったのは今日この時が初めてだったらしい。そして先生にお会いして、私がいつも先生のことをとても信頼していると、信頼できる人だと言っていたのはこういうことだったのか、と納得したそうだ。Gさんから見ても先生は素晴らしいのだな。先生のことがわかってもらえて良かった。
本当に先生に出会えたことは私の宝だ。そしてGさんと出会えたことも、ハセガワさんと出会えたことも。そして治療が始まって病院で本当に色々な人に出会った。引きこもって誰にも会わなかったのに一気にたくさんの人に出会った。
M先生はバセドウ病治療のために前からお会いしていたけど、がん治療が始まって間もない頃救急車で産婦人科に運ばれたことについて、腸の病気と間違われることもあるのに最初から産婦人科に運ばれたのは良かったですね、と言ってもらえて、がんでショックだったけど良い側面もあったのだと分かって気持ちが楽になったこと、それからも入院中病棟に来ていただいたり外来でもより気にかけていただいたりしてやっぱり良い先生だな、と思ったことや、外科のユニーク先生は最初ストーマ造設手術の前に出会ってその時「かわいそうやけど、手術せなあかんなぁ」と言われたり、手術後病室に来られた時「やってけそ?」って聞かれたりして(Gさんは軽っ!と言っていた)かなり独特な人だと思って怪しんでいたけど(Gさんはユニーク先生とは面識があったそうで、私のこの印象にも頷いていた)後に外来では精神状態を気にかけていただいたり、ストーマに関して私のよいようにするから、と言ってもらったりして優しい信頼できる先生なのだと思った話をした。
こうした私の話に対して、Gさんは私はこれまで、信頼関係が損なわれかねないような事のあった相手でもその良いところを見たり気がついたりしていい関係や印象を築いたりしている、と仰った。確かにストーマ看護師Sさんやメガネ先生に関してはそうだったと思う。最初は嫌だったり胡散臭かったりしても、接しているうちに良いところが見えたり見直したりして、最終的にはなんだかんだで好きになっていた。でもどうあっても嫌いな人もいますけどね、ともお伝えした。先日の泌尿器科のクソ野郎とか。こいつのエピソードをGさんにお話ししたとところ、そんな事があったんですね…と、私の話にかなり共感してくれた。交換が思いやられるなとかこっちのセリフですよ、とか、性犯罪被害者の気持ちを思い知りましたよ奴のせいで、とか、マジで嫌いですいっそ訴えてやりたいぐらいに、とか、泌尿器科のクソ野郎のことを好き放題にGさんに愚痴った。
それから先生の示した選択肢について、抗がん剤をするかどうかについては副作用の程やそのスケジュールなど細かい情報が今はなさ過ぎるということに話していて気づき、少なくともその点がわかるまではどちらとも決めようがない、という仮結論に達した。そして訪問看護や施設入所のことだけど、施設に関しては地元に緩和ケア病棟のある病院があるのは把握しているし、緩和ケア病棟というものの存在についてはGさんの前任である心理士Yさんに家族に看取られたくないと話した時に教えてもらっているとお伝えした。
そして今後どうなるにせよ、私が一番思っているのはGさんやキリスト先生に会えなくなるのは嫌だ、ということだというのをお伝えした。ぶっちゃけ一番の肝がここ。Gさんはもちろんそれを理解してくれた。だからきっと、今後のことも私のその気持ちが尊重されるように進めて行ってもらえると思う。というかそうでないと無理ですから。そんな感じでたくさんお話ししてGさんとの今回の面談は終了した。
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こうしたところで今日の通院は終わった。先生の出してくれた処方箋を受け取り会計を済ませ薬局へ寄って、病院のラウンジへ戻りドーナツを食べた。そこでこのブログを書いていたら、先生の言葉の中の「元気なうちに」というのが頭に思い浮かんだ。
そう、私はもういつまでも元気ではいられない。今すぐではないけどいずれ、動けなくなる時が来る。何かしたいと思ったら今やるしかない。そして私は映画を観に行くことを思いついたので、そのようにした。最寄りの映画館の上映情報を調べたら「サンクスギビング」という映画が上映中でそれにジーナ・ガーションが出るみたいだったので急いで駅へ行き特急で映画館へ向かった。
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サンクスギビングは面白い映画だった。人死にまくりのスラッシャー映画。ジーナ・ガーションは序盤で死亡してしまって残念だったけれど、チアリーダーの血で乾杯とか、俺は警備員だから毎日人を殺してるぞとか、いかした(いかれた)セリフが随所にあってとっても楽しかった。色々な殺人方法があったけれど、ユリアという女の子が自宅の電気ノコギリの上に倒されて胴体をぐちゃぐちゃにされる殺され方が一番可哀想だった。このユリアさんはその前に両耳を犯人に刺されたりしていて、それも可哀想だった。大学生のグループ、スーパーマーケット、感謝祭パレード、そういう基本に忠実なスラッシャーホラーで楽しかった。あなたが18歳以上なら是非観てみてね。
映画を観終わってモール内にあるお店で服を買って帰った。母に先生からの話を伝えて、来週の先生の診察に同行するように頼んだ。その後明日帰国する妹に電話して、母も一緒にビデオ通話で今回のことを伝えた。母は冷静だったけど妹は泣いてた。知らない間に肉親がくたばってたとか流石にあかんやろ、と思ったから妹にも伝えることにしたけど、大分泣いてたので大丈夫かな。明日子供たちと飛行機に乗るのだからゆっくり休んで欲しいと思う。
✈️✈️✈️
やっぱり私はいよいよだった。先生にも言ったけれど、がん告知を受けた時から死ぬことはずっと頭の中にあった。でもついにそれが具体的になった。治療が始まって一年あまり、ここが私のデッドエンドだ。
だけど、私は最初の手術の入院の時にもう思っていた。どんな結果になろうと、キリスト先生が主治医なら構わないって。その気持ちは今も変わらない。
痛かったり苦しかったりは心底やめて欲しいし、腎不全も腸閉塞もノーサンキューだけど、大好きなキリスト先生やGさんにこれからも会えて、かなうかぎり一緒にいられたら、私は全然死んじゃってもいいよ。
少しもショックじゃなかったと言ったら嘘になるけど、でも先生の言葉、人はいつか死ぬ、誰でもそう。僕だってそうだと先生は言った。先生は本当にそれを知っていて分かっていて言った。先生はその真実を、世界一有効な形で私のために使ってくれた。そんなすばらしいお医者さんを私は他に知らない。私はキリスト先生が大好きだ。これからもずっと私の主治医でいて欲しい。そして、できたら死ぬ時も一緒にいて欲しい。とにかく私は先生がいてくれたら怖いことも怖く無くなる。勇気が出るよ。Gさんも。先生と一緒に私を守ってくれてありがとう。
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この日記はここで終わり。私は腫瘍で死ぬ。今日私の終わりを聞いて、そしてそれが始まった。これからどうなるか本当にわからない。先生は余命というのはあと3ヶ月とかそのくらいにならない限りわからないと言っていた。だから今日は何も仰らなかった。とにかく死ぬまでは生きてる。それは確かだね。またとっても長くなったけど、読んでくれたあなた、ありがとう。後何回この日記があるのか不明だけど、またよかったら読みに来てくださいね。
それじゃ、願わくばまた別の日記で👋