見出し画像

流動体について〜日常

昨年4月、小沢健二氏の大阪城ホール公演を観に行った。

あれは小学生の頃、
音楽番組も結果盛んで、何かあればミリオンヒットなどという言葉が飛んでいた時代。
クラスメイトはやれKinki KidsだのやれV6だの
下敷きや非公式のシールを貼ってやいのやいのと色めき立っていた。
その中で、「小沢健二が好き」と言いきったひとりの女子。

それが今の悪友であり、親友でもあり、前の記事に書いた、幼馴染である。

私のオザケンデビューは遅かった。
スチャダラパーを聞き出し、渋谷系をかじり出した頃合い、痛快ウキウキ通りのイントロに「うわっ!」と衝撃が走った。生涯二十数年、何度も聴いたイントロなのに。
因みに幼馴染はスチャダラパーに嵌るのも早かった。

果たして、小沢健二は本当に存在するのだろうか?
椎名林檎、YUKI、今まで何度も陥った感覚だが、これだけは謎だった。
彼は日本でオリーブ女子というカルチャーを生み出している最中に、渡米してヒットチャートから消えた。
つまり私の青春に存在していなかったのである。

毎年どこかの秋フェスにふらっと現れる、
ということは近年聞いていた。

そんな彼の単独公演が、徒歩圏内で行われる。
行くしかない。
迷う幼馴染にチケット取ったから、という既成事実を作って足を運んだ。
彼女の王子様に会わせるために。

内容は様々な方が記録していらっしゃるため、割愛させていただく。

ただそれまでスタンド席でただただ圧巻されていた私は、一番好きな曲の【強い気持ち・強い愛】ではなく【愛し愛されて生きるのさ】で知らない間に号泣していた。
オザケンは存在するし、ここに連れてきてくれたのはこの幼馴染なのだと。

そしてアンコール
【流動体について】。

私も歳を取るのだから、当然小沢健二だって歳を取る。
容姿や歌い方、味が出ているというのか。
この曲を初めて聞いた時、やはり衝撃を受けた。

♪羽田沖〜っ
という歌い出しの語呂が良く、コンサート直前まで幼馴染と悪ノリしていたのは言うまでもない。


自分は東京に足を運ぶ時に飛行機を利用している。新幹線より宿付きパックの方が格安である。
なので、歌詞に出てくる
『羽田沖 街の灯が揺れる』
という経験は何度もしていた。
ただ、お江戸に住まいを構えた経験はない。


最近とあるクリエイターの方を応援している。
その方の創作物を眺めていると、この歌詞が必然的に頭を廻り始める。

意思は言葉を変え 言葉は都市を変えてゆく
躍動的する流動体 文学的 素敵に炸裂する蜃気楼

脳内の想像を創造し、表現とする人を尊敬してやまない。
それはアートでも音楽でも演劇でも、勿論笑いの類でも構わない。
時に日常を越えるもの凄い高みを魅せてくれることを知っている。

クリエイターのその労力から高みまで、様々なハードルを越えなければならない。それをオーディエンスは知るよしもない。
ただその創作物が、言葉が、都市を変える。
炸裂する蜃気楼をこれからも魅せて欲しいのである。

と、ここまでおよそ1ヶ月前の下書きに残していた。
この1ヶ月
なんの因果か、彼は突如として再び現れた。


画像1

言うことのない作品を提げて帰ってきた。
普段寝付きの悪い自分であるが、聞き入って何年かぶりに電車で寝過ごした。

彼は昨年のライブ終了時に全員とカウントダウンをして一言残して去った。

ーさぁ、日常へ帰ろう

新譜を耳にし寝過ごした自分は一瞬、見事に日常から離れていた。

来年の6月の来阪時には、日常を脱ぎ捨てて再び確かめたい。僕らが旅に出る理由を。
So kakkoii 宇宙を。

あれよあれよとオザケンが動いた衝撃が凄く、
見事に纏まりのないテキストになってしまった。

まだまだ宇宙の中で良いことをすることもできていないので、日常を生きようと改めて決意した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?