上の空で漂う

サカナクション『白波トップウォーター』、ファンの中でも特に人気がある。ホントに初期の初期の曲だが、未だに色褪せないサカナクションらしさが存分に発揮されている楽曲。

面白い歌詞なので歌詞解釈してみようと思います。
個人的解釈が過ぎると思うので、それぞれの考えを大事にしてください。
悲しい夜の中で 蹲って泣いてたろ』かなり分かりやすく情景が浮かびます。後述しますが、この悲しい夜の中とスパンコールな波際で浮かび続けている状態は情景的に対照な存在な気がします。
街の灯りが眩しくて 眩しくて』暗い心情に包まれた自分にとって街の灯り"さえ"眩しく感じてしまう。
通り過ぎて行く人が 立ち止まってる僕を見て 何も知らないくせに笑うんだ 笑うんだ
他人に自分の心なんて分かるはずがないという、若人特有の心の動きが表されているように思う。そりゃ他人に蹲って立ち止まる僕の気持ちを分かれという方が無理な話だが、それさえも他人のせいにしてしまう、心の揺らぎ。
Aメロの歌詞はかなり分かりやすい。心情描写が真っ直ぐに書かれている。
実際、2019年12月20日『SCHOOL OF LOCK!』にて山口一郎がこう言っていたので文章を少しばかり記載します。
『僕はこれを書いた時、本当に駄作だなって思ったの。こんなにわかりやすい歌詞は書きたくないと思ったんだよね。今見たらあれだけど……当時はまっすぐ書いたの。J-POPを書くぞって思って書いたのがこの歌詞だったんだよね。』
スパンコールな波際で浮かび続けるフローター
スパンコールは光を反射してキラキラとなる服飾資材だけど、スパンコールな波際というのは太陽の光が照らされた波際=灯りが眩しい街を通る人々。
波が打ち寄せる場所、波が寄せては戻っていく。揺れ動く感情の波にただフローターに乗り、浮かび続けるしかない『上の空で漂う
誘惑 罠全てがぐるぐる回り続けてるんだ 悲しい夜が明ける』誘惑や罠、それだけじゃない全ての混純が回り続ける世界の荒波に揉まれながら生きる僕。
押さえてた僕の儚い想いは水際
"抑える"ではなく"押さえる"。儚い想いを押さえながら水際へ追いやる。水際=現実と理想の狭間。僕の想いをどちらにも発することが出来ないなら水際へ追いやるしかない。
曇りガラスの先はいつも悲しいんだ
視力がぼんやりとした世界のままの方が楽だろう。曇りガラス=涙でうるんで前が見えない状態だと思う。その涙を拭き取ってしまえば前(現実)が見えてしまい、悲しくなる。儚い想いを吐き出せない現実。
白波トップウォーター
激しい風(通り過ぎる人々)に打たれた先で白波となった真っ白な世界、そんな世界にプカプカと、トップウォーターのように浮かぶ"僕"。これは直訳しすぎたかもしれません。釣りや水関係が多かったのでこう解釈しました。
蹲って泣いてる僕、この悲しい世界を直視することが出来ずにいる僕、眩しく照らされた波際で浮いている僕、どれもがホントでウソ。どんな僕にもなれてしまうが、なれずに浮かび彷徨う自分自身をモラトリアムに表現。素晴らしくも儚い楽曲『白波トップウォーター』でした。

深夜にバーッと書いたがために頭回ってなくて言葉が変になってる箇所があるかもしれませんが、お許しを。保険バシバシ打っときます。

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