『平和への希求』 その6
ところで、「平和憲法があり、平和国家・民主国家として戦後を生きてきた日本」という建前に、疑念を抱いたのは、歴史の持続性・同一性に注目したばかりではありません。
「戦後理念」に対する反動の歴史という現実状況の実態もまた、戦後日本への信頼にゆらぎをもたらしました。
これは三つの側面で指摘することができます。一つは、「解釈改憲」の問題です。憲法をなんの政治的配慮なしに読めば、既に実質的な軍隊である自衛隊の存在が違憲であることは明白でしょう。自衛隊の存在が必要か否かという問題と、憲法上、自衛隊のような存在が認められているか否かという問題は、全く次元の異なる話です。
二つ目は、「憲法の理念を生かす意志が認められない」という問題です。政府与党は、特に政治的な位相において事をなす際に、自らの政策決定を、憲法に基準を置くという事が、ほとんどなされていないのではないか、とわたくしには思えます。この課題を解決するに当たって、憲法は、何を為せと言い、何をしてはならぬと言っているか、という現実の政策決定の規範を憲法に求めることなど、実際の話、ほとんどないのではないでしょうか。いや、彼らも憲法に照らすことは当然しているはずです。しかしそれは、たとえば、米軍の行動を、自衛隊がどこまでサポートできるか、敵領海内に向かう米艦船の護衛を自衛隊機が務めることが可能かどうか、といった国際紛争を武力で解決する道を選ばずという平和憲法の理念とは全く逆の方向での、それでもなお侵すべからずと彼ら自身でさえ認めざるを得ない禁忌を確認するに終始しているだけです。彼らとて、法治国家の体裁を保つ必要を感じているはずですから、その限りでの憲法順守でしょう。決して、平和憲法の理念と条文が指し示している道に即して、現実上の政策を考察し決定を為すという在り方で憲法を遵守しているわけでも、憲法を生かしているわけでもありません。
そして三つ目は、「民主国家」という点に対する疑義です。
確かに、旧憲法下の立憲君主国家との比較、治安維持法に象徴される反民主的な政治・社会体制との比較で言えば、またこんにち多くの世界のあちこちの国々でみられる反民主的な実態と比較すれば、戦後日本は、まがりなりにも民主国家として歩んできたと言えるかもしれません。しかし、それは、冷戦構造の下で、共産主義国家に対抗する観点ではプラスの形であらわれるに至りましたが、わが国自身の体制・反体制という位相においては、必ずしも、民主国家と呼ぶにふさわしい実態がそこにあったわけではないと、わたくしは認識致しております。
換言すれば、戦争と軍国主義・ファシズムなどを食い止めるに十分なほどに民主国家の実体を有しているかと問えば、答えは明らかではないかと、わたくしは考えます。
問題は、「日常」にあるのではありません。「非日常時」こそ、その実質が問われることになります。その意味で、天皇が死去された際に、この国がどのように対応するのかが、12年前当時のわたくしには大きな関心事でありました。そしてわたくしの予測は、後に、不幸な形で的中しました。そこでは、象徴天皇の死去という新たに体験する事柄において、どのような葬儀と、国家社会・国民の弔意の表現が妥当なのかの議論なしに、ひたすら明治憲法下の「天皇崩御」との同一性が示されました。国民主権の民主国家を建前とする日本が、実は、いまだなお、超越者を存在せしめ、それに跪拝する国家民族であることを、世界に示しました。
この非日常は、そうであるがゆえに、日常の回帰と共に、背景に退きますが、ひとたび、国家民族の危機が叫ばれる状況に立ち至れば、再び、表舞台に登場する可能性があることを、示唆しました。わが国の民主主義が、超越的存在の前に、跪くものであることを、あの非日常は証しました。換言すれば、わたくしたち民衆の意志が、いったん体制と「国体」に背くならば、この国の民主主義は、その個人を擁護してくれる砦とは為り得ないことを、明確に証しました。
勿論、上記の事は、12年前当時にはなかった実態ですが、わたくしは、マスコミにおける「天皇タブー」の実態、民衆の意識観念などの考察から、必ずや、「主権在民」不在の事態が出現するものと予測しておりました。