日記#27 曇天の土曜日、考え事。(※あなたにはとても退屈に思える日記)
2023/10/14
午前中は溜まっていた洗濯物の整理に費やし、午後から出かけた。曇天のせいかなんだか眠い。
GUでタイツとジョガーパンツを買った。タイツが概ね古びていたのと、部屋着のスウェットパンツが軒並みゆるくなったからだ。服がゆるくなったということは体重減少を示しているわけだが、今日出かける前鏡で自分を見たら、どうにも太ってみっともない姿であるように見えた。
外出先のトイレや店舗で鏡を見た時は、そうは見えなかった。家の鏡で見た時は、どの服を着ても決まらず、とても醜く見えたのに。一体どうしてだろう。
私はよく自分の姿を醜いと感じる。そうでもない、悪くないと思える時もあるが、一度醜く見えればそれがもう絶対の真実。見る時で印象が変わるのだから、私の姿は一体全体どんなものなのか、人にどう見えるかだけでなく自分自身さっぱり分からない。
出かける前母親とやり取りした。私に干渉し過ぎるのが悪いと思うから、などと言いつつフラワーアレンジメント教室に通うことを始める、とか、私を理解するためにがんサロンへ行ってみる、とか伝えてきた。結局そう告げてくること自体が干渉だ。
当人の人生で母がどう行動するかなんて好きにすれば良いではないか。私に自分の行動の報告義務が無いように、母の私に対するそれも必要ない。そういうどこまでも境界がない感じが嫌なのだ。独立心や個別的な自己であることが大幅に欠如している。
買い物を終えた今はスターバックスでソイラテを飲んでゆっくりしている。病院帰りにいつも寄る店舗だ。何度も来ているし書店併設型なので落ち着く。人が周りにたくさんいる場所で落ち着けるなんて、引きこもっていた以前にはまったく考えられなかったことだ。
人は変わる、本当に。私の個人的なパラダイムシフトが起こってからもう半年以上になるが、その地点から更に私は変化しているのだと思う。その速度は速い時もあるし、遅々としたものである時もある。また元に戻ったようにもなれば、戻った地点から改めて進んでいると思う時もある。今の時点がそれだ。
緩和ケアで受けているカウンセリングはもちろんがん緩和ケアとしてのそれではあるけれど、がんになったことの辛さや苦痛というよりも、がんとなってそれまでとは変わった私がどんな風に生きていくのかということを主眼に面談いただいている。前回の面談でもそういうことを話した。ずっと体調が悪くて家にいて母の世話になっていると忘れる自分の希望や意志をまた、思い出すことが出来た。
家にいると、家族といると、自分が何も出来ない人間であるような気持ちばかりが膨らんでいく。引きこもりの時期以外も含めた長い間、家族が私にのこした負の遺産だ。そんな意識のままでいれば、私は到底やり遂げられない。がんはそんな生易しい病では無い。
今の私にとって安心できる場所は現実にはとても少ない。病院はいうまでもなくそうだけれど、今日は行くことはできない。いつでもアクセス可能な安地は自分の頭の中だけだ。だから今はそこに閉じ籠る。
本当はもっとずっとオープンでいたい。緊張せずに生き生きと振る舞いたい。自分の望みは自分として十全に生きることだ。その阻害要因が大き過ぎると感じる。だから助けが必要で、今はそれを得られている。メンタルをこじらせた引きこもりががんになった場合、そこには意外な効能があるようだ。
自分の個人的なことを発信するのは潜水艦がソナーで海底の地形を探るようなものだ。それで周りの世界との距離をはかったりしている。じっと伏して沈んで。でも長くなったのでそろそろ浮上しようと思う。外ももう暗いし帰宅した方が良いだろう。
この日記を読むことに楽しさが見出せたとは思えないけれど、ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。退屈させてごめんね。
それではまた、別の日記で。