客観死(視)

客観視の治し方とかではなく、客観視あるあるみたいなことを書きました。

小さい頃から親の顔色を伺いながら生きてると、良くも悪くも客観視の力が付きます。
自分は特に親の顔色を伺ってきたので、怒られた回数も少ないです。怒られることを避けてきた、所謂攻めたことをしなかった、常に受け身ということになります。
親は勉強には厳しかったですが、それなりに自由にやらせてくれてたので、生活環境とかではなく、ふとした瞬間に身につく力だと思います。


良い客観視というのは、、
・自分はどういう人間かを分析できる
・自分の今の立ち位置を判断できる
・空気を察することが出来る
など。

悪い客観視は、、
・他人にどう思われてるかを気にしすぎてしまう
・教室や電車などの他人の笑い声が自分に対しての嘲笑だと思ってしまう。
・何もしてない時の目の行き場に困る
・人の目を気にする
太字の部分は特に細かく書いてしまったんですけど、経験ある人いるんじゃないですかねこれ。結構今でも思うことがあって、電車内ではもうイヤホンとかしてるのでアレですが、通りすがりの人とか教室内とか、偶に感じることがあります。


しかし、客観視する力がある人が時に、『別にどう思われてもいい』と腹を括ってしまえば秘めたる破天荒な部分が見え隠れすることがあるのではないかと思います。
自分は悪い客観視の時にこの、別にどうなってもいい、どう思われてもいいという、"自然に起きる心の配置転換"に救われることが多いです。

客観視はポジティブにもなり、ネガティブにもなる厄介なもので、自分が尊敬する人の言葉に『ネガティブを潰すのは没頭』というのがあって、それは今でも自分の心に刻み込まれたものですけど、その言葉は客観視には全く効果が無く、対処法が難しい。(ポジティブにもなるため、対処したらネガティブしか残らなくなってしまうので)

未だに客観視との寄り添い方は見つかってないし、見つかったところで、という思いもありますが、客観視に対する思いを共有ということで、終わりにしたいと思います。

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