売れない創作者の憂鬱
私には娘がいました。その娘が生まれたとき、私は「この子がきっとみんなに愛される子に違いない」と思っておりました。
その子は私とは違い、優しくて強い娘に育ちました。お友達にも恵まれ、楽しい毎日を過ごしておりました。そんな娘を見るのが私にとっての幸せでした。
彼女は私と共に過ごしていくうちに、様々な困難にぶつかり、時には残酷な現実と向き合わなくてはいけない時もありました。それでも、彼女は懸命に、逞しく生きていきました。
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時折、他所から彼女の行動記録が送られることがありました。私は彼女が確かに生きているのを感じ、胸が熱くなりました。
彼女の教室にお呼ばれすることもありました。そこには彼女の友達だけでなく、保護者の方々もいらっしゃいました。保護者の方には色々な人がいました。好きな人もいれば、苦手な人もいました。
私は教室を通して、保護者の方とも接する機会も増えてきました。楽しい半面、不満もありました。
今思えば、当時の私は幼稚な親馬鹿だったのです。周りの子達が注目される中、私は冗談のつもりでこう言いました。
「ほんとお馬鹿ね」
それを聞いた保護者は怒り狂いました。誤解は解けぬまま、誤解が誤解を生み出していきます。周りの目に耐えられなくなった私達はその場から逃げ出しました。翌日、娘は教室に入りたいと言いました。教室に向かうと、ポスターが貼られていました。
「この名前にピンと来たら110番」
そこには私の名前が書かれていました。彼女は私を見上げます。
「ごめんね。もうこの教室には入れないの」
娘は私の言葉に「…そっか。残念だね」と返しました。
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教室を失った娘は日に日に元気を失っていきました。私はそんな娘を見ているうちに、娘に興味が湧かなくなってしまいました。一年、二年と経つにつれ、娘は体を動かすのも億劫になり、ついに寝たきりになってしまいました。そんな娘のを見ても、私は何も思うことが出来ませんでした。
そして、5年経ったある日。押し入れの奥にしまっていた記録帳を見つけました。開くと、そこには娘が生きていた証が詰まっていました。
私は走り出しました。
彼女の生きた証が他にもないか。私と彼女以外なら誰でもいい。どうか彼女を愛してほしい。そんな気持ちが私を走らせた。
彼女が通っていた教室は廃墟になっていた。瓦礫の下に何でもいいから埋もれていないかを探した。私の娘の写真は何処にもなかった。彼女と仲良くしていたお友達がいないかも探し回った。彼らは不在だったが、彼らが住んでいた家は残っていた。彼らの家を覗く。不法侵入とかそんなことどうでもいい。
彼らのアルバムを広げる。彼らが映る写真には妙に空間が空いている部分があった。それもそうだろう。その空間には、私の娘が入っていたはずなのだから。娘だけが消えた写真を握り締める。「どうして」と泣く私の後ろ姿を、私を追いかけてきた娘は悲しそうに見つめていた。
「ねぇ、お母さん。わたし、生まれなかったほうがよかったのかな?」
娘は私にそう言った。私は否定することも肯定することも出来なかった。
「お母さん。わたしね、お母さんの娘でよかったって思ってるよ」
彼女は私を抱き抱えた。
「だからお母さん、わたしを消して。なかったことにして」
娘は私に赤錆色のライターを手渡した。
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私はライターをカチカチと擦る。ライターから青緑の炎がこぼれ落ちた。彼女の足元に燃え移り、ぼうっと炎が燃え上がっていった。
「ごめんね、本当にごめんね」
私が嗚咽混じりに叫んだ。娘は困った顔をして微笑んだ。
「わたしこそ、お母さんの役に立てなくてごめんね」
娘が目の前で焼けていく。私の中からも消えていく。顔が燃える寸前で、「待って、いかないで」と手を伸ばす。彼女の顔に触れると、娘だったものは光の粒子になって、景色に掻き消されるように見えなくなった。
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家に帰った私は、投げ出された娘の記録帳を眺めた。空っぽになってしまった記録帳を眺めた。
嗚呼。彼女はもう、何処にも、いないのだ。