探海灯
夜行性の動物は元々、外敵から身を守るために夜間に行動するようになったらしい。が、ここにおける夜行性とはただ単に自堕落な生活に陥った者という意味で話を進めていこうと思う、、、いや、そうではない。ここでいう夜行性とは、深夜に放送されているオードリーANNというラジオ番組を聞くリスナー達のことを指す。
オードリーANNが始まるのは、毎週土曜25時。深夜1時という一般的には寝静まる頃で、深い眠りに就いている頃。ただ、物好きな人間もいるもので、25時という始まりの時間から逆算して生活する者もいたりする。25時から27時の2時間をラジオというコンテンツに捧げるため、22時に仮眠をして備えるといった所行。世間的にいわれる健康的な生活とは掛け離れた生活で、決してQOL(クオリティ・オブ・ライフ)と呼べないものであるが、物好きな人間にとっては完璧な生活パターンになる。私が聴き始めた頃、かなり瞼に過重労働を課していたので謝りたい。瞼は限界を超えているのに、必死に目を開け擦りながらラジオを聴き続けた。今は慣れて、25時から27時にキッチリ聴き終え、27時5分にはコックリいってしまう"身体"を完成させてしまった訳だが、これは良くも悪くもってやつなので深く考えないようにする。
オードリーANNと過ごす深夜において、私はオンステージだ。私だけの時間、私達だけの時間。強度の内輪ノリでありながら、来る者拒まずというのがラジオの醍醐味であると最近改めて感じるようになった。ラジオはいつ何時でも"受け身"であることは長くリスナーをやっている方は気付いてるだろうが、実はリスナー側に於いても聴取の構えは"受け身"なのだということ。受け身と受け身の関係は決して攻撃的でなく、閑静な空間を創り出す。私はそんな空間で聴くラジオが心地良くて仕方がない。
そんなラジオを聴いてる時の愉しさや幸福感は聴いてる空間だけでなく、サーチライトのようにその夜全体を突き抜ける。有楽町を中心に、各所で飛び交う幸福のサーチライトの光は100万ドルの夜景より美しいのだろうと妄想する。
どこか心が欠けていたり俯きがちな生活を送り、社会という暗い海を彷徨う者たちにとって、探海灯は救済の光。その光が自分にスポットを当てて、居場所を作る。『此処に居ていいのかな』という名無しの不安は忽ち深い夜に滲んで消えて、そして25時にオードリーANNの始まりを告げる"Bitter Sweet Samba"はこの一週間頑張って生きた私達やまた明日を生きる僕達に向けた"かけがえのない賛美歌"となり、誰かの背中を押す。
オードリーANNと越えた幾つもの夜、愉しさの余韻を抱えたまま迎える朝。特別で格別な時間経過は人それぞれ違い、人それぞれ思入れがある訳だが、間違いなく言えることは今この時間この瞬間、オードリーANNという一秒ごとに更新する私達にとっての生き甲斐を、深夜に篭もる"夜行性"の同じ穴のムジナ達で共有しているということ。
今夜もどこかで、暗い海を彷徨う者たちがオードリーANNという救済の光を見つける必然である邂逅の音が聞こえてくる。