可能性にかけ、可能性を手放す
HBOCの卵巣予防切除の推奨は40歳まで、または最後の出産が済んだ後。
遺伝子検査の結果を知った時、もう既に推奨年齢を経過していた。
抗がん剤治療前に凍結していた受精卵が2個あった。
万が一妊娠した場合、出産までは予防切除はできない、その間癌になるリスクはある。卵巣癌の発症グラフが上昇し始める年齢だった。
卵巣癌は有効な検査方法が無く、かなりステージが進んだ状態で発見される事が多い。子供を授かる事ができても、育つ前に私がいなくなるかもしれないと思った。
もし妊娠したら、私がいなくても一人で責任を持って育てるか?
夫に聞いた。無責任に子供は作れないと思った。
話し合い、受精卵を戻すことにした。
一大決心をして挑んだが、結局着床しなかった。
主治医は自然妊娠をトライしないのか聞いてくれた。妊娠が非常に難しい年齢であるにも関わらず。
きっと予防切除をしたら後には戻れないので、十分に納得してからと配慮してくれたのだと思う。
乳がんになって、自分は死ぬかもしれない、と思った時、子孫を残す事の尊さを感じた。生命として、究極の仕事だと思った。
死を意識し、体の仕組みを自分なりに学び、自然を多く観察するようになると、自然にそう感じました。
その役割を自分が果たせない事がとても悲しかった。
私はきっと、子孫を残す以外の形で、自分の一部を引き継いでいく役割があるのかもしれないし、そんな大げさなことでは無くても、ただ生きて誰かの助けになる機会が多くあれば、と今は思う。