丸山勉さんがアルファ電子、エーディーケイ時代に作成した/関わったゲーム
画家で丸山勉さんという方がいます。
今は、絵描きやってます。https://t.co/Ya6ZLJtgXx
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) July 3, 2021
ちなみに丸山さんのnoteのアカウントも存在しますが、2021年8月現在記事は存在しません。
丸山さんは本業画家になる前、アルファ電子/エーディーケイでゲーム制作に関わっていました。
『ニンジャコンバット』のことを思い出したついでに、丸山さんのTwitterから丸山さんが関わったゲームへの発言をまとめてみました。
第1作目『ギャングウォーズ』
◆僕が始めて制作したアーケードゲーム◆
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) April 9, 2019
1989年 / アルファ電子開発 / SNK販売
「俺に作らせろ!!」と社長に直談判して作った初めてのゲーム。
全米ランク最高3位で、クビにならずセーフ
僕を含めデザイナー4名(内2名は、新卒の新入社員)
開発初期からデスマーチが鳴りっぱなしでした。 pic.twitter.com/oIfRW2A5bj
第2作目『ニンジャコンバット』、これは当初『ギャングウォーズ2』として作成されていたそうです(下記開発者インタビュー参照)。
◆僕が2番目制作したアーケードゲーム◆
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) April 9, 2019
アーケード(MVS) ネオジオ
発売SNK開発1990年アルファ電子
全米最高ランク1位 米ロケテストでも脅威のインカム
シューティングゲームを作らせてもらえなかったので、勝手にシューティングテイストに。セリフも真面目に考えたんですが・・・ pic.twitter.com/vMWoU9PTko
これは、若い時に作ったアーケードゲーム
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) July 1, 2021
2作品目
スタッフは、
キャラデザイナーが4人。
ヘルプ 2人
プログラム 2人
音響 2人
そして、企画・プロデューサーで自分
・・・だったと思う。
30年前だし
ニンジャコンバット(時間短縮 ノームサシ) / ニコ生視聴中 https://t.co/umcKSewn3p
僕が、企画制作責任者としてADKがリリースしたのが30年も前になったと言う事にチョットびっくり。
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) July 24, 2020
この時は、企画課長だったので、他のゲームのアドバイスや監修もしていました。
とにかく人手不足で、背景も描きました。
労働環境は、完全ブラック。
その代り、残業代は無制限に付きました。 https://t.co/MegVfpEYZj
第3作目『ニンジャコマンドー』
◆僕が3番目制作したアーケードゲーム◆
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) April 9, 2019
アーケード(MVS) ネオジオ
発売SNK開発1992年アルファ電子
全米最高ランク1位
チョット必殺技を強くし過ぎました。コマンド系の技が簡単に出せると思わなかった訳です。風魔と博士は、ワーヒーに。爆裂究極拳は、流れ流れて、ファイナルファンタジーへ。 pic.twitter.com/a537p6arj8
シューティングゲームが作りたくて
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) July 3, 2021
やや強引に企画を通したゲーム。
爆裂究極拳は、隣のワーヒー班が楽しそうに必殺技出してたのが、羨ましかったので付けました。
月刊ノーフューチャーLIVE 2017年1月号 ニンジャコマンドー(Ninja Commando) https://t.co/rL2YlWlHyK @YouTubeより
以降は監修や企画素案など
◆僕が監修したアーケードゲーム◆
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) April 10, 2019
アーケード(MVS) ネオジオ
発売SNK開発アルファ電子・ADK
この時、開発部のTOPになっていたので、1部作品を除き監修してました。痛快ガンガンが、僕の関わった最後の作品です。やり込むと面白いんですが、大ヒットにならなかったのが残念でした。 pic.twitter.com/NI1XOgZECB
20代後半から30歳くらいまで、ゲーム会社で、こんなゲームを作っていました(ワールドヒーローズは、監修)。今で言うブラックなハードワーク。平社員は、残業代がキッチリ支給さで、そこは良かった。途中で、管理職になったので、残業代はゼロに。絵は公募展の他、年間30点くらい描いていた。 pic.twitter.com/4Bywg77Pky
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) December 30, 2017
これは、アイディアの草案を出し
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) July 1, 2021
新人のS君に丸投げしたゲームです。
いろんな時代を移行する展開は、ADKの伝統なので
それを対戦格闘に落とし込みました。
1992 [60fps] World Heroes 1471700pts Muscle Hardest ALL (Normal mode) https://t.co/jgHvG5gPsC @YouTubeより
今更感が、ちょっとびっくり。
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) December 31, 2018
僕がADKの企画部課長だった頃のゲーム。
細かな事は覚えてないが、時間を超えた歴史上のヒーローをテーマにスト2と差別化する様に指示した記憶がある。
忍者物は、僕の担当だったので、それも入れてと指示した記憶もある。 https://t.co/lPKBnZ8IMC
丸山さんがメインで開発(企画)を行ったのは『ギャングウォーズ』、『ニンジャコンバット』、『ニンジャコマンドー』。
以降は基本監修する立場となり『ワールドヒーローズ』シリーズ、『ラギ』、『痛快GANGAN行進曲』、『スラッシュラリー』などに関わったという感じでしょうか(GANGANは統括ディレクターのような関わりということかな?)。
ちなみに「ニンジャコンバット 開発者インタビュー」中の
https://adk.game-host.org.uk/intav01.html
インタビュイーである「プロデューサーM」は丸山さんのことでしょう(プロデューサーとディレクターを兼任している)。
以下余談。
1990年 第1回明日の白日会出品作
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) October 2, 2016
50F キャンバス ミクストメディア「異国の風景」
27歳、若い頃の作品です。
この時は、父に絵描きになるのを大反対され、家を追い出されホームレス?状態でした。勤めていた会社の寮に潜り込みコッソリ描いてました。直ぐにバレて怒られましたけど。 pic.twitter.com/T9I4PXLhwM
27歳で晴れて?ホームレスになり、とりあえず会社の宿泊者用の契約アパートに転がり込み身を潜めた。ここは、終電が無くなると泊まって良いので、正月明けから毎日遅くまで残業した。3ヶ月くらいで会社に発覚し、総務部長が、こんな状態では誰も利用出来ない、今日から君のアパートだ!と怒鳴られた
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) January 18, 2016
思いがけなく、ホームレス時代も終わった。この数ヶ月間は、絵の制作にも没頭できたので、白日会展で大きな賞も貰った。その後、近所の広めのアパートに引越した。次のゲームは、全米で1位になり会社は儲かった。その後、僕は嫌だったが課長にさせられた。会社の業績も上がり社員が100人になった。
— 丸山勉/用賀の洋画家 (@marutom1) January 18, 2016
【了】