恋をした実験マウス(グロテスクな描写を含みます)
「恋をすると世界が変わる」と、誰かが言っていた。
僕はその言葉を肯定する。
彼女と初めて会ったあの日、生まれ変わった僕の世界は冷たく、そして僕に優しくない世界だった。
僕の中に予め内蔵されていた運命がギリギリと嫌な音を立てた。
警告音だった。僕には戻るという選択肢があった。
だけど、僕はそれを選ばず、破って捨てた。
びりびりになった紙が僕に問いかけた。
「後悔はしないか?」
僕は答えた。
「もちろん」
紙は返事をしなかった。
ただの紙切れになり、冷たい世界の一部として死を受け入れた。
もうすぐ僕もこの世界に一部になるのだろうな。
凍えそうな僕の手の中でハートの形をした金の破片が眠っている。
僕の握り拳から肉が焦げる匂いがした。
今の僕には少し熱過ぎたのかもしれない。
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僕が恋したあの子は狂っていた。
彼女は体の中にある「何か」を必死に探していた。
たっぷり綿が詰まった黒いうさぎさんのお人形。
僕が幼い頃に飼っていた金魚の花恵。
学校で飼っていたつぶらな瞳が愛らしいロボロフスキーのハムスター。
全部、彼女が大好き、綺麗、可愛いと褒めたものだった。
そしてそれらは全部、彼女によって解剖されたものでもあった。
僕は目の前で金魚の花恵が解剖された。
彼女は花恵の中身を見たとき、がっかりしていた。
「違う、私が欲しいものはこんなものじゃない」
僕は彼女に尋ねた。
「君はいったい何を探しているの?」
彼女は僕を見て、ふっと愛らしく、小馬鹿にするように笑った。
「あなたのなかにはないものよ」
僕は何も言い返せなかった。
それは僕がいくじなしだったからだ。
今の僕にはそれが血が滲むほど分かっていた。
あれから、何年か経った。
彼女の探し物は未だに見つかる気配はなかった。
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先程、僕は彼女に告白した。
夕日と誰もいない理科室、狂い物の僕達にはうってつけの場所であろう。
「実は先日、君が探しているものを見つけたんだよ」
「だけど今朝、それをうっかり飲みこんでしまったみたいなんだ」
「嘘じゃないよ、本当だよ。そんな顔をしないでくれよ」
「気になるかい?なら、一つ提案があるんだ」
「僕をいつも君がやっているように開いてくれないかな?」
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彼女が握るメスは彼女の指先、唇の次に美しいと僕は思う。
彼女のメスが僕の体を滑りながら入りこんでいく。
鉄の独特の冷たさが何だか気持ち悪かった。
だが、もし断られていたらと思うと---。
僕は死よりも怖いものをみたような気がして考えるのをやめた。
間近で見る彼女の目はどんな星よりも電球よりも輝いていた。
その眼を丁寧にくりぬき、自分の部屋に飾りたいと思った。
だけど、僕の体は氷のように冷たかった。
この手で彼女に触れたらきっと彼女も凍ってしまうだろう。
それはそれでいいかもしれない。
僕は叶いもしない妄想にもっと浸りたくなり、目を瞑った。
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紙がカッターで切られるように、僕の世界が裂け出した。
ばらばらと僕の世界が音も立てずに落ちていく。
ふわふわと僕の中身が鳥のように羽ばたいていく。
あれが小腸で、あれは大腸、あれは腎臓だろうか。
落ちていく僕と、終わりへと向かっていく世界。
彼女が操る美しいメス、宙に舞っていく僕の中身。
僕の中身がまた宙に向かって飛んでいく。
それは胃だった。
僕は想像する。
この胃が彼女の手元に渡り、裂かれた後、彼女はあるものを見つけるだろう。
そう、それこそが「彼女が探し求めていたもの」なのだ。
きっと彼女は驚き、喜び、そして嘆くことだろう。
僕はそれを想像し、目を細めずにはいられなかった。
たとえ、好奇心に殺されたとしても
胃酸にも溶けぬこの想いまでは殺せないだろう。
ざまあみろ、あいしてる。